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コンと狐と  作者: 千曲春生
コンと狐と明日の少女
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第一章 第4話 命を選んだ話 前編

 目覚まし時計がなくても、コンは毎朝六時に目を覚ます。これは生きていたときと変わらない。

 そもそもコンは、幽霊なのだから、睡眠をとる必要もない。一応、魂が消耗した場合は眠って回復できるらしいが、コンの場合はそもそもそんな状況に陥ることがほぼあり得ない。

 着替えて、部屋を出ると階段を下りる。一階は料理店になっている。一応、店名は『和食処 若櫻』だけど、和食、洋食、中華、フレンチ、などなどコンがつくれるものならなにを出してもいいといわれた。

 犬の鳴き声が聞こえる。どこか、表で鳴いているのだろうか。

 コンは大きくのびをした。

 犬の声が聞こえる。

 さて、イクがおきてくる前に、朝ごはんをつくろう。

 思いがけず現れた同居人、イク。彼女が母親の名前として挙げた『八重垣ヒトミ』というのは、コンのママの名前だった。

 つまり、イクはコンの妹ということになる。

 このことは、イク本人には伝えていない。伝えるべきかどうか、ずっと悩んでいる。

 コンは四歳のときにママと離れて児童養護施設で暮らした。イクがその後に生まれたとすれば、コンが知らなかったのも納得できる。

 意識して見ると、イクの目元はママによく似ている。それすなわち、コンに似ているということでもある。


『育』


 そのたった一文字の名前を、どんな気持ちで名付けたんだろう。

 つい先日まで存在することさえ知らなかった妹だけど、存在を知ってしまえば長生きしてほしかったと思わずにはいられない。

 落花、枝に帰らず。

 生き返る方法がないのは、コンだってよくわかっている。頬の火傷の跡が痛んだ、気がした。

「おはよございます。コンさん」

 イクが目をこすりながら二階から降りて来た。

 考え事をしていたら、全く仕事ができていなかった。犬の声が聞こえる。

「おはよ。ごめんな、まだ朝ご飯出来てへんねん。ちょっと待っててな」

「いえ、お腹すいていないですから。なにか手伝います。私も居候させていただいている立場なので、出来ることはやります」

「ありがとう。じゃあ、えっとね……」

 なにをしてもらおうかな?

 コンは店内を見回した。そして気がついた。

 店の入り口に、一人の青年がいた。十代後半から、二十代前半くらいに見える。


 カラン。


 店のドアにつけたベルが音をたてた。

 犬の声が聞こえた。

「いらっしゃいませー」

 コンはいつも通りの、落ち着いた様子でいった。

「オレは、いったいどうしたんだ」

「まあ、とりあえず、ゆっくりお座りやす」

 コンは笑顔を浮かべていった。


 それから、青年にこの店のこと、そして、青年はすでに死んでいることをコンは簡単に説明した。

「なるほどね」

 青年はカウンター席に座り、なんどかうなずいた。

「なにか飲むか、食べるかしはりますか?」

「じゃあ、鶏肉の入ったスープを食べたいな」

 コンは「かしこまりました」というと、厨房の奥へむかう。

 冷蔵庫には、野菜と鶏肉、そして戸棚には調味料類が入っていた。いつもそうだ。必要な食材はいつの間にか、戸棚や冷蔵庫に入っている。これらがどこから来ているのは知らない。

 コンは、ものを食べるということは他の命をもらって、自分の命につなぐことだと信じてきた。では、死んだヒトに食べさせるために用意されたこれらの食材はなんなんだろうか。

 考えてたところで、わかるのはコンには理解の及ばない現象だということだけだ。

 食材を調理台の上に並べた。


● 洗って皮を剥いた野菜を食べやすい大きさに切る。

● 鶏のムネ肉も食べやすいように切る。

● 鍋にオリーブオイルを入れて、ガスコンロで火にかける。

● オリーブオイルの香りがしてきたら、鶏肉を入れて炒める。

● 肉に火が通ったら、野菜を入れ、さらに炒める。

● 野菜がしんなりしてきたら、鍋に水を入れ、中火でひと煮立ちさせる。

● 顆粒コンソメ、塩、黒コショウで味付けして完成。


 多めにつくって、コンとイクの朝ごはんもこれにしよう。

 三枚の皿に盛り分けて出来上がり。切り分けたパンと一緒に、カウンターにおいた。

 青年は念入りにスープの香りを嗅いだ後、スプーンですくい、口に運んだ。そのときの手つきが、コンにはどこかぎこちなく見えた。

「アチィ!」

 青年が声をあげた。

「このスープ、熱いぞっ!」

 そして、不満げにそういった。

 つくりたてなので、熱いのは当然なのだけど、もしかして温めすぎただろうか。

「ごめんなさい。そんなにカンカンに熱したつもりじゃなかったんです」

 コンは頭を下げた。

「まあ、冷ませばいいんだ」

 青年はスプーンで二口目をすくうと、息を吹きかけ冷まし、口に入れた。

「カラァ!」

 また、青年が声をあげた。

「このスープ、味が濃すぎる」

 そして、また不満げにいった。

 確かに味見せずにつくったけど、濃すぎるってことはないと思うんだけど。

「お口にあわなかったみたいで、ごめんなさい」

 コンは深々と頭を下げた。

 悪いことをした。たとえ相手がどのような趣向だったとしても、食べて、喜んでもらえなかったのであれば、それは自分の技量不足だ。コンはそう考えていた。

「会いたい人がいる。これから会いにいく」

 青年は立ち上がり、店を出ていった。

「コンさん、おいしいですよ。私はそう思います」

 イクはスープを飲みながら、そういった。表情を見るとそれがお世辞でないことがわかる。

「あ、追いかけんと」

 コンは店を飛び出した。

「ああ、待って。おいてかないでください」

 その後から、イクが情けない声を出しながら追いかけてきた。


 表に出ると、青年はすぐに見つかった。

「こっちだ、多分」

 青年は独り言のようにそういうと、歩きはじめた。

「待ってください」

 コンとイクが追い付くと、青年は足を止めた。

「なんだ?」

「私にできることなら、お手伝いさせてください」

「それがお前の役目か?」

「はい。でも、それだけじゃなくて、私の『想い』でもあります」

 青年は鋭い視線をむけるが、コンはニコニコと笑顔を浮かべる。

「お前、いい匂いがする」

 青年はそういって、再び歩きはじめる。コンとイクはそれについていく。

「誰に会いにいくんですか?」

 歩きながら、イクは尋ねた。

「オレの飼い主だ」

「飼い主?」

 青年は面倒くさそうに、でも丁寧に語りはじめた。

「オレは生まれてすぐにお袋から離された。オレを育てたいって奴らがいたから。だけどな、それがロクでもない奴だった」

 青年は一度、言葉を区切り、少し間をおいてから再び話しはじめた。

「オレは、生まれたときから体が弱かったんだ。すぐに病気になった。それに気付いた奴らはオレを捨てた。施設に連れていかれたんだ」

「施設って、児童養護施設かなにかですか?」

 コンが尋ねる。

「施設の名前は知らねぇ。ただ、野良で生きてたヤツや、俺みたいに捨てられたヤツが集められ、殺される場所だった。俺以外にも、似たようなヤツがいっぱいいた」

 はっきりとはわからないけど、コンが思っている『施設』とは違うらしい。

「じゃあ、あなたはそこで殺されたんですか?」

 今度はイクが尋ねた。

「ある日、一人のガキが施設に来て、オレを連れて帰るといい出したんだ。それからオレは、少しだけそのガキの家で暮らしたが、結局長生きはできなかった。これから、そのガキに会いにいく」

「なるほど。そのガキさんにお礼がいいたい、ということですね」

 青年は立ち止まり、イクに顔を近付ける。

「なんか勘違いしてるみたいだがな、オレはあのガキにこれっぽっちも感謝しちゃいねぇし、もちろん礼をいう義理なんてない。ただ、あのガキに聞かなきゃいけないことがあるんだ。それだけだ」

 そして再び歩きはじめた。

 コンは頬の火傷の跡に手をあてた。記憶が、匂いが、よみがえってくる。

 

 蕎麦の出汁の匂い、鉄のような血の臭い。そして、漂白剤の臭い。


「コンさん、大丈夫ですか?」

 気がつくと、イクが不安そうな表情で見つめていた。

 コンは一度、深呼吸した。

「うん、大丈夫やで」

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