白兎神の話 前編
【登場人物】
・キョウコ 京都で暮らす中学一年生の女の子
・ラク キョウコの同級生。神に仕える化けギツネ
・サナ 鳥取で暮らす化けギツネ。キョウコ、ラクの友人
・オトウフ キョウコが出会った化けウサギ。記憶喪失
【前回までのあらすじ】
深夜、何かに操られるようにキョウコは布団を抜け出し、台所で卵を丸呑みする。
そこで我に返ったキョウコは、自分の中から聞こえる謎の声に気付く。
声は自分の存在が周囲に気付かれたら、キョウコ自身か、キョウコの家族を殺すといって脅迫した。
キョウコは布団に入ってもほとんど眠れないまま、朝をむかえた。
昨夜、体の内側から聞こえた謎の声。
声の正体は何なのか。他人に声の声が言った両親やキョウコ自身を殺すというのは本当なのか。
これから、どうなってしまうのか。
考えても考えても何も思いつかない。状況に身を任せるしかないと思い知らされる。
布団に横たわり、体を小さくしてタオルケットを被っているうちに、いつのまにか障子の向こう側が明るくなった。
隣の布団で眠っていたラクが目を覚ました。上体をおこして、あくびとのびを同時にした。
「キョウコ、おきてる?」
ラクに声をかけられて、キョウコは体をおこした。
広間でテーブルを囲んで、みんなで朝食を食べる。
白ご飯とラッキョウ。味噌汁。そして焼き魚。
焼き魚はスズキだ。ただ焼いただけでなく、柚子胡椒がかけられているのでスッキリとした味わいで食べやすい。
キョウコも座って自分の朝食をたべながら、膝に乗せた白ウサギ――オトウフにもご飯食べさせる。オトウフは別に用意してもらったサラダが朝食だ。
「キョウコ、大丈夫?」
オトウフは心配そうにキョウコの顔を見上げてくる。
「ん、なにが?」
「なんかキョウコ、ぼんやりしてる」
キョウコはオトウフに笑顔をむけた。
「大丈夫やで。ちょっと寝不足なだけ」
そこで、サナが箸を持つ手を止めた。
「体調悪いなら、今日は家でゆっくりしてるか?」
しかしキョウコは首を横に振った。
「ううん。大丈夫。オトウフを元の所に帰してあげたいから、今日、白兎神社に行ってみたいんやけど、ええかな?」
サナはうなずく。
「まあ、キョウコがそう言うなら。ラクもそれでいいか?」
話を振られたラクは口の中のものを飲み込んでから話す。
「うん、ええよ。白兎神様にも会ってみたいし」
若桜鉄道に乗り、鳥取駅へ。
キョウコ、サナ、ラクの三人並んで、窓に背をむけて座るタイプの座席に腰かけた。
ガタン、ゴトンと列車は走る。
「サナちゃん家、ワンちゃん飼ってへんのにコレはあるんやね」
キョウコが言うコレとは、膝の上に乗せた犬用キャリーバッグである。中にはオトウフが入っている。
「お姉ちゃんが小っちゃい頃、予防接種が嫌でキツネになって逃げ回るから、これに入れて病院に行ってたらしい。私もこれに入れて連れていかれた」
サナは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
「ラクちゃんはお注射は平気なん?」
キョウコが尋ねると、ラクは得意げな表情になる。
「そりゃそやで。私はサナとは違うからな、注射で泣いたことなんて一回もないわ」
すると、サナはキョウコの耳に顔を近付けてささやく。
「泣いたことないのは本当だけど、恐くて固まってただけだぞ」
「聞こえてるんやけど」
ラクのジト目。
サナとキョウコはわざとらしい笑顔で誤魔化した。
「あのね、あのね。さっきから話してる“ちゅうしゃ”って、なに?」
オトウフが尋ねる。
「えっと、お注射っていうのは細い針を刺して、体の中にお薬入れるんやで」
キョウコが説明すると、真っ白なオトウフが真っ青になった。
「ええ。なんだか痛そう」
「ちょっとチクってするだけやで。そういえば、ウサちゃんって予防接種受けんとあかんのかな?」
キョウコはスマートフォンを取り出して調べる。
「あ、ウサちゃんは特に受けなきゃいけない予防接種はないんやって」
「僕は注射しなくていいってこと?」
オトウフはキャリーバッグの中から、潤んだ瞳でキョウコを見上げる。
「うん。元気やったら、お注射はいらんで」
「ああ。よかった」
オトウフはホッと息を吐いた。
鳥取駅でバスに乗り換える。日の丸自動車が運行する鹿野営業所行きのバスだ。
キョウコとラクが二人掛けの座席。サナは通路をはさんだ一人用の席に座った。
バスは駅前を離れ、しばらく都会的な景色の中を走った後、石州瓦|(島根県石見地域で生産されている赤褐色の瓦)の屋根が並ぶ町並みを抜ける。
キョウコは徐々に睡魔に襲われ、いつの間にか眠りに落ちていった。
どのくらい眠っていたかわからない。
声が聞えてきて、目を覚ました。
ラクとオトウフが話しているようだ。キョウコは目をつむったまま会話を聞く。
「僕は神様の遣いなのかな」
オトウフが尋ねる。
「可能性は高いと思う。化けウサギは私たち化けギツネよりずっと数が少なくて、しかもほとんどが神様の遣いやから。まあ白兎神様なら、何か知ってはるやろ」
「その白兎神様って、なんの神様なの?」
「それから縁結びの神様やね」
「縁結び? 人と人を仲良しにするってこと?」
「まあ、簡単に言うとそやね」
「僕も、誰かを仲良しにできるのかな」
そこで、キョウコは目を開いた。
すると、視界には真っ青な海が広がっていた。
「わぁ、海や」
キョウコは思わず声を漏らす。
バスは海沿いの道を、気持ちのよい速度で走っている。
夏の日本海は波も穏やかだ。
アナウンスが流れる。
『次は白兎神社前、白兎神社前』
サナは手を伸ばし、降車ボタンを押した。
「キョウコおきたか。次降りるぞ」
バス停に止まり、キョウコ達と、数人の観光客が降りる。
青い空。入道雲。
バスが走ってきた緩く曲がった道路があって、その向こう側には白兎海岸。砂浜に真っ白な波が押し寄せる。
そして、海岸に背をむけて振り返ると、そこにあるのが道の駅。
「神社はこの道の駅の裏にあるんだ。行こうか」
歩き出そうとするサナを、
「待って」
キョウコが止めた。
「ちょっと、お手洗い行ってきていい?」
キョウコはオトウフの入ったキャリーバッグをサナに預けると、道の駅へと駆けていった。
キョウコの背中が見えなくなったところで、サナの服の裾を誰かが引っ張った。
顔をむけると、そこには小学校三、四年生くらいの男の子が立っていた。ボトムズは短パン、上はTシャツに半袖のパーカーを羽織っていて、そのフードにはうさ耳がついている。
男の子は控えめにサナを見上げた。
「サナちゃん……だよね……。会いたかった」
一方。
キョウコはお手洗いで用を足して、道の駅の出口へむかう。
お土産屋さんや、喫茶店『すなば珈琲』がある。
そして、隅っこに動物のケージが置かれている。説明によると、ウサギ駅長の縁くんがいるらしい。
ちょっと見ていきたいなと思ったが、サナ達を待たせているので我慢することにした。
あとで時間があれば寄りたいな。
そう思ってよそ見しながら歩いていると、
ドンっ!
誰かにぶつかった。
「ご、ごめんなさい」
キョウコは慌ててぶつかった相手を見る。
相手は若い男性だった。
「い、いや。こっちこそごめん。考え事してた」
男性はそう言ってそそくさと去っていった。
キョウコが施設の外に出てくると、サナ達はベンチの座っていた。
サナとラク。キャリーバッグに入ったオトウフ。そしてもう一人、知らない男の子がいる。
キョウコは近付いていって、声をかけた。
「お待たせ。その子、サナちゃんのお友達?」
キョウコが声をかけると、男の子は恥ずかしそうにフードを深くかぶり、小さな声で言った。
「白兎神……です。えっと、ここの主祭神……です」