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コンと狐と  作者: 千曲春生
幕間
180/222

一六〇〇年前の話

※本エピソードは創作であり史実に忠実ではありません。また学術的な仮説を提唱するものでもありません。

 ずっとずっと昔。

 一六〇〇年くらい昔。

 私は当時、海の向こうの大陸にいた。

 狩猟の時代が終わって農作の時代がはじまると、多くのヒトが豊穣を願うようになっていった。その想いの集合体として私は生まれた。

 私はある小さな集落で豊穣の神として崇められていたのだ。

 当時の私は、現在よりはるかに弱い力しか持っていなかったし、飢饉を招いてしまったこともあった。

 それでも、人々の想いに応えようと必死に力を振う。

 基本的にはヒトの前に姿を現すことはなかったが、ときおりヒトの前に姿を現し、神としての助言をした。


 集落の外れにある小高い丘。

 切株に腰かけて見渡すと、広がる田畑で住人たちが農作業にいそしんでいる。

 今年は豊穣のようだ。

 私はホッと胸をなでおろした。きっと今年の冬は集落から餓死者は出ないだろう。

「お姉さん、なにやってるの?」

 ふと声がして顔をむけると、一人の少年が立っていた。

 そうえいば、姿を隠すのを忘れていた。私は少年に笑顔をむけた。

 この少年は集落の(おさ)の息子だ。

「仕事を手伝わされるのが嫌で逃げてきたのですか?」

 図星のようだ。少年の表情がそう語っている。

「お姉さん、見ない顔だね。誰?」

「私は、あなたが生れるずっとずっと昔からここにいましたよ。あなたのことだって、あなたのお父さんだって、あなたのお爺さんだって知っています」

 私はちょっとからかってやろうと、イタズラっぽい笑みを浮かべた。

「この前、一人で山に入って、小鹿に驚いて腰抜かしてたでしょ。後で恥ずかしくなってみんなには秘密にしているみたいですが、私はちゃんと見てましたよ」

 少年は顔を真っ赤にする。

「お、お姉さん何者だよ」

「大丈夫ですよ。あなたのお父さんも、お爺さんも、似たような感じでしたから」

 私はそう言いながら姿を消す。

 そこにはただ、驚きの表情をうかべる少年一人が残された。


 十年後。(いくさ)がおこった。

 村同士の小競り合いだの、盗賊の襲撃だのとは違う、国と国とのとても大規模な争いだった。

 それまで住んでいた土地も戦火に焼かれ、人々は故郷を捨て、旅立つこととなった。私もそれに同行した。

 神とは、崇めてくれる者がいるからこそ神となる。崇めてくれる者についてくのが道理だ。

 難民たちの指導者はあの少年だった。もっとも、もう青年と呼ぶべき年齢になっていたけれど。

 次第に、別の集落の難民も合流し、旅の一団はどんどん大きくなっていった。

 彼は、自分こそかつてこの地にあった国の皇帝の子孫であると主張し、様々な集落から集まった様々な思想のヒトをまとめ上げた。

 やがて海に辿りつた私たちは、この海を越えたむこうにあるという島国へ行くことになった。

 外交上の事情で海を渡るのに相当苦労したようだけど、彼は相当努力し、最終的には一団の全員が島国へ渡ることを許された。


 弓月君(ゆづきのきみ)

 島国で彼はそんな名で呼ばれた。

 弓月君と、彼が連れてきた民は渡来人と呼ばれ、この島国に多くの知恵を技術をもたらした。

 (かいこ)を育て、絹糸を生産できるようになった。

 河に(せき)を造って大地を潤し、荒れ地を田畑に変えた。

 弓月君は領地を得て、政治的にも力を持つようになっていた。

 融通王。それが彼の二つ名だ。

 私は大陸の時と変わることなく、彼や、彼の領地の住民から豊穣の神として崇められていたし、私も神として力を尽くした。元々この地にいた小さな神々と融合し、以前よりも強い力を持つようになっていた。


 平野に広がる田園地帯。稲穂は順調に育っている。

 弓月君は太い木の根元に腰かけ、その様子を見渡す。

 彼は当時の感覚で老人と呼ぶべき年齢になっていた。

「ここまで、付いて来てくれていたんだね。女神様」

 私は彼の横にそっと座った。

「蛇に腰を抜かしていた頃とは見違えるほど立派になられましたね」

 弓月君は少しうつむく。

「立派。そうか。祖先から守り抜いてきた土地を捨て、民には多くの苦労をかけた。私のしてきたことは立派なことだったのだろうか」

 風が吹き抜け、稲穂を揺らした。ざわざわと心地よい音がする。

「愚かな君主なら、民は海の向こうまでついてきませんよ」

 弓月君は満足げにうなずいた。

 そのとき、むこうから一人の男の子が走ってくるのが見えた。

「お爺様、お父様が探していますよ」

 その男の子は弓月君の孫だった。

「女神様、どうか、私の願いを訊いてくれないか?」

 私は小さくうなずく。

「はい。なんなりと」

「どうか私の子孫と、それに仕える者たちを守り、未来永劫、決して飢えることのないよう、豊穣をもたらしてくれませんか?」

 私はそっと、弓月君の手に自分の手を重ねた。

「その願い確かに聞き届けました。神として力の及ぶ限り、恵みをもたらします」

 私が言うと、弓月君は口元に笑みを浮かべ、眠りについた。


 そして、おおよそ一六〇〇年後の現代。

「ウカさん、大丈夫ですか?」

 私はコンちゃんの声で我に返った。

 ここは『和食処 若櫻』の店内。少し時間ができたから様子を見に立ち寄って、コンちゃんと雑談をするうちに回想に浸ってしまった。

「ねえ、コンちゃん。なんでもいいから美味しいものつくって」

 私が言うと、コンちゃんは笑顔でうなずき、冷蔵庫の中を調べはじめる。

「なに系がいいですか?」

「う~ん、そうだね――」

 私は返事をしながら自分の手を見つめた。あのときの弓月君の手の感触は今でも思い出せる。

【参考資料】

・お稲荷さんの正体(著:井上満郎 株式会社白泉社 2018年3月19日初版発行)

・カラー版 イチから知りたい! 神道の本(著:三橋健 株式会社西東社 2014年8月20日初版発行)

・京都市歴史資料館情報提供システム フィールドミュージアム京都 都市史01 秦氏(https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi01.html)

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