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コンと狐と  作者: 千曲春生
幕間
179/222

サナとキスしたい話

 星空が夜空を照らし、微かな風が海辺の彼と彼女の心を揺らす。

 月明かりが波を照らす。その光の揺らめきが彼女の瞳にきらめていた。

 彼は穏やかな笑顔を浮かべ、彼女の手を取った。

 手を握る瞬間、二人の心は一つになるような感覚に包まれた。彼はゆっくりと彼女に近づき、瞳を見つめる。

「君は本当に特別だね。こんな美しい夜に、君と一緒にいることができて幸せだよ」

と彼が囁くと、彼女は微笑みながら照れくさそうに頷く。

 そして、彼は彼女の頬に指で触れ、やさしく唇に近づく。

 初めてのキスの瞬間、二人の心臓は一瞬だけ停止したような感じがした。

 甘くて柔らかな感触が広がる。

 二人は驚きとともに、その温かさに包まれていく感覚に気づく。キスは深まり、心が次第に一つになっていくような気持ちになった。

 キスが終わると、彼は彼女を見つめながら微笑む。

「君とのこの瞬間が、僕にとって大切な思い出になるよ」

と言いながら、再び彼女の手を取った。


 パッコーン!

 ベットにうつぶせで寝そべり漫画を読んでいた少年、徳田ショウタは後頭部を叩かれた。

「痛い!」

 顔をむけると横に妹が立っていた。鬼の形相で、手には丸めた大学ノート。

「イタいのはお兄じゃ! なに私の部屋で漫画読みながらブツブツ言っとるんじゃ。キモい」

 妹はもう一度、丸めたノートでショウタの後頭部を叩いた。

 そう。

 現在ショウタがいるのは妹の部屋。そして、寝そべっているのは妹のベット。読んでいるのも妹の本棚にあった少女漫画。

 ちなみにその漫画は恋愛もので、デートをしてその最後にファーストキスをするというシーンだった。

 ショウタはゆっくりと立ち上がると、漫画を本棚に戻した。すかさず妹はベットにファブリーズを吹き付ける。

「なあ、お前ってカレシいる?」

 ショウタが尋ねると妹は再びノートでショウタの頭を叩いた。

「さっさっと出てけ! このダラ!」


 自室に戻ったショウタは自分のベットに寝そべり、天井を見上げる。

 スマートフォンの画面を見る。写真フォルダを開くとそこにはある女の子の写真が大量に保存されていた。

 長尾サナ。

 二つ年下の女の子。

 はじめて見たときから、可愛いなって思ってた。

 気が付くと、サナのことばかり考えるようになっていた。

 そして、思い切ってラブレターを送ったのだが、結果は撃沈。

 だけど、そのあと色々あって、なんやかんやそこそこ仲がいいと思っている。

 スマートフォンの中のサナは、明るい笑顔をショウタにむけている。

「サナちゃんの唇、柔らかいのかな……」

 ショウタはつぶやいた。


 次の日、学校。

 春が過ぎ、日に日に暑くなる教室。

 授業中、ショウタは大きなため息をついた。

 昨日読んでいた漫画だと気になるあの子は同じクラスで、席が隣同士で、教科書を忘れたからって、机をくっつけて二人で一冊を見たりしちゃったりしたりしているけど、現実はそんなことあり得ない。

 だって、サナは二つ下の学年だもん。

「もうすぐ夏休みだから、お前たちは本格的に受験モードになっていかないといけないんだぞ」

 男性教師の声。

 そう。ショウタは中学三年生の十四歳。

 今年の夏休みは受験勉強で忙しくなるんだろうから、サナとあまり会えなくなるかもしれない。

 次に会ったら遊びに行こうって誘ってみようかな。

 ショウタの脳裏に、昨夜読んでいた漫画が浮かぶ。

 デートをして、その最後にキスをする。

 そう、キスをする。

 サナとキス。

 サナの柔らかそうな唇に、自分の唇を重ねて……。

 いやいや。

 まだそんな関係性じゃないだろ。がっつきすぎると嫌われてしまう。少しづつ関係性を積み重ねていかねば。

 ショウタは妄想を振り払う。

 とにかく、キスは出来なくてもサナと遊びには行きたいな。誘ってみよう。

「徳田。おい徳田ショウタ、聞いてるか?」

 教師がすぐ横に来ていても気がつかない。

 パッコーン!

 頭を叩かれた。


 休み時間、ショウタは廊下を歩いていた。

 すると、前から歩いてきたのはサナだった。

 二人の友達と談笑しながらやってくる。

 サナとその友人もショウタに気付いたようで、足を止める。

 友人二人はサナに何か耳打ちすると、足早に去っていった。この場にいるのはショウタとサナだけになる。

「や、やあ。サナちゃん」

 ショウタはぎこちなく挨拶する。

「おう。ショウタ」

 サナは挨拶を返してから、話題を探すように目を泳がせ、ゆっくりと言った。

「そういえばショウタ、もうすぐ大会だな」

 ショウタは陸上部。

 今度の大会で勝ち残って全国大会に進めなければ、これが中学最後の大会ということになる。

 そして、ショウタはこれまでずっと予選落ちだ。

「うん。頑張るよ」

 ショウタは少し考える。

 さっきの授業中に考えていたこと。そう、サナを遊びに誘ってみるのだ。

 ショウタは慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと口を開く。

 その瞬間、漫画のキスシーンが頭に浮かんできた。

「サナちゃん、オレとキスしよう!」

 なんか、勢いのままにそんなことを言ってしまった。

 やってしまった。そう思っても、一度口から出た言葉は取り消せない。

 沈黙、静寂、無言。

 サナはスポンジに水が染み込むように、ジワリとショウタの言葉を理解したようで、段々と顔を赤らめる。

「おおおっ、おまっ、おまっ、お前、なに言ってんだ、いきなり!」

「ごごごっ、ごめんっ。言い間違い。言い間違いだから。遊びに行こうって言いたかっただけ、それだけだから。キスしたいとか思ってないから」

「キスしたくないのか! 私とじゃイヤなのか!」

「そうじゃない。そうないって。出来るならしたいよ。すっごいしたいよ。サナちゃんとキス!」

「はっきり言うなー!」

「だってしたいものはしたい!」

「ショウタ、本気なのか?」

「オレは本気(マジ)だよ」

 再び沈黙。

 そこで、ショウタは決意した表情になると、サナの両肩を掴んで、まっすぐに視線を合わせる。

「サナちゃん。オレさ、今度の大会頑張るよ。頑張って優勝して全国行く。だから、もしオレが優勝したらキスしてくれ! な、な、いいだろ!」

「あ、ああ。優勝したらな」

 サナは勢いに押されて思わずうなずいてしまった。


 放課後、部活の時間。

「ウオォー」

 ショウタは走る。

 次の日も、

「ドリャー」

 ただひたすら走る。

 そのまた次の日も、

「オォォーリャー」

 まだまだ走る。

「徳田のヤツ、最近気合い入ってるな」

 顧問は満足げにウンウンとうなずいた。

 さらにショウタは家でも、

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」

 ひたすらスクワットなどの筋トレをやり続ける。

 その様子を妹は引き気味に見ていた。

「お兄が……お兄が壊れた」


 そして、一週間と数日後、大会当日。

 ショウタは鳥取市内の陸上競技場にいた。

 学校のグラウンドとは違う、合成ゴムのトラック。

 晴天の空から降り注ぐ初夏の日差し。

 着ているのは、練習で使うジャージではなく、学校名の入ったレーシングシャツにレーシングパンツ。

「On your marks(位置について)」

 審判の声で、ショウタはスタートライに立った。

 高鳴る鼓動を落ち着かせるように深呼吸する。

「Set(用意)」

 両手を地面につき、足をスターティングブロックに乗せる体勢。中学三年間で何度練習したかわからない、体に染みついたクラウチングスタートである。

 両隣の選手は目に入らない。視界に入るのは百メートル先のゴールのみ。


 パンっ!


 スターターピストルの音が響くと、頭で考えるより先に体が動き、スターティングブロックを力いっぱい蹴って、一気に飛び出す。

 どの選手より優れたスタートだった。

 ショウタは誰よりも先頭を走っていた。

 そして。

 そして、転んだ。


 すぐに立ち上がってゴールまで走ったものの、結果はもちろん最下位。

 陸上部のメンバーや、顧問が駆け寄ってきて、励ましの言葉をかけてくれたものの、ショウタの耳には届かない。

 一人でトボトボと更衣室に行き、ジャージに着替えると、荷物をまとめて重い足取りで陸上競技場を後にした。

 自分の競技が終わっても他の部員を応援するのが通例だけど、そんな気にはなれなかった。

「ショウタ」

 競技場を出たところで呼び止められた。

 顔を上げると、そこにはサナがいた。

「サナちゃん……来てたんだ」

「ショウタ、一緒に帰ろ」

 会話がないまま二人でバスに乗り、JRに乗り換え、若桜(わかさ)鉄道に乗り換える。

 タタン、タタンと規則的な音が車内に響く。

 ショウタとサナは窓に背をむけて座る座席に並んで腰かける。

 途中の駅で乗客が降りていき、車内はショウタとサナの二人っきりになった。

「オレ、かっこ悪いよな」

 ショウタはうつむき、絞り出すように言う。

「ショウタ。こっちむいて」

 サナの言葉に、ショウタはゆっくりと顔を上げ、サナを見る。

 サナは確かめるように周囲を見渡す。

「誰もいなくなったな。ジッとしてろよ」

 サナの顔がどんどん近付いてくる。

「さ、サナちゃん?」

「恥ずかしいから、すぐ終わらすぞ」

 ショウタの鼓動が一気に高鳴る。また、サナも緊張していることが伝わってくる。

 サナの顔が、唇が、どんどんショウタの顔に近付き、そして、


 ペロリ。


 サナは自身の舌で、ショウタの頬の汗を舐め取った。

「な、何を!」

「優勝してないから、キスはしてやらない。でも、本気でいっぱい練習しれたの、全部見てた。よく頑張ったな、ショウタ」

 サナは恥ずかしそうに顔を真っ赤にしている。

「サナちゃん、ありがとう」

 ショウタは頬をなでた。まだ、サナの舌の感覚が残っている。

 列車は走っていく。

「そうだ、ショウタ。この前、スマホ買ってもらったんだ」

「ほんと。ライン教えてよ」

「ああ。いいぞ」

 カタン、コトンという規則的な列車の音に乗せて、会話は弾んだ。

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