偽善の話/セツキのある一日の話
◆◆◆偽善の話◆◆◆
鳥取県八頭郡若桜町。
桜もすっかり散り、木々は緑の葉に染まっていた。
気温も日に日に上がり、八東川の流れに涼しさを見出すようになった季節。
若桜駅からほど近い、古民家の様な雰囲気の『和食処 若櫻』の店内。
一人の老婆がいた。カウンター席に座り、温厚な性格がうかがい知れる表情を浮かべている。
「少しだけ、話させてもらっていいかしら。今まで誰にも言えなかったこと」
老婆がそう言った相手は、カウンターの内側、厨房になっている場所にいた少女がうなずく。
少女は中学生くらいで、左頬に大きな火傷の痕がある。この少女の名前は、コン、と言った。
コンは優しい笑みを老婆にむけた。
「はい。聞かせてください。あなたの想いを」
老婆はゆっくりと息を吐き、話しをはじめた。
「自分で言うのもなんだけど、私の家はそれなりにお金持ちでね、施設に毎月けっこうな額のお金を寄付していたの。時々、施設に行って子供達にも会った。私は子供には恵まれなかったから、施設の子供たちを自分の子のように思っていたわ」
老婆の話しを聞きながら、コンはかまどに置いた釜の蓋をあけた。
モワリと湯気。それが治まると、炊き立ての白ごはんが現れた。
コンはしゃもじを使って、白ごはんを桶に移していく。
老婆はその様子を見ながら話しを続ける。
「私は自分が良い行いをしていると信じていた。だけど、ある日ふと気付いたの。自分がやっていることはただの偽善だと」
コンは動きを止めた。
「どういうことですか?」
「私はお金を寄付しただけだもの。嫌な言い方だけど、もしも子供たちが不幸な人生を送ったとしても、私は誰かに責められたり、何かを失ったりすることはないの。『お前の育て方が悪かった』って言われないの。なのに、みんなの親になったつもりでいた。とんだ偽善よね」
老婆は自嘲の笑みを浮かべた。
コンは話しを聞きながら、手に塩をつけ、ご飯をにぎりはじめる。そう。つくっているのはおむすびだ。
調理台の上には小皿が並んでおり、そこには梅干しや鮭フレークなど、これから具材に使うものが並んでいる。
コンは手際よくおにぎりをつくり、次々と皿に並べていく。
「偽善なんかじゃない。私はそう思いますよ」
「そうかしら」
「あなたが子供たちに対して抱いていた気持ちは本物なんじゃないんですか」
コンは皿の上のおにぎりに海苔を巻き、たくあんを添えて老婆の前に出した。
「あなたの想いを受け取り、幸せな人生を送れたヒトもきっといるはずですよ。ありがとうございます」
老婆はゆっくりとおにぎりを手に取り、口に運んだ。
「そうね。そうだと、いいな」
☆☆☆セツキのある一日の話☆☆☆
新しい学校に通いはじめて三日目。
私、狩野セツキは放課のチャイムが鳴ると、リュックサックに教科書やノート、筆箱を詰めて背負い、教室を出た。
廊下を歩き、昇降口で下靴に履き替え、校舎の外へ。
自転車置き場へむかって歩いていると、
「せーつーきーちゃんっ!」
いきなり背中に何かがぶつかった。いや、誰かが飛びついてきたのだ。声からして女の子。
私はよろけたけど、なんとか持ちこたえた。
「超、難問! 私は誰でしょう?」
その誰かは私に抱きつきながら尋ねる。
「え、えっと、宮本さん?」
「せいかーい! さすっがセツキちゃん」
宮本さん。まだまだクラスメイトの顔と名前は覚えられていないけど、宮本さんは覚えた。
私の前の席で、初日から物凄く話かけてくる。
「セツキちゃん、もう帰るの?」
宮本さんは私の前に回り込みながら尋ねる。
「あ、はい。帰るつもりです」
「セツキちゃん、部活決めた?」
私は小さく首を横に振った。
先生からは、やはめに見学に行って部活を決めるように言われている。しかし、私はその一歩が踏み出せずにいた。もうすでに出来上がったコミュニティに入っていくのが恐い。
自分のそういうところが駄目だとは、わかっているんだけど。
「ね、美術部とか興味ない?」
宮本さんはそんなことを言ってきた。
「美術部?」
「うん。私、美術部なんだけど、部員少なくてさ。セツキちゃんが興味あったらどうかなって。これから見学にこない?」
美術部。絵を描くのは好きだし、いいのかも。でも、やっぱり恐いな。
「えっと、今日は、その……用事が……」
思わず口から出たのは、噓だった。
本当は用事なんてない。
「そっかそっか。まあ、また今度でもいいから、興味あったら見に来てよ」
宮本さんは「じゃあね」と言って小走りで去っていった。
なんだか、悪いことしてしまったな。
嘘をついてしまった罪悪感を抱いて駐輪場にやってくると、おじさんに借りた時点shの鍵を開けた。
三十分ほど自転車を漕いで、家に帰ってきた。車がない。おじさんは出かけているようだ。
「ただいま」
家に入り、玄関から廊下へ。
リビングが近付いてくるとおばさんのため息まじりの声が聞こえてきた。
「あ~。困ったわ」
リビングには、やはりおばさんがいた。
「ただいま」
「ああ、セツキちゃん。おかえり」
なんだか浮かない顔をしている。
「なにか、あったんですか?」
私が尋ねると、おばさんはゆっくりと口を開いた。
「実はね、これからちょっと若桜の友達のところにいって、受け取ってこないといけない物があったんだけど、急に大事なお客さんが来ることになって、あのヒトも出かけてるから、どうしようかと」
私は少し考える。
そして、思い切って言った。
「あの。私が行ってきましょうか? 私が行っていいなら」
本当は、おつかいなんて行きたくない。
買い出しならいいんだけど、知らないヒトのところに物を取りに行くなんて嫌だ。
だけど、おばさんが困っているのに自室に引きこもるのも気が引ける。
「本当、行ってくれる?」
おばさんの表情がパッと明るくなった。
「はい。行ってきます」
「ありがとう。むこうには電話しておくから」
おばさんは早速電話にむかっていった。
電車|(この辺りは汽車と呼んでいるヒトが多い)に乗って、終点の若桜駅で降りた。
体から魂が抜けてしまったとき、何度か来た町。
おばさんがメモ用紙に描いてくれた地図を見ながら歩き出す。
高森さんというヒトの家が目的地。
知らないヒトの家にいきなり行くのはすごく嫌だ。でも、ここまで来て引き返すわけにもいかない。
それに、学校で宮本さんに言った『用事がある』という嘘が嘘でなくなったことで、少し罪悪感も薄れた気がする。
呼び鈴を鳴らして、挨拶をして、用件を伝えて……という流れを何回も頭の中でシミュレーションしながら、目的地を目指す。
結果的に言うと、用事はすぐに終わった。
呼び鈴を鳴らすと、出てきたのは気のよさそうな中年女性だった。女性は私を見るなり、「ああ、セツキちゃんね。いらっしゃい」と言って、用件を伝えることなく話が進んだ。
おつかいの目的。受け取ってくる物は小包だった。大して重くないし簡単に持って帰れそうだ。紙袋に入れてもらった。
「汽車までまだ時間あるから、ゆっくりしていって」
そう言われたが丁重に断らせてもらい、駅へむかうことにした。
お土産に沢山お菓子を持たせてくれた。軽い紙袋が重くなるくらい。
あとは帰るだけ。気持ちは少し軽くなる。
駅へむかって歩いていると、それが目に入った。
『和食処 若櫻』
古びた木造建築。見た目は廃墟のようだけど、私は知っている。
ここは、コンさんのお店だ。
中にはコンさんがいるだろうか。
歓迎されるだろうか。
急に来ちゃったから、嫌な顔されちゃうじゃないだろうか。
でも、会いたいな。
私は気が付くと入り口のドアノブに手をかけていた。
そして、開ける。
カラン。
扉に取り付けたベルが音をたてた。
最後に来たのはそんなに前じゃないはずなのに、少し懐かしく感じる店内。
コンさんはカウンターの内側にいた。
「いらっしゃい。セツキちゃん」
コンさんは柔らかい笑みで迎えてくれた。
「こ、こんにちは。近くに来たから、寄ってみようと思って、あの、ごめんなさい。急に来ちゃって」
「ええんやで。ゆっくりしていって」
気のせいかもしれないけれど、コンさんも少し嬉しそうに見えた。
それから私は、電車の時間ギリギリになるまでコンさんと話した。
あんまりお喋りなつもりはなかったのに、コンさんと沢山お話しした。
「じゃあ、そろそろ帰ります」
私が立ち上がると、コンさんは小さくうなずく。
「うん。またいつでも来てな」
コンさんのその一言が嬉しかった。
家へとむかう列車の中。
カタン、コトンと響く音。
私は自然と口元が緩んでいた。
次の日の放課後。私は学校の美術室の前にいた。
大きく深呼吸。
そして、扉を開ける。
美術室には数人の生徒がいる。その中の一人は宮本さんだ。
宮本さんは私を見るなり駆け寄ってくる。
「セツキちゃん、来てくれたんだね」
「うん。私も、絵を描くの、好きだから」