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コンと狐と  作者: 千曲春生
コンと狐と春風の追憶
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今日を生きる者の話 その3

前回までのあらすじ

学校への想いの集合体が生みだした中学校の幻。

そこに集まるかつての生徒たちの霊。

セツキは生きたまま魂が体から抜け、学校に迷い込んだ存在だったのだ。

真実を知った直後、学校が消滅してしまった。

 テーブルを囲んで、皆で話し合う。

「先生はセッツンが死んじゃわないように力を貸してくれていたんでしょ? その学校がなくなったってことは、もうすぐセッツンは本当に死んじゃうんじゃ……」

 クミコが言った。

 誰も何も返事をしない。

 壁に掛けた時計の振り子がカチ、カチと音をたてる。

「ねえ、コンちゃん。セツキちゃんの体はどこにあるか、わかっているの?」

 やがて、アケミが静寂を破った。

「うん、市内の病院やって」

 アケミはセツキへと視線をむけた。

「セツキ。急だけど、もう帰ろうか」

 セツキは気まずそうに目をそらす。しかし、反論はしなかった。


 バスはまっすぐな果樹園の間の道をガタゴトと走っていく。

「楽しかったね」

 クミコが言った。

 横に座るセツキは、小さくうなずく。

「私もキヨッシーも本当はお婆ちゃん、お爺ちゃんだし、アケミンは中学生だけど、六〇年前の中学生だしさ、でもセツキちゃんが寂しくならないように、みんなで今の中学生のフリしてたんだ。結構大変だったんだ。ま、楽しくもあったけど」

 幽霊は鏡に写らない。なのに、バスの窓にクミコの横顔が写っているように見えた。

 中学生のクミコではなく、老婆となったクミコの姿が。

 セツキは何かに気付いた。

「もしかして、老人ホームのお婆ちゃん」

 クミコはゆっくりとうなずいた。

「うん、そうだよ」


 かつて、セツキが暮らしていた養護施設。その近くには老人ホームもあり、一度交流会があった。

 子供達みんなで老人ホームを訪れたのだ。

 人付き合いが苦手なセツキにとってはあまり楽しいイベントではなかった。

 子供たちがそれぞれ老人たちと交流しているなか、セツキは上手くその輪に入ることが出来ず、一人、ぼんやりと窓の外を見ていた。

「セツキちゃんも、お爺さん、お婆さん達とお話ししないの?」

 話し掛けてきたのは、セツキが暮らす児童養護施設の先生だった。

「えっと、あの……」

 セツキが言いよどむと、先生の口調は険しくなる。

「セツキちゃん、あなたは本当に……はぁ。どうしていつもみんなと同じことが出来ないの?」

 セツキはうつむき、体を小刻みに手を震わせる。その手は、細かい切り傷や擦り傷が沢山あった。

「ほら、セツキちゃん」

 それでも先生はセツキの背中を叩く。

「……トイレ」

 何とかセツキが口から発した言葉はそんなものだった。

「……トイレ、行かせてください」

 先生は大きなため息をつく。

「ほら。さっさと行ってきなさい」

 セツキは小走りでその場を後にした。


 本当にトイレに行きたかったわけではない。ただ、あの場にいたくなかっただけ。

 セツキはトボトボと廊下を歩く。

 廊下の途中には大きな窓があった。中庭が見える。

 少し視線を上げると、中庭の木に小鳥が来ているのが見えた。

は、一羽の小鳥が止っている。メジロだ。

「何か見える?」

 そこに老婆がいた。

 老婆は車いすでセツキの横までやってくる。

「あ、えっと……」

 セツキは返事に困っていると、老婆はしばらく窓の外を見て、じっと目をこらす。そしてニコリと笑顔を浮かべた。

「ああ。あそこに鳥がいるのね。あれはウグイスかしら?」

 セツキは小さく首を横に振る。

「あれ……メジロ……です」

 セツキが言う。

「そう。あれがメジロ。この辺りにもいたのね。知らなかったわ。嬉しいことね。この年になっても、まだ新しいことを学ぶことが出来る」

 老婆はそっと、セツキの手を見た。そこには、無数の切り傷や擦り傷がある。

「あなた、名前は?」

「……セツキです。狩野セツキ」

 老婆はセツキに微笑みかけた。

「ねえ、セツキちゃん。私とお喋りしない? なんでもいいよ。セツキちゃんの好きなこと、好きな物、最近楽しかったこと。なんでもいいからさ、教えて」

 いつの間にか、メジロは二羽になっていた。二羽は仲睦まじそうに羽繕いをしあっていた。


 バスの車内。

 中学生の姿のクミコはニッと笑う。

「やっと思いだしてくれた」

「どうして、あのとき声をかけてくれたの」

 セツキが尋ねると、クミコは窓の外へと目をむける。

 流れる車窓。

 春の暖かい日差しに照らされた田園風景が流れていく。

 クミコはまるで景色に話し掛けるように口を開く。

「心の底から女優になりたかったはずなのに、諦めちゃったんだ。チョイ役で出た初舞台で大失敗して、それで恐くなって」

 クミコはセツキに顔をむけた。

「年を取って、病気して、歩けなくなって、もう、このまま死ぬんだろうなって、はじめて後悔が強くなったの。なんであそこで諦めちゃったんだろうって。もっと頑張れたはずなのに、って」

 アケミは「だから」と言いながらセツキに顔をむける。

「だから、女優として名前を残せなかった代わりに、誰かの心に残り続けるようなことをやってやろうって思って、セッツンに声をかけたの」

 アケミは笑顔を浮かべた。

「セッツンを助けてあげたかった、って言ってほしかった? ごめんね」

 セツキはゆっくりと首を横に振った。


 バスは鳥取市の市街地に到着する。

 コン達はバスを降り、少し歩いて総合病院に到着した。

 エレベーターで病室が並ぶフロアに到着する。

 そして、廊下を歩き、病室に入る。

 ベットに、一人の患者が横たわっていた。

 その患者は意識を失っているらしく、呼吸に合わせて微かに胸が上下する以外は一切の動きがない。

 点滴が繋がれており、心電図モニターが規則正しくピッ、ピッ、ピッと音をたてる。

 患者の枕元にはネームプレートが差してある。そこに書かれた名前は『狩野 雪姫』だった。

 そう。患者は短髪の少女――狩野セツキだったのだ。

「……私が、いる」

 自分の体を見下ろしながら、セツキはつぶやいた。

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