今日を生きる者の話 その1
前回までのあらすじ
『和食処 若櫻』でお泊り会をすることになったコンとそのクラスメイト。
その最中、セツキは自分たちが幽霊であることを知り、ショックのあまり倒れてしまう。
コンはセツキを看病しつつ、改めて真実を告げる。
日が暮れ、すっかり暗くなった。外では雨の音、雨どいを流れる水の音がする。
店の二階、元住居スペースの和室に布団を敷き、セツキは横たわる。
「……ごめんなさい。ちょっと、ビックリしちゃって」
セツキは力なく言う。
「そりゃそうやんな。いきなりあんな話ししたら、ビックリするやんな」
コンは水で濡らした手ぬぐいをセツキの額に乗せた。
「不思議なことが、いっぱいありました」
セツキはゆっくり語り出す。
「山にバードウォッチングに行って、足を滑らせたところまでは覚えてます。気が付くと学校にいて、先生や、アケミさんや、キヨシさん、それからクミコさんがいて、普通の学校のように授業を受けて、放課後になって、校門をくぐると、記憶がなくなって、気が付くと次の日の朝になっているんです」
コンは相づちをうちながら、セツキの髪を優しく撫でる。
「最初は戸惑いました。でも、みんな優しくて、施設でイジメられていた頃とは全然ちがったから、ずっとこのままでもいいかなって、段々と何も考えないようになって、ずっとこのままならいいのにって、思うようになっていったんです」
雨の後が、シトシトと聞こえる。
「もしも天国があるなら、みんな一緒に逝けたらいいな」
セツキがそう言うと、コンは迷うように視線を左右に動かすが、
「セツキちゃん。セツキちゃんには、もう一つ、黙ってたことがあんねん」
「へ?」
「私たちは、幽霊。体から切り離された魂だけの存在。私の体も、今は灰になってお墓の下やと思う。でも、セツキちゃんは違うねん」
コンはまっすぐな視線を、セツキにむけた。
「セツキちゃんはな、まだ生きてる。ただ、体から魂が抜けてしまっただけ。だから、まだ帰れるで」
セツキはコンから視線をそらした。
「もしも、もしもずっと体に戻らなかったら、どうなるんですか?」
「時間が経てば、魂と体の繋がりは切れて、完全に死んでしまう。本当やったら、セツキちゃんはとっくに死んでんとおかしいくらいの時間、体から離れているんやけど、なぜかまだ繋がりが残ってるから、だから、まだ、生きていられんで」
セツキは驚きの表情を浮かべた。
そして、すぐに悲しそうな顔になる。
「ごめんなさい。ちょっと、頭を整理したいから、一人にしてもらっていいですか?」
コンは立ち上がり、セツキにタオルケットをかける。
「電気、どうする?」
「オレンジのだけ」
コンは部屋の灯りをオレンジの常夜灯だけにすると、出ていった。
セツキは天井に手を伸ばす。
常夜灯に照らされたその手は、微かに透けていた。
「私、死にたいのに」
夢を見た。
学校の教室。
アケミ、クミコ、キヨシ。それからコン。
みんな教室にいて、先生の授業を受けている。
それだけの夢。
なのに、とても幸せな気持ちになった。
ずっと、こんままでいたいと思った。
目を覚ます。眠ったのはいつ以来だろうか。
ずっと、夕方になって学校を出ると、いつの間にか朝の学校になっている毎日だったから。
丸い蛍光灯。オレンジの常夜灯。スイッチの紐が揺れているのは、開け放した窓から入る風のせい。
セツキは布団の上で上体を起こす。
耳を澄ませば、部屋の外から微かに物音がする。
布団を出た。
階段を降りると、かつて飲食店だったというスペースが広がる。
カウンター席にはアケミ、クミコ、キヨシの三人がいた。コンはカウンタの内側の厨房にいる。
みんな、ニコニコと笑顔でセツキを見ている。
「おっはよー。セッツン」
最初に声をかけたのは、クミコだ。
「お……おはようございます。昨日は、ごめんなさい」
セツキは気まずくて、目を伏せる。
「もう大丈夫? あんな話し聞いたら、びっくりして当たり前よね」
そう言ったのはアケミだ。
「はい。もう、大丈夫です」
セツキの表情は、それほど明るいものではなかった。
「とりあえず、朝ご飯にしよか」
コンが言った。
みんな横並びで朝ご飯。
カウンターテーブルの上に並ぶ白米、味噌汁、そして出汁巻き。
セツキは丁寧な箸使いで出汁巻きを一切れ摘まみ上げる。
ムラの無い黄色。光って見えるほどの艶。
そっと口に入れると、一気に広がる卵と出汁の味。
「口に合うかな?」
コンはセツキの表情をうかがいながら尋ねる。
その途端、セツキの脳裏に声が蘇った。
男性の声。父の声だ。
「口に合うかな?」
セツキの口から、思わず声が漏れる。
「……お父さん」
クミコが不思議そうに尋ねる。
「お父さんって、セッツンのお父さん?」
セツキは小さくうなずく。
「この出汁巻き、お父さんの出汁巻きの味に似てて」
キヨシも出汁巻きを一口食べる。
「セツキちゃんのお父さん、料理上手なんだね」
セツキは箸を皿の上に置いた。
「料理だけは上手でした。でも、ヒトとしては最低で、世界で一番嫌いなヒトでした」
そこで、ハッとしたようになる。
「あ、あの、コンさんはとってもいいヒトだと思います。料理もとっても上手です」
若桜駅の近くにから、学校へ。
コンが暮らしている長尾家の主婦、ノノが車で学校まで送ってくれることになった。
みんな乗れるミニバンだ。
八東川と山々にはさまれた道。河にそって右へ左へ曲がりくねった道を軽やかに走っていく。
「みんな、楽しかった?」
ハンドルを握るノノはミラーで車内の様子を見ながら尋ねた。
「はい。ありがとうございました」
アケミが返事をする。
やがて車は脇道に入り、山へと分け入っていく。
そして、開けた場所に出た。
ノノは車を停めると、後ろの座席を振り返った。
「あれ? 学校って、ここじゃなかったっけ」
後部座席の面々も、困惑したように顔を見合わせる。
「ここに学校、あったはずなのに」
アケミが言った。
そこは、ただ草が生えているだけの広場だった。