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コンと狐と  作者: 千曲春生
コンと狐と春風の追憶
167/222

美味しいケーキの話

 若桜町の最東、戸倉峠へと延びる国道29号線。

 田園風景の中のその道を、トタタタタと郵便屋さんや新聞屋さんを思わせる音を響かせながら一台のスーパーカブが走っていく。

 カブは二人乗りで、後ろの荷台部分に座布団を敷いてまたがっているのがコン。

 そして、ハンドルを握っているのはサクだ。

 サクはコンが身を寄せている長尾家の住人で、家長であるミウの妹である。

「学校はどう?」

 サクはエンジンの音に負けないように大きめの声で尋ねる。

「なんか、久しぶりで、少し懐かしいような、不思議な感じです」

 コンも大きめの声で返事をした。

 カブは細い脇道に入り、目に映る景色は田園から山林へと変化する。

 しばらく走ると、前方の道路脇を一人の中学生が歩いているのが見えた。

 クラスの学級委員、アケミだ。

「サクさん、停めてもらえますか」

 コンが言うと、サクは緩いブレーキをかけて停車した。

 そこで、アケミはコンの存在に気付いた。

「おはよう。コンちゃん」

 アケミが声をかける。

「おはようございます。アケミさん」

 コンはカブを降りて、ヘルメットを脱いだ。

「コンちゃん、バイク登校? かっこいいね」

「家からだとちょっと距離があるので、送ってもらってるんです」

 コンはヘルメットでぺったんこになった髪を手櫛で整えた。

「コンちゃんのクラスメイト?」

 サクが尋ねる。

「あ、はい。同じクラスのアケミさんです」

 続いてアケミにサクを紹介する。

「私が住ませてもらってる家に一緒に暮してるサクさんです」

 サクはカブにまたがったまま会釈する。

「こんにちは。コンちゃんの保護者的なサクです」

 アケミはまっすぐに、ジッとサクの顔を見つめる。その表情には驚きの感情が含まれているようだった。

「あれ、どうしたの?」

 サクが尋ねると、アケミは落ち着いた様子で首を横に振った。

「ごめんなさい。知り合いに似ていたので、どこかで会ったかなと考えちゃいました。でも、気のせいでしたね。初めまして、平家アケミです」

 少し早口だった。


 コンはその場でサクと別れて、ここから学校まではアケミと歩いていくことにした。

「キヨシさんは?」

 コンが尋ねる。キヨシとはアケミの弟である。

「うーん。なんか用事があるからって、はやめに出ていった。昨日も遅くまで学校に残ってたし、なんだろうね」

 山の奥。

 木々のざわめきと、鳥の声だけが聞こえる道を歩いていく。

 アケミはふと思い立ったように口を開く。

「コンちゃんって、なんかややこしい家庭事情なの? さっきのサクさんって、お母さんって感じじゃなかったし」

「私、元々京都の養護施設の出身で、色々あって今は若桜町の家でお世話になってるんです。だから、今、暮らしている家のヒト達とは、みんな血は繋がっていないんです」

 コンはそこまで言って、笑顔を浮かべた。

「でも、みんなとっても優しいです」

 すると、アケミはコンのモジャモジャの髪を撫でた。

「おーよしよし。コンちゃんも色々苦労したんだねー」

「え、そんな、苦労したってほどでは……」

 コンはそう言いつつも、ちょっと嬉しそうだった。

 一通りワシャワシャし終えると、アケミは声のトーンを落として真剣な雰囲気になる。

「コンちゃん、セツキちゃんもね、なにか事情があって、遠い親戚の家でくらしているんだって」

 セツキとは、クラスメイトの一人で、無口で大人しい女の子だ。

 アケミはコンの耳に口を近付け、囁くように言った。

「コンちゃん、セツキちゃんと仲良くしてあげてね」

 アケミは真剣な眼差し。コンは小さくうなずいた。


 山奥にある、古びた木造校舎。

 歩く度に軋む廊下を、コン達はあるいていく。

 教室は沢山あるが、そのほとんどは使っていない。

 一年生のコンと、三年生のアケミも同じ教室へとむかう。

 教室が近付くにつれて、声が聞こえてきた。

「いい。コンちゃんが入ってきたら、せーの、だよ」

 声の主は男の子、キヨシだ。

「うん、大丈夫だよ。セッツンは?」

 続いてひときわ大きな声。クミコである。

「……うん。大丈夫……です」

 クミコとは真逆の、消えてしまいそうな小さな声。セツキである。

 廊下を歩いていたアケミは足を止めたので、コンも立ち止まる。

「コンちゃん。みんな何か企んでるみたいね。聞こえなかったフリしてくれる?」

 コンは笑顔でうなずいた。

 まずアケミ、続いてコンが教室に入る。

 その途端、

「ようこそ、コンちゃん!」

 全員が声を合わせて言った。コンより数秒先に教室に入ったアケミまで加わっていた。

 コンを皆が笑顔で取り囲む。

 代表して、キヨシが口を開く。

「えっとね、コンちゃんが転校してきて、そのお祝いにケーキ作ったんだ」

 キヨシの机には、ホールケーキが置かれていた。

 真っ白な生クリーム。真っ赤なイチゴ。中央のチョコプレートには『ようこそ 紺ちゃん』の文字。

 お店で買ってきたと言われても疑わないケーキがそこにあった。

「へ、これ、キヨシさんがつくたっん? めっちゃ凄い!」

 コンは目をパチクリさせながら、まじまじとケーキを見つめる。

「じゃあ、切って食べようか」

 キヨシがケーキを皿ごと持ち上げ、歩き出す。

 その時だ。

 キヨシが足を滑らせ、ケーキが宙を舞う。

 まるで、スローモーションのように、全ての動きがゆっくりに見えた。

 ケーキはまっすぐにセツキへとむかっていく。直撃するかと思われたが、

「危ない!」

 コンがセツキの前に飛び出した。

 ケーキはコンの胸元にあたり、そのまま床へと落ちる。

 セーラー服にベットリとクリームがついた。

 皆、呆然とコンと床に落ちたケーキを見つめる。

 そこで、担任の池田先生が教室に入ってきた。

「皆さん、おはようございます。あら、どうしたの?」


 保健室。

 コンは体操着に着替えた。上が長袖のジャージで、下がハーフパンツ。

「……コンさん……ごめんなさい」

 セツキは申し訳なさそうにうつむいている。

「セツキちゃんは悪くないで。謝らんといて」

 コンはそう言って笑顔をむけた。

「そうよ。全部あのバカ弟が悪いんだから」

 アケミの言葉に、コンは苦笑いを浮かべる。

「え、えっと、キヨシくんも悪くないんちゃうかなって……」

 ガラガラと音をたて、入り口の引き戸が開きかけて、

「開けないで!」

 アケミが慌てて押さえた。

「ちょ、お姉ちゃん、なんで抑えるの」

 開けようとしていたのはキヨシだった。

「まだコンちゃんが着替えてる!」

「あ、ごめん」

 キヨシがパッと手を離したので、アケミは勢い余って転びかける。

「もう着替え終わったから、平気やで」

 コンが言うと、キヨシはゆっくりと扉を開け、保健室に入って来た。

「本当にごめん。その、ケーキぶつけちゃって」

 コンはゆっくりと首を横に振る。

「ううん、気にせんといて。また今度、ケーキ食べさせてな。あれ、すごい美味しそうやったから」

「今度と言わずに、今日食べましょー」

 そう言いながら保健室に飛び込んできたのは、池田先生。

「でも、ケーキは床に落ちちゃったし」

 キヨシはうつむく。

「みんなで作ればいいじゃない。材料はまだあるんだし」

 先生はさも当然のように言った。

「先生、授業はいいんですか?」

 アケミはあきれ気味。

「いいのよ。私達は必死に勉強する必要なんてないんだし、みんなの親睦を深める方が大事だよ」


 と、いうわけで家庭科室に移動した。

 先生が用意してくれたエプロンをつけて、ケーキを作りはじめる。

「道具も材料も、なんでも使っていいから」

 先生はそういう。実際、家庭科室にはケーキを作ってくださいと言わんばかりに道具と材料が揃っていた。

「じゃあ、作っていきましょうか」

 アケミが言うと、

「おー」

 クミコも乗り気だ。

「じゃあ、キヨシとコンちゃん、よろしくね」

 アケミが二人の肩をたたく。

「へ? 僕たち」

「私も、クミコも、セツキちゃんも、ケーキ作ったことないから、キヨシとコンちゃんが頼りなの。コンちゃんもお料理得意って言ってたよね」

 コンとキヨシは顔を見合わせ、うなずいた。


 まずはスポンジ作り。卵と砂糖、牛乳にバター、そして薄力粉を湯せんにかけながらまぜ合わせ、型に流し込むとオーブンで焼く。

 スポンジが焼きあがると、あら熱をとり、泡立てた生クリームを塗って、イチゴを乗せる。

 キヨシとコンが中心になり、他の面々にも指示を出しながらケーキを作っていく。

 みんなで雑談をし、ワイワイと家庭科室は賑やかだった。

 最後にキヨシがチョコプレートに『ようこそ 紺ちゃん』と書き、ケーキの真ん中に挿した。

「かんせーい」

 みんなは声を合わせた。


 切り分けたケーキをみんなで食べる。

 コンはフォークで一口分切り取り、口に運ぶ。

 瞬間、甘みが口いっぱいに広がった。

「キヨシ君、美味しいで」

 コンが素直な感想を述べると、キヨシは照れたように、でも嬉しそうにはにかむ。

「そう言えばコンちゃん、関西弁なんだね」

 クミコが口をモグモグ動かしながら言った。

「あ、ごめんなさい」

 コンはハッとしたように口を手でふさぐ。

「その方がいいと思う。私達、別に年上とか年下とか気にしないしさ」

 アケミが言った。

 クミコとキヨシもうなずく。

「うんっ!」

 コンの唇には、クリームがついていた。

 深夜。

 職員室には池田先生の姿があった。

 机の上には七枚の写真があった。それらは全て、この学校の歴代の卒業写真だ。

 先生は愛おしそうにその一枚一枚を見ていく。

 ガラガラと入り口の扉が開き、アケミが入ってくる。

「こんばんは。どうしたの? こんな時間に」

 先生はゆっくりとアケミに目をむけた。

「先生、訊きたいことがあるんです」

 アケミは先生の横まで歩いていく。

「なにかしら?」

「コンちゃんのことです」

「いい子ね。仲良くしてあげて」

「それはそうなんですが、コンちゃん、何者なんですか? キヨシもクミコも覚えていないって言うし」

「コンちゃんは、私がお願いして来てもらったの」

「どうしてですか?」

 そこで先生ははぐらかすように笑みを浮かべた。

「アケミちゃん。私は先生なの。クラスのみんなの手を取って導き、やがて背中を押して送り出す。それが私なの。必ず送り出すわ」

「セツキちゃんを“卒業”させるためにコンちゃんが必要ってことですか?」

「セツキちゃんだけじゃないわ。アケミちゃんも、クミコちゃんも、キヨシ君も、みんあを送り出すために。もうあんまり時間がないことはわかってる。でも、私はみんなの先生として、やるべきことをやるから」

 先生の瞳に、アケミの姿がうつる。

「だからアケミちゃん。先生のこと、信じて」

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