『コンちゃん日記』というお話 その3
児童養護施設『もみじの家』の食堂。
小学六年生のタマキは皿の上のクッキーを、人差し指と親指でそっと摘まみ上げる。
そのクッキーを、タマキは横に座るコンの口元へ近付けた。
「はい、コンちゃん。あーん」
タマキが言うと、コンは「あーん」と口を開け、クッキーをパクリと食べた。
まるで雛に餌をやる親鳥のようだ。
タマキはコンに二枚目、三枚目とクッキーを与えていき、その合間に自分も食べる。
「タマちゃん、ジュース飲ませて」
コンが言うと、
「はーい」
タマキは楽しそうに笑顔を浮かべながら、オレンジジュースの紙パックにストローを差し、コンに飲ませる。
その時、食堂に一人の少女がやってきた。
「ただいまです」
彼女の名前はカナコ。
この施設では、寝室は二人で一部屋が割り当てられている。コンと同室なのが、このカナコだ。
カナコはコンとタマキの様子を不思議そうに見つめる。
「なんですか? これ」
コンはニコリと笑顔を浮かべる。
「おかえり、カナコちゃん。お菓子とジュースいっぱい寄付してくれはったヒトがいはってん。カナコちゃんの分も職員室にあるから、もらっといで」
カナコは困ったように頬を掻いた。
「いえ。お菓子じゃなくて、私が訊きたいのは、なんでコンさんが手錠してるのかって話でして」
「へ、これ?」
コンは両手を顔の前にかかげる。
コンの手首には、鈍い銀色の手錠がかけられていた。
話は二時間ほど前にさかのぼる。
今日も、学校が終わったタマキは一旦家に帰り、荷物を置いてから児童養護施設『もみじの家』にやってきた。
はじめて招かれた頃は緊張したが、六年経った今ではもうタマキも施設の一員のような雰囲気になっている。
「こんにちはー」
玄関で挨拶すると、さっそく幼稚園くらいの男の子が駆け寄ってきた。半年ほど前からここで暮らしはじめたヒカルだ。
「タマキおねーちゃんだー」
「ヒカルくん、こんには。今日も元気やね」
ヒカルは何かをたくらむように、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「ヒカルくん、どうしたん?」
「タマキお姉ちゃん、ちょっと手を出して」
タマキが言われた通り、両手を前に出すと、
「タマキお姉ちゃん、たいほー」
すかさずヒカルが手錠をかけた。もちろん、警察官が持っている金属製の物ではなく、おもちゃのプレスチックの手錠だ。
「えへへ、じゃあ、取り調べだよー」
ヒカルに手を引っ張られ、タマキは廊下を歩いていく。
多目的室。
施設内で一番広い部屋で、普段は子供達がフリースペースとして使っている場所だ。
「コンお姉ちゃん、タマキお姉ちゃんを逮捕しました」
ヒカルが敬礼をしながら言った。
「おー。大物捕まえてきたねー」
コンはのんびりした口調で言う。
「コン、これなんなん?」
タマキは尋ねた。
「ヒカルくんね、昨日テレビでやってた警察24時に影響されたみたいで」
「ああ。それで警察ごっこってことか」
タマキはそう言ってから、少し考えて、コンの顔を見て、そして何かを思いついたようだ。
「ヒカルくん、私よりずっと悪いヒト、逮捕した方がいいと思うで」
ヒカルは目をパチクリさせる。
「もっと悪いヒトって、誰?」
タマキはとっても悪い笑みを浮かべた。
「コンちゃんやで。学校では裏の番長って呼ばれて、悪の限りを尽くしてるんやで。昨日だって、私の宿題写させてって言ってきたし」
「いやいやいや。私、そんなんちゃうし。宿題だって、教えてって言っただけで、写させてって、言ってへんし」
コンは顔の前でヒラヒラと手を振る。
しかし、ヒカルはコンの言葉を信じていない。
ポケットから鍵を取り出すと、タマキの手にはまっている手錠を外し、コンにジリジリと近付く。
「え、ええっと……」
コンは後ずさるが、
「やっちゃえ、ヒカルくん」
タマキがコンを羽交い絞めにした。
「コンおねーちゃんかくほー」
こうして、コンの手首には手錠がはめられた。
ヒカルは満足げにうなずく。
そのとき、多目的室に先生がやってきた。
「ヒカルくん、お父さんが会いに来たけど、会う?」
その途端、ヒカルの表情がパッと輝いた。
「うん。会う!」
そして、先生と一緒に応接室へとむかって行った。
行ってしまった。
コンの手錠を外さないまま。
「これって、戻ってくるまで、このままってこと?」
コンは手錠をガチャガチャと鳴らす。
「うん。そうやろうね。コンちゃんの部屋、行っていい? どうせまだ宿題終わってへんやろ?」
タマキがこたえた。
コンとタマキはお喋りしながら廊下を歩く。
「ヒカルくんのお父さんって、病気で入院してたんやっけ」
タマキが尋ねる。
施設では、子供達は自分の身の上を語ることは禁止されていた。しかし、実際にはそれぞれの身の上をなんとなく知っていた。
「うん。お父さんと二人暮らしやったんやけど、お父さんが病気で入院しちゃって、それでここに来てん。お父さん退院しはってんな」
コンはどこか嬉しそうだ。そして、こう付け加える。
「多分、もうすぐお家に帰れるんやろうな。ヒカルくん、お父さんのこと大好きみたいやし。きっとまた二人の生活も上手くいくやろ」
コンの部屋。
二段ベットが一つと、勉強机が二つ。それから、コンのわずかな私物と、この部屋を共同で使っているカナコの私物が少し。
「そういえば、カナコちゃん帰ってへんの?」
タマキは今日ここに来てから、カナコに会っていないことに気付いた。
「うん。カナコちゃん、お友達の家に行ってる。裁縫仲間が最近できたんやって」
コンが言うと、タマキは嬉しそうにうなずく。
「そっかそっかあ。それはよかった。ところで、今日の宿題ってなんやっけ」
「漢字のプリント一枚と、算数のプリント一枚」
コンはベットの下段に置いたランドセルを手繰り寄せと、留め金を外して開けようとするが、手錠をはめられているのでうまくできない。
「タマちゃ~ん、助けてぇ~」
「はいはい」
タマキはコンの代わりにランドセルを開けて、中から算数のプリントを取り出した。
他の教科書やノートに押しつぶされ、ジャバラになっている。
「コンちゃん、クリアファイル使おうよ」
タマキは呆れたように言いながら、コンの勉強机の上にプリントを置き、手でシワを伸ばした。
それからコンとタマキは宿題をはじめる。
コンは手錠がかけられた手で、書きにくそうに漢字練習のプリントをこなしていく。
「コンちゃんってさ、字が下手やんな」
横から覗き込んで、タマキが言う。
「手錠してるから書きにくいだけやで」
コンはそう口を尖らせるが、タマキは気にせずコンのランドセルからノートを取り出した。
ノートの字はどれも、悪筆だった。
なんとか宿題が終わった頃、コンの部屋にヒカルがやってきた。
「コンおねーちゃん、ごめんね。手錠付けたままだった」
ヒカルは申し訳なさそうに言った。
「ううん。ええんやで。でも、そろそろ外してくれると嬉しいな」
コンはヒカルの前に手錠をはめた手首を差し出す。
「ごめんね。すぐ外すから」
ヒカルは自分のポケットを探って。
探って。
探って……。
「鍵がない。どっかで落としたかも」
と言った。
「えー!」
コンとタマキは同時に叫んだ。
それから、コン達は鍵を探し回った。
コン、タマキ、ヒカルの三人で施設内のいたるところを見て回った。
しかし、鍵は見つからない。
コン達は最初の多目的室で話し合う。
「しょうがない。手錠を壊そう」
タマキはそう言った。それに対して、ヒカルは何も言わない。でも、とても悲しそうな表情を浮かべている。
それを見たコンは、首を横に振った。
「アカンって、これ、ヒカルくんの大事なやつやし」
コンはまっすぐにタマキの目を見る。
「もう、しゃあないなあ。なんとか壊さずに外してみよか」
タマキは手洗い場から石鹸を持って来ると、コンの手に塗り、滑らせながら手錠を抜き取ろうとした。
しかし、手錠の輪はコンの手首と同じくらいの太さしかなく、とてもこの方法では外せそうにない。
タマキはこのやり方をあきらめて、次の方法をためしてみることにする。
職員室で針金をもらってくると、その先端を鍵穴に入れてゴチョゴチョと動かす。
しかし、なかなか開錠できない。
それでもタマキは真剣な表情で作業を続ける。
自然と、コンの顔とタマキの顔が近くなる。
「ごめんね。コンちゃん。私がふざけてコンちゃんに手錠付けさせるようなこと言っちゃったから」
タマキは真剣な表情で鍵穴を針金で突きながら言った。
「そやね。タマちゃんには責任取って、もし外れへんだら私のお世話してな」
コンはいたずらっぽく笑った。
「――って、ことで、こんな状況やねん」
帰宅したカナコに説明し終えたコンは「えへへ」と笑った。
「結局、外せなかったと」
カナコが言うと、コンはうなずく。
「なんとかならへんかな?」
タマキはコンにクッキーを食べさせながら尋ねる。
「ちょっと見せてください」
カナコはコンの横に座り、手錠を調べ始める。
そして、数秒とかからずにパチンという音と共に、手錠は外れた。
「カナコちゃん、どやったん?」
コンは驚きの表情でカナコを見る。
「どうって、おもちゃの手錠は大抵、ちっちゃいボタンがついていて、それを押すと外せるようになっているんですよ。鍵を失くしたときの為に」
沈黙。
顔を見合わせるコンとタマキ。
「えー!」
二人の声が食堂に響いた.