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コンと狐と  作者: 千曲春生
幕間
163/222

『コンちゃん日記』というお話 その2

 暖かい風が吹く度に、桜の花びらが舞い散る。

 京都のとある小学校。

 校門の横には『入学式』の看板。


 体育館にズラリと並べられたパイプ椅子。

 座っているのは皆、今日からこの学校に入学する一年生たち。

 その中に、コンの姿もあった。

 コンは前髪を長く伸ばし、左目と左頬の火傷を隠している。

 体育館の壇上では校長先生の話が続いている。

 コンは不安げな表情を浮かべながら、キョロキョロと右へ左へ視線を動かす。

 左隣りの丸刈りの男の子は席の近い子たちとふざけ合っている。

 男の子は周りの子に押されて、コン膝へと倒れ込んだ。

「わっ!」

 コンは思わず体をのけぞらせ、その勢いで前髪が跳ねる。

 倒れてきた男の子は、しばらくコンの顔を見つめてから起き上がる。

 そして、周囲の子たちと何やらヒソヒソ話をはじめた。

 その内容は、コンの耳にも届いた。


――そこの子、顔がヘンやで。キモチワルイ。


 コンはうつむくと、手櫛で前髪を整えた。火傷の痕を隠すように。

 頭の中では、キモチワルイ、という言葉が何度も響いていた。


 入学式とその後のホームルームが終わり、コンはお下がりの赤いランドセルを背負って家である児童養護施設への道を歩く。

 コンの横を歩くのは、保護者として付き添ってくれた施設の先生。

「コンちゃん、小学校どうやった?」

 先生は歩きながら尋ねる。

「うん……明日から楽しみ。勉強頑張る」

 コンはそう答えた。しかし、うつむきがちで表情は暗い。

 その様子に気付いた先生は尋ねる。

「コンちゃん、なにかあった?」

 だが、コンは首を横に振る。

「ううん。なにもなかったよ」

 それでも先生はコンの様子を注意深く見ていた。


 施設に帰って来たコンは、調理場へまっしぐら。

「ただいま」

 そこにいたのは、料理担当の男性、雪村タイゼンだった。

 タイゼンはコンの姿を見て微笑む。

「おかえり。ランドセル似合ってるね」

 コンはようやく嬉しそうな表情を浮かべた。


 コンはタイゼンを手伝い、夕食の準備をする、と言いつつ、実際にはコンがタイゼンに料理を教えてもらっているというのが正しい。

 まだ身長の足りないコンは、踏み台を使ってタイゼンと並んでいた。

「コンちゃん、学校にはなじめそう?」

 タイゼンはジャガイモの皮をむきながら尋ねる。

「明日……行きたくない」

 コンは大きなボウルに入ったひき肉をこねる。

「なにかあった?」

 タイゼンが尋ねると、コンは小さくうなずく。

「……頬っぺた、男子に見られちゃった」

「何か言われた?」

「キモチワルイんやって」

 コンはあえてぶっきらぼうに言った。

「そっか。それ、誰か大人に話した?」

 コンは首を横に振る。

「じゃあ、僕と一緒に園長に言いに行く? そしたら園長が、学校に連絡してくれるはずだけど」

 これにも、コンは首を横に振った。

「……今までも、何回もあったことやから」


 コンが施設で暮らしはじめて二年。地域との交流イベントなどにも参加することはあった。

 施設の外の人々は、コンの顔を見てギョッとした表情を浮かべることがあった。小さな子供などは指を差してくることも珍しくない。

 いつしか前髪を伸ばして、火傷の痕を隠すようになった。


 タイゼンはジャガイモの皮をむく手を止めないで話す。

「辛いときは辛いって、助けてほしいときは助けてって、言っていいんだよ。僕も、園長も、きっとクラスの担任の先生も、コンちゃんの味方だから」

「うん。でも、私は大丈夫やから」

 コンはひき肉をこね続けた。


 次の日、学校。

 最初の授業。

 先生が最初に自己紹介して、そこからは子供たちが名簿順に自己紹介をしていく。名字が『八重垣』であるコンは、一番最後だ。

 みんな、名前と自分の好きな物を言っていく。

「武田タマキです。お家が本屋さんで、私も、本を読むのが好きです」

 コンは他のヒトの自己紹介をほとんど聞いていなかった。

 そのくらい、緊張していたのだ。

 そして、順番が回ってくる。

「じゃあ次、八重垣さん」

 先生は手元の名簿を見ながら言った。

 コンはゆっくり立ち上がる。

「八重垣……コンです。好きなのは……お料理です」

 コンはそれだけ言って、座ろうとした。

 だけどその時、一人の男の子が手を挙げた。コンの左隣の席の子だ。先生に指される前に話しはじめる。

「八重垣さん、顔ヘンなん、なんでなん」

 男の子はそう言って、コンの前髪を摘まみ上げた。

 あらわになる、コンの火傷の痕。

 見ていた子供たちの中で、どよめきがおきた。

「やめて……やめて……」

 コンは肩を震わせながら、絞り出すように言う。

「こらっ、やめなさい!」

 先生がすかさず注意した。


 数週間後。

 学校に慣れてきた子供たちは、それぞれにグループをつくり、休み時間には教室内でお喋りにいそしむ者たち、グラウンドに出て走り回る者たち、思い思いに様々な過ごし方をしていた。

 そんな中、コンは同じ施設で暮らす上級生の元を訪れることが多かった。

 しかし、今日は仲の良い子は皆それぞれに用事があり、コンは暇を持て余してアテもなく校内を歩き回っていた。

 そして、いつしか図書室の前に差し掛かっていた。

 図書室のドアはコンから見て左側。

 そこから誰かが出てくる。そして、コンとぶつかった。

「キャっ!」

「わっ!」

 コン、そしてぶつかった相手、両方とも尻もちをついてこけてしまった。

 コンは顔を動かし、右目でぶつかった相手をとらえる。

 それは、コンと同じクラスの女の子、武田タマキだった。

 タマキが持っていたものだろうか。床には一冊の本が落ちている。

「大丈夫?」

 コンは立ち上がり、タマキに手を差し伸べる。

「あ、うん。ごめん、大丈夫」

 タマキはコンの手を掴んで立ち上がった。タマキの手は、微かに震えている。

「ご、ごめんなさい」

 タマキのコンを見る目。それは明らかに怯えていた。

「怪我してへん?」

 コンが尋ねると、タマキは慌ててうなずき、急いで本を拾った。

「あ、ありがとう」

 タマキはそう言って、足早に去っていく。

 一人残されたコンは、前髪の下に隠した火傷の痕を撫でた。

 ふと床を見ると、栞が落ちていた。薄い紫色の花の水彩画が描かれた栞だ。

 コンは知らなかったが、描かれているのはシオンという花だった。

「これ、武田さんの……」

 コンは栞を拾い上げた。去っていったタマキの姿はもう見えなくなっていた。


 コンは教室に戻ったが、タマキはいない。

 そのまま自分の机で待ったが、結局タマキが戻ってきたのは休み時間が終わる直前だった。

 なので、栞を返すことは出来なかった。

 授業中、コンはチラチラとタマキに視線をむけるが、声をかけるタイミングがなく、放課後もタマキはすぐに帰ってしまったので、コンは栞を返すことができなかった。


 次の日。一時間目の授業で、席替えをした。

 くじ引きで席を決めた。

 すると、コンの左隣はタマキになった。

 タマキは様子をうかがうように、チラチラとコンの様子をうかがう。

「これ、昨日落としたよな」

 コンは栞をそっとタマキの机の隅に置く。

「これ、八重垣さんが拾ってくれたん?」

 タマキは驚いたように尋ね、コンは首を縦に振る。

「うん。昨日返したかってんけど、ごめん」

 コンはゆっくりと、静かに言った。

「ずっと探しててん。ありがとう」

 タマキは栞を大切そうに胸に抱いた。


 それから、コンとタマキは会話らしい会話もないまま、給食の時間になった。

 みんな、トレーを持つと一列に並んで、給食当番が配膳していく。

 今日は、デザートにプリンがあった。

 しかし、プリン担当の女の子は、その横のスープ担当の女の子と仲が良いらしく、お喋りしながらプリンを配っていた。

 そして、コンのトレーの上に置き忘れた。

「あ、あの……」

 コンは自分がプリンをもらっていなことを伝えようとするが、

「プリン、プリン。はやく頂戴」

 後ろに並んでいた男の子に押されてしまった。

 仕方なく、コンはプリンをもらえないまま、しょんぼりと自分の席に戻った。

 全員に給食が行き渡たり、一個余るプリン。

「先生、プリン余りました」

 給食係の女の子が言う。

「あれ? 誰かもらってないヒト、いますか?」

 先生はそう言って教室を見回す。

 タマキは自分のトレーに自分のプリンがあるのを確認してから、コンのトレーに目をやった。

「八重垣さん、プリンもらえへんだん?」

 タマキの問いに、コンは答えない。

「先生、一個余ってるなら、俺がもらっていいですか?」

 ある男の子が手を挙げた。

 すると、次々に「僕も欲しい」「私も欲しい」と声が上がり、先生の判断を待つことなく、プリンは誰のものかじゃんけんで決めようという流れが出来上がる。

「八重垣さん、プリン、いらんの?」

 タマキはもう一度尋ねる。コンはうつむいて、言葉を絞り出す。

「欲しいけど……でも……私がプリン無いって言ったら、みんなガッカリしちゃうし」

 それを聞いたタマキはスッと立ち上がり、手を挙げた。

「先生。八重垣さんがプリンもらってません」

 コンは驚いた様子でタマキの顔を見上げた。


 昼休み。

 コンは隣の席で本を読んでいるタマキに声を掛ける。

「武田さん、なんで助けてくれたん?」

 タマキは本に栞をはさんで、コンを見る。

「私、八重垣さんの頬っぺた、怖いなって思ってた。でも、昨日転んだとき、八重垣さん立たせてくれた。それに、お父さんにもらった大事な栞も拾ってくれた。八重垣さん、とっても優しいヒトなんやなって思った。火傷があるだけの、優しいヒトなんやなって、思った」

 タマキは立ち上がり、コンに近付く。

「八重垣さん、見てもいい?」

 コンは小さくうなずく。

 タマキは片手でコンの前髪をかき上げ、もう片方の手で頬の火傷の痕に触れた。

 その手は、震えていなかった。

 その日の夕方。

 施設の調理場の隅っこに椅子を置き、コンはそこに座っていた。

 そして、火傷の痕を隠す長い前髪を指先でいじる。

「コンちゃん、随分前髪を気にしてるけど、どうしたの?」

 タイゼンは大鍋を洗いながら尋ねる。

「うん。園長先生に短く切ってもらおうかなって、思って」

「へ、どうしたの?」

「火傷、隠さんでもいいのかもって、思って」

 コンは椅子から飛び降りた。

「うん。決めた。園長先生に切ってもらってくる」

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