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コンと狐と  作者: 千曲春生
幕間
162/222

『コンちゃん日記』というお話 その1

 ある病院に、一人の幼い少女が運び込まれた。少女の名前は、コン、といった。

 コンの左の頬には大きな火傷があった。火傷は左の眼球にまで達していた。

 火傷を負った瞬間は大声で泣き叫んでいたが、病院に着く頃には泣き止んでた。痛みも感じなないとコンは言った。

 付き添った母親は幾分か安心したような表情を浮かべたが、医師は逆に険しい表情となった。

 火傷によって神経が損傷していることを意味していたから。

 母親によると、こけて、火がついたガルコンロに突っ込んだらしい。

 医師はコンの全身に殴られたり、蹴られたりしたような痣があるのを見つけた。

 そして、コンは三週間ほど入院し、児童相談所の一時保護を経て、児童養護施設『もみじの家』へとやって来た。

 火傷はまだまだ治っておらず、頬には大きなガーゼを貼っていて、左目には眼帯をはめている。


 コンが施設に来た初日。

 園長は施設の子供たちを食堂に集めた。

「今日からここで一緒に暮すことになった、八重垣コンちゃんです」

 園長がコンを紹介すると、十数人の視線がコンに集まる。

 ずっと、母と二人きりで暮らしてきたコンにとって、これほど多くの視線を集めるのは初めての経験だった。

 コンは戸惑いながら、せわしなく左右に視線を動かす。

「大丈夫よ。みんな優しいから。コンちゃんの好きな遊びとか、好きな食べ物とか、なにかお話しできる?」

 園長はそっとコンに耳打ちした。

 しかし、コンは緊張していて、なかなか口を開こうとはしない。

 すると、一番前に座っていた女の子が立ち上がって言った。

「あたし、あやとり得意だよ!」

その声を聞いて、他の子供達も次々に自分のことを話しはじめた。

「私ね! 折り紙が得意なんだ!」

「俺、走るの一番はやいねん」

 食堂は一気にワイワイと賑やかになる。

 コンはその賑やかさに気圧(けお)され、更にうつむく。

 その時、誰かが言った。

「ほっぺ、怪我してるの? 大丈夫? 痛くない?」

 ある、一人の男の子が言った。コンと多分それほど年のかわらない子だ。

「顔、お怪我しちゃったの?」

 その途端、コンはうずくまり、泣き出してしまった。

 みんなの優しさが嬉しかったのではない。

 ずっと母と二人暮らしだったコンにとって、こうして大勢に囲まれて皆が口々に声を掛けてくる状況ははじめてだった。だから、混乱してどうすればいいのかわからなくなってしまったのだ。

 ワンワンと大泣きするコンを、園長は抱き上げて慰めた。


 その日の夜、コンは熱を出した。

 園長はコンを医務室のベットに寝かせ、額に冷えピタを貼ると、ゼリーとリンゴジュースを持ってきた。

「ごめんね、コンちゃん。いきなりみんなの前に出たらビックリしちゃうよね」

 園長はスプーンでゼリーをすくい、コンの顔の前へと持っていく。

 しかし、コンは見当はずれな場所をパクっとやって、困ったような表情を浮かべた。

「ここだよ」

 コンはスプーンを唇に軽くあててもらい、やっと食べることができた。

「もう、お家に帰れへんの?」

 コンはゆっくりと尋ねる。

「帰りたい?」

 園長は穏やかな調子で聞き返す。

 部屋に置いた時計の秒針が、カチ、カチ、と音をたてる。

「わかんない。ママは優しいけど、怒ると恐いねん」

 コンはうつむきながら言った。

「ママはどんなときに怒るの?」

 さらに園長は尋ねる。

「お片付けせえへんかったときとか、服を汚してしもたときとか、あと、お腹空いたかあらお腹空いたって言ったら、凄く怒られてん」

 園長は再びスプーンでゼリーをすくい、コンの唇にあてる。しかし、コンは首を横に振った。

「もうお腹いっぱい?」

「……うん」

 カップの中のゼリーはまだ半分以上残っている。

「コンちゃん、お腹空いたら、お腹空いたって言っていいよ」

 園長はゼリーのカップを枕元のサイドテーブルに置き、コンのクシャクシャのくせ毛を撫ではじめた。

「いいの?」

「うん。ご飯の時間も、おやつの時間も決まってるから、いつでもお腹いっぱいでいさせてあげられるわけじゃなけど、でも、あれがやりたい、こんなことをしてほしい、ってちゃん、私たちに言ってくれていいんだよ」

 コンは園長に髪をなでられながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。


 コンは夢を見ていた。

 昼間の食堂での景色だった。

 みんながワイワイとコンに自己紹介してくる。

 コンは戸惑いながら、そっと口を開いた。

「八重垣……コン……です」


 コンは目を覚ました。

 まだ、窓の外は暗い。

 この時のコンはまだ時計が読めなかったが、早朝である。

 おでこの冷えピタはすっかり温くなっている。

 コンはずり落ちるようにベットから降りた。

 医務室の中には誰もいない。

 小さな体で体当たりするようにドアを開くと、廊下に出た。

 廊下は薄暗く、避難通路を示す誘導灯だけがともっていた。

 コンはゆっくりと廊下を歩いていく。

「誰か、いないの?」

 コンの声と足音が廊下に響く。

 やがて、扉の隙間から灯りが漏れている部屋を見つけた。

 コンはそっと、そのドアを開ける。

 そこは、調理場だった。

 タイル張りの床に、ステンレス製の調理台や、シンクが置かれている。

 トントントン、とリズミカルな音がする。

 一人のヒトが、調理台にむかっている。包丁で何かを細かく刻んでいるようだ。

 その横、コンロの上には大きな鍋があり、大量の湯気を吐き出している。

 コンは自分が火傷を負ったときのことを思い出し、後ずさった。

 そして、自分が入って来た扉にぶつかった。

 ドン、と大きな音がする。

 調理をしていたヒトが、その音で気が付き手を止めるとコンの方を見た。

 そのヒトは、若い男性だった。

「あっ、えっと……」

 コンは上手く言葉が出てこず、口をパクパクと動かすばかり。

 男性はコンの前までやってくると、しゃがんで視線の高さを合わせる。

「おはよう。君は、八重垣コンちゃんだね」

 男性は穏やかな口調で語り掛ける。

「わ、私のこと……知ってんの?」

 驚くコンに、男性は落ち着いた様子でうなずく。

「そりゃ知ってるよ。施設(ここ)の子供は、みんな知ってる。昨日来たばかりの子でもね。僕は雪村タイゼン。ここでみんなのご飯をつくってるんだ。よろしくね」

 男性――タイゼンは微笑んだ。

 日の出。

 朝日は調理場の窓から差し込み、コンとタイゼンを照らし出した。

「それで、コンちゃんどうしたの?」

「え、えっとね……」

 その時、コンのお腹がグーと音をたてた。

「お腹……空いた」

「そっか。じゃあ、なにか食べやすいものつくるね」


 二年後。

 八重垣コン、六歳。小学一年生。

 頬には大きな火傷の痕が残り、左目は白く濁っている。それらを隠すように前髪を長く伸ばしていた。

 学校から帰ってくると、コンは自室にランドセルを置くことなく、そのまま調理場へやってくる。

「おかえり、コンちゃん」

 そして、タイゼンも笑顔で迎えた。


つづく

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