いずれ来る春の日の話 後編
前回までのあらすじ。
六年生の三学期も終盤。
友達のアカリはなんだか元気がない。
学校帰り、サナは友達のリンコと共にアカリの家へと寄り道。
アカリの愛犬、ツナヨシがトリミングの失敗で変な見た目になっていた。アカリが落ち込んでいた原因はそれだった。
サナが一人で歩いていると、前に知っているヒトがいた。
幼なじみのセリカだ。その横に知らない女性もいる。
セリカとその女性は、真剣に道路脇の側溝を覗き込んでいる。
「セリカ。どうかしたのか?」
サナは近付いて声をかける。
「あ、サナちゃん。こんにちは」
「セリカちゃんのお友達?」
セリカと、セリカの横にいた女性の視線が一斉にサナにむけられる。
「サナちゃん、紹介するね。私の従姉のリコさん。ナコさん、こちら、お友達のサナちゃん」
セリカに紹介されて、サナとナコはお互いに挨拶を交わした。
「それで、どうかしたのか?」
サナはセリカの横で側溝を覗き込む。深い側溝の底に、鍵が落ちていた。
「うっかり、アパートの鍵落としちゃって」
リコは困ったように言った。
「うーんこれは……」
サナは地面に寝そべって手を伸ばしてみる。深くて届かない。かといって、直接側溝の中に入って拾いたくても、幅が狭いので体が入りそうにない。
「サナちゃん、なんとかならない?」
セリカはすがるようにサナを見る。
「しょうがないなァ。長い棒か何か、使えそうなもの探してくるよ」
サナはそう言って立ち上り、その場にランドセルを置くと、小走りでその場を去る。
それから近くの物陰に隠れて服を脱ぐと、キツネの姿になった。
キツネの姿のサナはすぐにセリカたちの元に戻る。
「サナちゃ……」
セリカは驚いてサナの名前を呼びかけ、慌てて口を塞いだ。
「ワンちゃん?」
ナコはサナの姿を見て、目を輝かせる。
「これが一番手っ取り早い」
サナはセリカに小声で言うと、側溝の中へと飛び降りた。
軽やかに着地すると、鍵を咥え、身を縮めてから一気に伸ばしてジャンプ。側溝の外へ飛び出した。
そして、鍵をナコの足元に置く。
「へ、ワンちゃん、鍵をとってくれたの? ありがとう」
ナコは嬉しそうに声をあげる。
サナはきびすを返して、すぐにその場を去ろうとするが、ナコの手が伸びてきて、そのまま抱き上げられた。
「ちょ、ちょっと、おい!」
サナは抜け出そうと暴れるが、リコは離さない。
「ありがとう。ワンちゃん。お礼に綺麗にしてあげる」
リコはサナを抱きかかえたまま歩き出す。
「あ、あの、ナコさん」
セリカはサナを助けようと声をかけるが、ナコの耳には届いていない。
「セリカちゃん、ちょっとお庭借りるね」
こうしてサナがやって来たのはセリカの家の庭。
そこには見慣れない車が止まっていた。ナコの車らしい。
「あなた、首輪してないけど迷子か野良かな? 大丈夫よ。私こう見えてプロのトリマーなの。綺麗にして、迷子なら元の飼い主さんのところに返してあげるし、野良ならいい飼い主さん見つけてあげるね」
ナコは車から道具一式を取り出すと、サナに首輪をつけ、リードに繋ぐ。
そして、ナコはバリカンを手にサナに迫る。
「お、おい、待て、やめろ」
サナは逃げようとするが、リードの端はナコの車にくくり付けられている。
「恐がらないで大丈夫だよ。すぐに美人さんにしてあげるからね」
ナコがスイッチを入れると、バリカンは、ヴーン、と音をたてながら振動する。
「コアァーン!」
セリカの家の庭に、キツネの叫び声が響いた。
『和食処・若櫻』の店内。
サナは人間の姿で、いつものカウンター席に座り、テーブルに頭を伏せる。服はコンが用意してくれたのを着た。
「――ってことがあって、こうなったんだ」
サナの髪。胸下まであったのに、肩くらいの長さになっている。しかも、毛先は揃っておらずガタガタで、ところどころ段差ができているし、全体的にバサバサだ。
誰がどう見ても散髪に失敗したヒト、である。
「キツネの方で散髪されても、人間の方にも影響あるんやな」
コンはカウンターの内側の厨房で皿洗いしながら言った。
「そうだぞ、両方とも私だもん」
サナは顔を伏せたまま、暗い口調で言った。それからこう続ける。
「あのトリマー、下手くそなうえにセンスがおかしいぞ。しかも自分が上手いと思いこんでるみたいだから、どうしようもない。っていうか、アカリの犬の毛を刈ったのもアイツだろ。先輩トリマーが産休で、お店を任せてもらってるって言ってたし」
コンはあいづちを打ちながら、洗い終えた皿を布巾で拭いて、戸棚に片付けた。
「サナちゃん。私に任せて」
お店の真ん中にスペースをつくり、新聞紙を敷いた上に椅子を一脚。
そこにサナは座り、ゴミ袋に穴をあけてつくったケープを被った。
コンは霧吹きでサナの髪を湿らせながら、櫛で梳かしていく。
「制服、完成して服屋さんが届けてくれはったって」
コンは喋りながら、サナの髪にはさみを入れた。
「そっか。帰ったら着てみる」
「じつは、こっちにあんねん。ノノさんが持ってきてくれはった。散髪終わったら、着てみて」
ハラリ、ハラリ。床に敷いた新聞紙の上に切った髪が落ちていく。
「今着なくても、そのうち毎日見られるじゃないか」
「でも、今見せてほしいな」
「まったく。コンはしょうがないな」
「でも、サナちゃんも嬉しそうやん」
「コン、私の後ろにいるのに顔わかるのか?」
「でも、わかるんやで」
ハラリ、ハラリ。
「サナちゃんも、もうすぐ中学生なんやね」
「コンと会った頃は四年生だったもんな」
「いつの間にか私と同い年やね」
「私、早生まれだから、十三歳になるのはまだまだ先だぞ」
「そやね。でも、同級生や」
「出会った頃はコンのこと、お姉さんだと思ってたのに、追いついちゃったんだな」
「最初は私のこと『お姉さん』って呼んでくれてたもんな」
二人は思い出す。
コンが生きていた頃、在籍していた料理研究会が、稲荷大社のイベントで料理を振る舞った。
そこで美味しそうにいなり寿司を頬張っていたのがサナ。
後日、通学途中のコンは駅でサナを見かけた。
そのときのサナはとても落ち込んでいて、見かねたコンは声をかけた。
これが、二人が仲良くなるきっかけになる。
散髪が終わり、コンはサナに鏡を見せる。
「こんな感じでどうやろ」
サナは嬉しそうにうなずく。
「ありがとう、コン」
肩上くらいの長さの髪。最近のサナから考えると随分短いが、サナがコンと出会った二年前はこんな髪型だった。
「コン、制服どこ?」
「二階にあるで」
サナはゴミ袋のケープを脱ぎ、細かい毛を落とすと、店の二階へと上がっていった。
コンは新聞紙ごと切った髪を集める。
カラン。
その時、店の入り口につけたベルが鳴った。
コンが視線をむけると、そこにいたのはセリカだった。
「セリカちゃん、いらっしゃい」
コンは穏やかな口調で言った。
「コンさん、あの、サナちゃん来てますか?」
セリカはどこか気まずそうに尋ねた。
「うん。来てるで」
コンはサナの髪を集めながらこたえた。
「サナちゃん、やっぱり落ち込んでますよね。ごめんなさい。私の従姉がキツネのサナちゃんを犬と間違えて、勝手にバリカンで刈っちゃって。サナちゃん、途中で隙を見て走って逃げたんだけど」
セリカはゆっくりとコンに近付く。
「サナちゃん、だいぶ落ち込んでたで」
「……やっぱり」
「でも、大丈夫」
コンはセリカを安心させるように笑顔を浮かべた。
その時、サナが二階から降りてきた。
「セリカも、来てたんだ」
「サナちゃん、本当にごめんなさい」
サナは指先で短くなった髪を触る。
「別にいいよ。これもこれで、いいかなって思うし。でも、あの従姉はもうちょっとトリミングの練習した方がいいと思うぞ」
セリカはうなずく。
「うん。伝えとく」
少しの沈黙。
サナはコンとセリカがジッと見つめていることに気付く。
「似合ってる……か?」
コンもセリカもうなずいた。
「うん」「かわいい」
新品だから、汚れもほつれも一切ないセーラー服を着た、短い髪のサナは、恥ずかしそうにうつむいた。
鳥取県八東郡若桜町。
雪と氷に閉ざされた季節が過ぎ去り、桜のつぼみが膨らんでいた。
コンと狐と銀領を望む町 おわり