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コンと狐と  作者: 千曲春生
コンと狐と銀領を望む町
156/222

月明かりの八重垣の話 後編

【前回までのあらすじ】

ある日、コンは掃除の最中に古びた紙を見つける。

それは、ある夜行列車の切符だった。

サクの口から語られたのは、昔、兄と喧嘩しその列車に飛び乗ったときの思い出だった。

 列車の揺れ以上にフラフラとした足取りで、一人の女性が現れた。

 女性は半ば倒れ込むように、サクの横の席に座る。

 そして、サクを見つめて首を傾げた。

「あれぇ~? 私の横、空席だと思ったのに。あなた誰?」

 女性は自分の鞄からカップ酒を取り出し開封すると、一気に飲み干し、サクの肩を抱き寄せる。

「お主は何者だー。名を名乗れー」

「え、えっと、サクです。長尾サク」

 すると、女性はサクの肩を抱く腕に力を込めた。ちょっと痛い。

「なんだぁー。サクかー。サクならサクって言ってよ」

 女性は嬉しそうだが、サクはこの女性に全く心当たりがない。

「あ、あの、どこかでお会いしましたか?」

「もぅ、サクったら冗談言ってぇ。私だよ。クシ※★◯▲」

 後半はしどろもどろになっていて、聞き取れなかった。

「へ? クシ……」

「クッシーでいいよ。前、そう呼んでくれてたじゃん」

 女性はそう言いながらサクに頬ずりする。

「や、やめてくださいよ。えっと、クッシーさん」

 とりあえずサクは、この女性をクッシーさんと呼ぶことにした。

「えー。いーじゃん、いーじゃん。サクは今日も美人さんねー」

 ひとしきりクッシーさんはサクに頬ずりして、ふと動きを止めた。

「あれ? あなた誰?」

 突然、酔いが覚めたようだ。

「長尾サクです」

「えっと、私の息子の結婚相手の姉のサクじゃない」

「多分、そのサクさんじゃないです。私、妹はいないので」

 するとクッシーさんは気まずそうに目をそらした。

「ごめん。ちょっと酔ってたみたい。でも、なんであなたはここにいるの? 私、横並びで二席買ってたはずなのに」

「えっと……」

 サクが事情を説明しようとしたそのとき、車掌さんがやってきた。乗客の切符を順に確認していく。

 サクはこの列車の切符を持っていないのだから、間違って乗ったことを説明し、次の駅で降りて引き返させてもらうしかない。

 そう思った途端、お兄ちゃんの顔が頭に浮かんだ。

 蕎麦のえび天は最後のお楽しみだったこと。

 本当は蕎麦じゃなくて、中華が食べたかったこと。

 貸した本、とっても大事な物だったこと。お兄ちゃんと本の内容で話したいから、貸したこと。

 この前、つくりすぎちゃったクッキー持っていったけど、あれ、本当はお兄ちゃんの為に焼いたこと。

 部屋の前から声をかければ済む用事でもいちいちドアを開けるのは、お兄ちゃんの顔が見たいから。出来れば、そのまま長話したいから。

 お兄ちゃんは何も気付いてくれなかった。

 ワガママなのも、身勝手なのも承知のうえだ。それでも、お兄ちゃんにはサクの全部を理解してほしい。

 いつでも味方になってほしい。

 なのにお兄ちゃんは、


――ノノお姉ちゃんばかり見てる。


「私とこの子と、二人分です」

 クッシーさんの声で我に返った。

 車掌さんはクッシーさんから受け取った二人分の切符にハンコを押すと、次の乗客の切符を確認しに行く。

「この列車さ、二人で乗るはずだったんだ。でも一人で帰れて言われちゃった。このまま余らせちゃうのも勿体ないしもらってよ」

 クッシーさんは儚げな笑顔をサクにむけ、一人分の切符を差し出した。

「いいん、ですか?」

「うん。なんかあなたも、訳アリっぽいし」

 今乗っている列車の切符。手書きで発行された物だった。『ムーンライト八重垣』と書かれているのは今乗っている列車の名前。

「ありがとうございます」

 サクは切符を受け取った。

「ホントは、ダーリンと一緒に乗ってるはずだったの」

 クッシーさんは自分の荷物から次のカップ酒を取り出して開封、グイッと一気に半分ほどを飲む。

「ねぇねぇ、サクちゃんさぁ、切符あげたんだから、話し聞いてよぉ」

 そして、サクの肩に寄り掛かった。

「ダーリンね、私じゃない女のヒトとの間に子供がいるの。女の子。不倫とかそういうのじゃなくて、ちょっと事情があってさ」

 サクの肩に体重を預けながら、クッシーさんはまた一口、カップ酒を飲む。

「子供のことは知ってたけど、別れて暮らしてるし、どうでもいい事だと思ってた。でもさ、ちょっと用事があってね、今日、ダーリンと一緒に会ってきたの」

 クッシーさんははぁ、と溜息をつく。酒臭い。

「そしたらダーリンったら、その子に会うなりデレデレになちゃって『俺は明日帰ることにした。お前は先に帰ってろ』なんて言い出して、それでこのザマよ」

 カタン、コトン。

 列車の駆ける音が響く。

「せめて、あの子があんなにいい子じゃなかったら、私は少しは救われたのに。あの子のことを恨むことすらできないや」

 サクの肩に寄り掛かるクッシーさんの頭。その髪はいい匂いがした。


 列車は神戸市中央区、三ノ宮駅に到着する。

「サクちゃんは震災大丈夫だった?」

 クッシーさんが尋ねる。

 去年、大きな地震があった。今も駅前は足場が組まれたビルがちらほら見える。

「はい。私は京都なので、びっくりしましたけど特に被害はなかったです。お父さんと母さんがすごく心配してくれて、それでしばらく実家に帰ってました」

「へー。サクちゃんって、こっちの出身じゃないんだ」

「はい。鳥取の若桜町ってところです」

 すると、クッシーさんは首を傾げる。

「あれれ? 若桜って因幡国だよね。この列車だと方向違うんじゃない?」

「えっと……」

 そこからサクはこれまでの経緯を大まかに説明した。もちろん、キツネであるということは伏せたまま。

 事情があって、ノノお姉ちゃんの家で暮らしていること。

 今日、帰省の予定があったけど、お兄ちゃんと些細なことで喧嘩してしまい、思わず蕎麦屋さんを飛び出してしまったこと。

 この列車には間違って乗ってしまったこと。

 クッシーさんは「うん、うん」とうなずき、時々お酒を飲みながら聞いてくれた。

「サクちゃん、お兄ちゃんのことが大好きなんだね。ちょっと占ってあげよっか」

「占い、ですか?」

 サクが聞き返すと、クッシーさんはうなずく。

「うん。私、占い師的な仕事してるんだ。恋愛系は特に得意なの。今までいっぱいカップル成立させたんだ。ほら、手相見せて」

 クッシーさんはサクの手を取った。

「うーん。これは……」

「どうなんですか?」

「生命線が二本に分かれてる。あれだね。長いこと寝たきりになってから、奇跡の復活を果たす、みたいな?」

 サクの自分の手を覗き込む。

 親指と人差し指の間から、手首にむかってのびている太い線。生命線ってこれだったはずだけど、どう見ても一本につながっている。

「生命線って、これですよね。繋がってますよ」

「えー。そんなこと……。あっ、私の目がぼやけてるだけだった」

 クッシーさんはそう言って目をこすった。お酒の飲みすぎじゃないだろうか。

「じゃあ、サクちゃん。ちょっと質問するよ。あなた、お兄ちゃんのことが好き?」

サクは小さくうなずく。

「うんうん。それは兄妹としてじゃなくて、異性としての好き、かな」

「……よくわかんないです」

 クッシーさんは優しい目つきでサクの手を見つめる。

「まあ正直に言うと、サクちゃんとお兄さんが恋仲になることはないね」

「そう……ですか」

 残念に感じているということは、サクの中にお兄ちゃんのことを恋愛対象として見ている気持ちがあった、ということだろうか。

 クッシーさんの話しは続く。

「近いうちに、お兄さんとは離れ離れになっちゃうかも。でも安心して。ちゃんとまた会えるから」

 クッシーさんは「それと」と付け足す。

「サクちゃんは、お兄さんとの別れをきっかけに、いい旦那さんに巡り合って、きっと、そのヒトに大切な宝物をもらえるよ」

 サクは自分の手を見つめる。見慣れた自分の手。

「まあ、ただの手相占いだから、信じるか信じないかはサクちゃん次第ね」

 列車は真っ暗な闇の中を走り抜ける。

 クッシーさんとはしばらく雑談して、徐々に車内では寝ているヒトが多くなってきたので、サクもクッシーさんも、眠りについた。


 肩を叩かれて、サクは目を覚ました。

 横では、クッシーさんが笑みを浮かべている。

 列車はどこかの駅のプラットホームに滑り込んでいるところだ。

「帰るなら、ここで乗り換えだよ。一人で帰れる?」

 窓の外に見えた駅名。伯耆大山(ほうきだいせん)駅。

 サクは慌てて荷物をまとめた。

「クッシーさん。あの、色々とありがとうございます」

 サクが深々と頭を下げると、クッシーさんが髪をクシャクシャと撫でた。

「ま、色々あるだろうけど、頑張んな。仔ギツネちゃん」

「へ、それって……」

 どうして、自分がキツネだとわかったのだろう。サクが尋ねようとしたとき、列車は完全に停止し、ドアが開く。

「ほら、さっさと降りないと発車しちゃうよ」

「あ、はい」

 クッシーさんにせかされ、サクは慌てて列車を降りた。

 キン、と冷たい空気が全身を包んだ。朝の五時四十分。まだ日は登っていない。

 ホームを歩く一歩ごとに霜を割る音がする。

 車掌さんが笛を吹き、列車のドアが閉まる。そして汽笛一声。列車は走り出す。

 クッシーさんは車内から手を振っていた。サクも振りかえす。

 やがて列車は蛍光灯に照らされたホームを離れ、闇に消えていった。

 しばらく駅の中を歩き回って公衆電話を見つけた。受話器を上げて十円玉をいっぱい入れる。

 カチッ、カチッとボタンを押し、数コールのあと相手が出た。

『サクかい?』

 お母さんの声。その途端、涙が溢れそうになる。

「うん、サクだよ。その……ごめんなさい」

 一晩いなくなったのだ。お兄ちゃんやノノお姉ちゃん、ミチヨさんに随分心配かけてしまっただろうし、実家にも伝えられているはずだ。

『前に言ったでしょ? 寂しくなったら、朝早くでも、夜中でも、いつでも電話してきていいよって』

 なのに、お母さんの口調はいつもと変わらない。

「そうじゃなくて……その……」

 お母さんは『ふふ』と笑う。

『今日、帰ってくるんだっけ?』

「うん。今から帰るね」

『迎えに行こうか?』

「ううん。大丈夫。帰り方、わかるから」

『わかった。じゃあ美味しいご飯、沢山つくっておくね』

「ありがとう。とっても楽しみ」

『じゃあ、気をつけてね』

「うん。また後で」

 サクは受話器を置いた。ジャラジャラと、十円玉はほとんど返ってきた。


「――ってことがあったの」

 現在。『和食処 若櫻』の店内で、サクは思い出話を終えた。その手元には古びた『ムーンライト八重垣』の切符。

「なんか、不思議な話ですね。その占い師さん、何者なんでしょう」

 ずっと話しを訊いていたコンは不思議そうな表情を浮かべている。

「この半年くらい後に、お兄ちゃんはノノお姉ちゃんと駆け落ちしちゃって、取り残された私は、お兄ちゃんの同級生のケンくんに助けてもらって、最終的にそのケンくんと結婚するの」

 その時、店の入り口のドアが開く。

 やって来たのはサナだった。学校帰りで、ランドセルを背負っている。

「ただいま。お母さん、こっちに来てたんだ」

 サナはサクの横の席に座り、ランドセルを床に置く。

「おかえり。サナ」

 サクはジッとサナの顔を見つめる。

「なんだ。私の顔、何かついてる?」

「うーん。サナって結構お父さん似だなって思っただけ」

「そ、そうなのか?」

 サナは困惑の表情を浮かべるが、サクはお構いなしにその手を掴んだ。

「ねえ、手相診てあげる」

「へ、お母さん、手相わかるのか?」

「全然わかんないから、スマホで調べながら」

「えー。それじゃあ、自分で診るのと変わらないぞ」

 鳥取県八頭郡(やずぐん)若桜町(わかさちょう)

 朝から空を覆っていた雪雲はいつの間にか無くなり、冬の青空が広がっていた。

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