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コンと狐と  作者: 千曲春生
コンと狐と銀領を望む町
155/222

月明かりの八重垣の話 前編

 ここ数日の若桜町(わかさちょう)は厚い雲に覆われているものの、雪は降らず、道路に積もっていた雪は解けてアスファルトを濡らし、路肩に小川ができていた。

 若桜駅(わかさえき)にほど近い場所に、二階建ての古民家のような古びた建物があった。

 その建物には『和食処 若櫻』の看板が掲げられている。

 店内。

 コンはいつもの厨房にはいなかった。

 彼女がいたのは店の二階。

 かつて住居スペースだったその場所には、桐たんすなど使わなくなった家具が多少残されていた。

 コンははたきを手に、その場所を掃除していた。

 と、そのとき。

 畳のへりが少し浮いていてつまずく。

「あっ、わっ!」

 間一髪。たんすに手をついたので、転ぶことはなかった。

 しかし、よろけた拍子に髪留めがはずれ、タンスと壁の隙間に入ってしまった。

「あっちゃ~」

 コンはつぶやく。

 あれは、一昨年のクリスマスにサナにもらった大切なものだ。

 コンは隙間に手を入れてみるが、狭くてどうにもなりそうにない。

 一度部屋から出ていくと、細い棒を持ってもどってきた。

 棒でかき出すと、髪留めはすぐに出てきた。拾い上げ、ホコリを掃って前髪につける。

 そこで気が付いた。髪留めと一緒に、何か一枚の紙が出てきたのだ。

 コンはその紙も拾い上げた。

 縦八センチ、横十四センチくらいの小さな厚紙で、細かな字がごちゃごちゃと印刷されており、そこにボールペンのようなもので文字が書き込まれていたり、ハンコが押されていたりする。

 しかし、そのペンやハンコの文字は滲んでしまっていて、ほとんど読めない。

 かろうじて読めたのは『八重垣』の三文字だった。

「八重垣……」

 コンは首を傾げる。そう、コンの名字は『八重垣』なのだ。

「えっと、私?」


 掃除を終えたコンは、一階の厨房へ。

 椅子に座り、さっき見つけた紙をぼんやりと見つめる。

 そのとき、入り口のドアにつけたベルが、カラン、と音をたてた。

「こんにちは」

 やって来たのはサナの生みの親、サクだ。

「なんにも用事無いんだけどさ、ちょっと時間ができたから」

 サクはカウンター席に座った。

「何か飲みます?」

 コンが尋ねる。

「うん。じゃあ、アイスコーヒーお願いしていい?」

「寒くないんですか?」

「お恥ずかしながら、猫舌でして」

 サクはちょっと照れたように、ペロッと舌を出した。

 コンは手際よくホットのコーヒーを淹れると、氷を入れて冷ました。

「ミルクとお砂糖、どうします?」

「ブラックで」

 コンはコーヒーのマグカップをそのままサクの前のテーブルに置いた。

 サクは一口飲み、満足げにうなずく。

「サクさん、さっき掃除していてこれ見つけたんですけど、何かわかりますか?」

 コンはコーヒーの横にさっき見つけた紙を置いた。

「あー、これ。間違って捨てちゃったと思ってたけど、残ってたんだ」

 サクは紙について知っているようでした。

「なんなんですか?」

「これ切符。古い切符。昔は小さい駅の窓口で買ったら、駅員さんが手書きでつくってくれたの」

 コンは感心したようにうなずく。

「八重垣って書いてあったから、なんか気になってしもて」

「あー。そっか。コンちゃんの名字だもんね」

 サクは指先で切符の文字をなぞる。

「昔ね『ムーンライト八重垣』って列車があったの。これね、その切符なんだ」

 それからサクはゆっくりと話しはじめた。

「あれは、二十六、七年前だったと思う」


 一九九六年、十二月。

 京都。稲荷大社の近くにある豪邸の一室。

「ちょっと、お兄ちゃん!」

 小学六年生のサクは不機嫌そうに頬を膨らませた。

「返してもらった本、頁に折れ目がついてたんだけど!」

「細かいこと気にすんなよ。読めるからいいだろ」

 中学生、ミウお兄ちゃんは面倒くさそうにこたえる。

「そういう問題じゃない!」

 すると、騒ぎを聞きつけてやって来たのは女子高生のノノお姉ちゃんだった。

「二人とも、もう準備はできたの?」

 サクとミウお兄ちゃんの兄妹は化けギツネだけど、鳥取の若桜町で人間のお父さんとお母さんに育ててもらっていた。

 だけどある時、神のお遣いだっていう化けギツネ――ノノお姉ちゃんに出会って、それからはノノお姉ちゃんの家に居候している。

「もう、ミウ。借りたものは丁寧に扱いなさい」

 お姉ちゃんはそう言ってお兄ちゃんをしかってから、サクを見る。

「サクも、細かい事でいちいち怒ってないで、準備は出来た?」

 サクは自分まで注意されたことが不満だったけど、ノノお姉ちゃんとは喧嘩しても勝てない。不満気な表情のまま、本をリュックサックにしまった。


 サクは自覚していた。

 最近、なんだか機嫌が悪い。

 前なら許せたことでも、思わずカッとなってしまう。

 常に、はっきりとしないモヤモヤとした不安があった。


 この日は、サク達兄妹は実家に帰省する日だった。

 夜、サクとミウお兄ちゃん、それからノノお姉ちゃんと、お姉ちゃんのお世話係のミチヨさんは大阪駅にやってきた。今回はここから夜行列車に乗る。

 帰省には毎回お姉ちゃんとミチヨさんもついてくる。

 お姉ちゃんは自身のお母さんと折り合いが悪く、サクたちがいない家には居づらいらしい。

 サクの両親も、お姉ちゃんにもミチヨさんにも悪い印象は持っていないようで、帰省の度に実家はワイワイと賑やかになった。

 大阪駅の周辺は飲食店が多い。

 夜行列車で帰省するときはいつも、駅前で夕食を済ませていた。

「さてさて。どこのお店にしましょうか」

 ミチヨさんが言った。

「前に行った中華料理屋さん、また行きたい」

 サクは言った。しかし、

「えっと、私はもうちょっとあっさりしたものの方が……」

 お姉ちゃんが反対した。

「ノノ、体調悪いのか?」

 お兄ちゃんが心配そうに尋ねると、お姉ちゃんはお腹を撫でながら恥ずかしそうにうつむく。

「えっと、そうじゃないんだけど……」

 そこで、ミチヨさんが言った。

「ノノ様、ダイエット中ですもんね。この前も筋肉痛で悶えてましたし」

 お姉ちゃんはミチヨさんのお尻を蹴った。

「ノノ、そんなに太ってないんじゃないか?」

 お兄ちゃんはお姉ちゃんのお腹に手をあてる。そして蹴られる。

「ま、まあ、それならあっちの蕎麦屋さんにしよっか」

 サクは苦笑いを浮かべながら言った。


 蕎麦屋で腹ごしらえ。

 サクは天ぷら蕎麦を大盛で頼んだ。

「そんなに食べられるのか?」

 お兄ちゃんも大盛の肉蕎麦を頼んだくせに、心配そうにサクの蕎麦を見てくる。

「大丈夫だよ。食べられるから頼んだの」

 サクはそう言って蕎麦をすすりはじめた。


 二十分後。

 他のみんなは食事を終え、サクの器にだけ、出汁と、エビの天ぷらが一尾だけ残っていた。

「なんだよサク。やっぱり食べきれないじゃないか」

 お兄ちゃんはそう言って、止める間もなくえび天を箸でつまみ、自分の口へ。

「お、お兄ちゃん。これから食べようとしてたのに!」

 サクは抗議するが、えび天はもうお兄ちゃんのお腹の中。

「なんだよ。衣がヘニャヘニャになるまで食べてないっていうのは、食べきれないってことじゃないのか?」

「最後の楽しみにとっておいたの」

「それ、不味くないか? 普通蕎麦の天ぷらはサクサクのうちに食べるだろ」

 その途端、サクの中で強い感情が一気に噴き出してきた。

 サクは立ち上がり、テーブルをバンっと叩く。

「私は出汁をいっぱい吸った衣が好きなの。悪かったわね、普通じゃなくて!」

 店内がシンと静まり返る。

「サク様、落ち着いて」

 ミチヨさんの優しい声。

 サクの中ではなお収まらない怒りと、恥ずかしさが渦を巻く。

 そして、店を飛び出した。


 大阪駅前、人ごみをすり抜けながら走る。

 しばらくの間、後ろからお兄ちゃん達が追いかけてくる気配があったけど、やがて追いきれなくなったようだ。

 立ち止まり振り返ると、そこには都会の喧騒しかなかった。

 これだけヒトが多ければ、匂いでも追ってこれないはずだ。

 サクは周囲の流れに合わせて、ゆっくり歩く。

 なんで、天ぷらごときで怒ってしまったんだろう。

 そうは思っても、もうどうしようもない。

 どんな顔をして、どんな言葉で、お兄ちゃん達の所へ戻ればいいんだろう。


 お兄ちゃん達に会いたくないような、でも、偶然バッタリと会いたいような気持で駅の周囲を歩き回った。結局、お兄ちゃん達に会うことはなかった。

 少し足が疲れてきた。

 プラットホームのベンチに座ろう。

 自分の分の切符はもう持っている。サクはそれを使って改札を通った。

 階段を上ってホームに出ると、青色の列車が停まっていた。『出雲市』と行き先の表示が出ている。

「もう来てたんだ」

 大阪から福知山線を経由して、コウノトリで有名な豊岡(とよおか)や、温泉地の城崎(きのさき)などを通って日本海側へ。そのまま日本海沿いに鳥取県を通り抜け、島根県の出雲市(いずもし)へ至る夜行急行列車『だいせん』だ。

 お兄ちゃん達も同じ列車に乗るのだから、車内にいれば会えるだろう。

 サクは列車に乗り込んだ。

 列車は二段ベットを備えた寝台車と、座席車の二種類の車両を連結している。

 今回乗るのは座席車の方だ。

 サクは自分の切符を見ながら指定の席に座った。

 座った直後、ドアが閉まり、汽笛一声。

 ガタン、という大きな揺れの後、列車はゆっくりとホームを離れていく。

 おかしい。『だいせん』の発車時間までまだ一時間近くあるはずなのに。

 それに、四人で横並びになるように席を予約してもらったはずなのに、サクの横は空席だ。お兄ちゃんもお姉ちゃんもミチヨさんもいない。

 そこで、スピーカーから放送が流れる。

『この列車は岡山から伯備線(はくびせん)を通り、米子(よなご)松江(まつえ)方面へ参ります、快速『ムーライト八重垣』出雲市行きです』

 その瞬間、サクは周囲を見渡した。

 前の席のヒト。網棚に乗せた鞄から、分厚い時刻表がはみ出しているのが見えた。

 サクは身を乗り出し、声をかける。

「あの、すみません。その時刻表、ちょっと貸してもらっていいですか?」

 前の席の男性は快く貸してくれた。

 路線図。サクはアナウンスを思い出しながら、この列車の進路をなぞる。

 瀬戸内海に沿うように、東海道線・山陽線を通り、岡山へ。

 岡山県の倉敷駅で一気に進路を中国山地に向け、日本海側へ抜ける。

 この列車は乗る予定だった『だいせん』ではないし、鳥取駅も通らない。

 別の列車『ムーンライト八重垣』に乗ってしまったのだ。

 サクの実家、若桜町(わかさちょう)とは異なる方向へ行ってしまう。

 乗り間違えたのだ。

「どうしよ」

 青ざめるサク。しかし列車はみるみる速度を上げ大阪駅から遠ざかる。

 そのときだ。

「あ~、やっと見つけた。この席だ」

 列車の揺れ以上にフラフラとした足取りで、一人の女性が現れた。

 女性は半ば倒れ込むように、サクの横の席に座る。

 そして、サクを見つめて首を傾げた。

「あれぇ~? 私の横、空席だと思ったのに。あなた誰?」

 その女性はらは、アルコールの臭いが漂っていた。

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