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コンと狐と  作者: 千曲春生
コンと狐と銀領を望む町
152/222

肉まんの話 後編

 シャワーを浴びながら、テナは目をつむる。

 ラブホテルの前ですれ違ったミニバン。

 あれは、家の車と同じ車種、同じ色だった。

 さらに運転席にいたのは父だった。

 そして、助手席にいたのはテナの知らない女性。

 女性は泣いていた。

 勘違いだと、見間違いだと思いたかった。

 だけど、脳裏に焼き付いた一瞬の光景が見間違いの可能性を否定する。

「お父さん……仕事じゃないじゃん」

 テナはつぶやいた。


 シャワーを終え、脱衣所。

 タオルで体を拭いていると、声が聞こえてきた。

 母が帰ってきたようで、叔母と会話している。

 テナはジャージを着て、脱衣所を出た。


 リビングに行くと、やはり母と叔母がいた。

「あ、お帰り。お母さん」

「ただいま。テナ」

 テナはそのまま母の横を通り過ぎようとするが、

「ちょっと待って」

 母に呼び止められた。

「ちょっと匂い嗅がせて」

 そう言って母はテナに鼻を近付ける。

サク(サク)がさ、テナのシャンプー、いい匂いって言ってたから」

「家のヤツ使ってるんだけど……」

 テナはジッと母を見る。

「ねえ、お母さん」

「ん、なに?」

 いっそ、母に話してしまおうかと思った。

 しかし。

「ごめん。なんでもない」

 母の悲しむ様子は見たくない。

 テナは言葉を飲み込んだ。

 そう。

 自分が飲み込めば、この家は平和なままだ。

 そのとき、ポケットに入れたスマートフォンがバイブした。

 テナはそっと取り出して、画面を見る。

 そこには、レイジからのメッセージがあった。

『やっぱりお前、今日おかしかったぞ。俺、なんかしちゃったか?』

 テナはしばらくそのメッセージを見つめ

「ごめん。ちょっと友達の家に忘れものした。とってくるね」

 と言った。


 ジャージの上にコートを羽織って、夜道を歩く。

 空からは、ハラリ、ハラリと粉雪が舞い落ちてくる。

 テナの吐く息は白く、頬は赤くなっていた。

『会いたい』

 テナは短くメッセージを送った。

 いつの間にか、テナは若桜駅の前に来ていた。

 そこに、一台の軽自動車がやってくる。

「テナ!」

 運転していたのはそう、レイジだった。


 窓に着いた雪をワイパーが拭う。

「――ってことがあって」

 テナはレイジに全て話した。

 父親が、知らない女性とラブホテルから出てくるのを見たということを。

「そっか。そりゃ辛いな」

「黙っていたら、私が飲み込めば、そしたら……家は平和なままだし。でも、家、帰りたくないな」

 レイジはコンビニに車を入れた。

「今日、寒いな。ちょっと待ってる」

 レイジはそう言うと、車を出ていった。


 少しして、戻ってきたレイジ。その手には、ビニール袋。

 レイジが運転席に座りドアを閉めると、いい匂いが充満する。

 肉まんだ。

「ほら、お前の分」

 レイジは袋から肉まんを取り出すと、テナに渡した。

「……ありがと」

 テナが受け取ると、レイジはもう一つ取り出して、かぶりつく。

 テナも、小さく一口食べた。

 口に入ったのは皮だけで、餡には届かなかった。

「おいしい」

 それでも、テナはつぶやく。

「お前、素直でいいな」

 レイジはガツガツと肉まんを食べ、その合間に言った。

「へ? どういうこと」

 テナは聞き返す。

「大学のときに付き合ってたカノジョさ、同じような感じで肉まん買ったんだよ。そしたら『こんな安いものでご機嫌取り?』って怒り出しちゃって、俺も言い返したから、喧嘩になったんだよ。それでそのまま別れた」

 レイジは笑う。それを見ながら、テナはもう一口食べた。

「先生、女の子の前で元カノの話しは嫌われちゃうぞ」

「え、あ、すまん」

「まあ、それはその元カノが変だと思うけど」

 テナが笑ってみせると、レイジも安心した様だった。

「なあテナ。今夜さ、俺の家、来るか?」

 レイジの表情は真剣だった。

「ダメダメ。私は生徒で、先生は先生。私を家に泊めたら、先生仕事なくなっちゃう」

 テナはレイジから目を逸らしながら言う。

「そのときは、コンビニでバイトでもするよ」

 目の前のコンビニには、バイト募集の張り紙があった。時給八五〇円。

 すると、テナは笑い出した。

「なにそれ。先生がコンビニでバイトとか、想像できない」

 ひとしきり笑った後、テナは笑顔で言う。

「ありがと先生。でもやっぱり、落ち着いたら、ちゃんと帰るよ」


 それから、一時間くらいだろうか。

 テナとレイジはコンビニの駐車場に停めた車の中でたわいない話しをした。

 そして、テナは家に帰ってきた。

 レイジが若桜(わかさ)駅まで車で送ってくれた。

 車を降りるテナを、レイジは心配そうに見つめる。

「テナ、本当に大丈夫か?」

「まだ、どうしていいかわかんないけど、でも、きっと大丈夫」

 テナの返事に、レイジは小さくうなずく。

「何かあったら、いつでも連絡してこいよ」

 最後にそう言って、レイジは車を発進させ、テナは家への道を歩きはじめた。


 家に帰ってきたテナ。

 庭にはミニバンが停まっている。父が帰ってきているのだ。

「ただいま」

 玄関でそう言うが、返事はない。

 代わりに、

「優しく、もっと優しく、イテテててー!」

 という悲鳴が聞こえた。父の声だ。

 恐る恐るダイニングに入る。

「え、なにこれ?」

 テナは唖然とした。

 そこには顔中傷と痣だらけの父と、それを治療する母がいた。

「あ、おかえりテナ。ご飯、先に食べちゃったの。ごめんだけど、レンジで温めて食べてくれる?」

 母はなんでもないように

「えっと、それよりも、この状況なに?」

 テナは戸惑いながら尋ねる。

「テ、テナには関係ないことで……」

「コイツ、会社の女のヒトとホテルに行っちゃったのよ」

 父の言葉を遮り母が言った。


 母の話しだとこうだ。

 助手席の女性は父の会社の後輩。

 後輩は結婚しているが、夫が不倫していることに気付いたが、決定的な証拠となるものがなく、テナの父に相談したのだという。

 父が調べて見ると、不倫にはあるホテルがよく使われていることが判明。

 さらに、そのホテルは父の古い知り合いが支配人だった。

 支配人の協力を得て、後輩の夫と不倫相手がホテルに来たところに、後輩と共に突撃したのだという。

 現場を押さえられて言い逃れもできず、その場で離婚届にサインさせた。

 そして父は後輩を彼女の実家へと送り届けてから帰ってきた。


 母の説明を聞き終わり、テナはうなずく。

「なんで怪我してるの? その不倫相手にやられたとか?」

「サクよ」

 母がこたえた。

「叔母さん?」

 母はうなずき、続ける。

「コイツが帰ってくるなり、サクったら『女のヒトの匂いがする』って言って、問い詰めたのよ。それで、理由を訊くなりコイツのこと、ボコボコにしちゃったの」

「お、俺はちゃんと説明したのに。別に不倫してたわけじゃないって」

 父の言葉を聞いて、テナはその場にへたり込んだ。

「そっか。そうだったんだ」

「どうしたの? テナ」

 母が不思議そうに見つめる。

「実は今日、せ……友達と一緒にいるときにお父さんの車を見かけて、それで、心配してて」

 テナが言うと、母は大きなため息をつき、アルコールを染み込ませたガーゼを乱暴に傷口に押し当てた。

「ギャー! ノノ。優しく、もっと優しく!」

「ホント、事情があったとはいえ、女のヒトとホテルに行くなんてありえない。しかも娘にまで心配かけて。私だって、怒ってるんだからね」

「助けて、テナー」

 父はすがるように、情けない視線をテナにむける。

 テナは少し考えてから、笑顔で

「やだ」

 と、こたえた。


 深夜。

 テナは自室で勉強をしていた。

 一度大きくのびをすると、空になったマグカップを手に部屋を出た。

 階段を降りると、ダイニングに灯りがついていることに気付いた。話し声もする。母と叔母のようだ。

 そっと、ダイニングに入ると、やはりその二人だった。

 二人とも、度数低めのチューハイを飲んでいたようだ。

「あ、テナ。ごめんね、うるさかった?」

 母が言うと、テナは首を横に振る。

「ううん、大丈夫。飲み物とりに来ただけだから」

 今度は叔母が口を開く。

「なんか手伝えることある?」

 これにも、テナは首を横に振る。

「今の調子だったら、T大学も絶望的ではないって、船岡先生言ってた」

 途端、母が意地悪な笑顔を浮かべた。

「それ、今日言われたの?」

「うん。今日……あっ」

 困ったように視線を左右に泳がせるテナ。

「まあ、匂いで分かるわよ。別にいいのよ。私だって駆け落ちして結婚した身だから、恋愛に関しては他人のこととやかく言えません。船岡先生なら不安になるような男のヒトじゃないし」

 母は落ち着いた様子で言った。

 テナはうつむきながら、指先で自分の唇をなでる。

「ありがとう。でも、卒業までは秘密の関係だから、だから、今は受験に集中、かな」

 母はうなずく。

「本当はね、もっと色々と支えてあげられるといいんだけど、私、大学行かなかったからわからないことばっかりで、ごめんねって思ってる」

 テナは首を横に振る。

「ううん。私が大学行きたいって言ったとき、お母さんが賛成してくれたから、私とフウ()と、二人同時に大学行ったら、その、お金とか色々大変なはずなのに」

 すると、母は笑い出す。

「アンタ、いつの間にそんな心配できるようになったの。大丈夫よ。うちは結構収入ある方だから」

 叔母もうなずく。

「うんうん。今は私も働いてるしね」

 母は手元のチューハイを飲み干す。

「うん、ありがとう。私、頑張るから」

 テナは笑って言った。

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