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コンと狐と  作者: 千曲春生
コンと狐と銀領を望む町
151/222

肉まんの話 前編

 日曜日の夕暮れ。

 街中の道を一台の軽乗用車が走っていく。

 長尾家の長女、テナ。十八歳、高校三年生。

 テナは自動車の助手席にいた。

 運転しているのは高校の担任、船岡レイジだ。

 テナの膝の上には重そうなリュックサック。開いた口から、ノートや参考書が顔をのぞかせている。

「先生、ごめんね。急に押しかけちゃって。帰りも、こうして送ってもらちゃって」

 テナが言う。

「いいさ。お前がここまで真剣に勉強に向き合ってくれてるだけでも、涙が出てくる」

 レイジはわざとらしく、目元を拭うふりをする。

「でも、まだまだ不安だな」

 テナはうつむいた。

「春になって桜が咲いたら、二人でどっか旅行に行かないか?」

 レイジは軽い口調で提案する。

「いいの?」

「お前が卒業したら、もう教師と生徒の関係でもないからな。遠慮することもない」

「うん。楽しみにしてる」

 テナは口ずさむ。


山の中でも ソレ若桜(わかさ)は都

若桜都(わかさみやこ)で トコセ、アラヨー

花は二度咲く チョイト三度咲く


 すると、レイジは呆れたように言った。

「お前なァ、酔ったじーちゃんでもそんなん歌わんぞ。もうちょっとなんかあるだろ。流行の歌とか」

 すかさず、テナは言い返す。

「先生、私が流行の歌を知ってると思てるの?」

「……思わない」

 自動車はラブホテルの前を通りかかる。

 すると、その駐車場から一台のミニバンが出てきて、テナの乗っている軽自動車とすれ違った。

 テナの視線はミニバンの運転席に釘付けになる。

「あっ」

 そして、思わず声が出る。

「どうした?」

 レイジが尋ねるが、テナは慌てて首を横に振る。

「な、なんでもない。なんでもないよ」

「そ、そうか」


 しかしそれから、テナの口数はあからさまに少なくなっていた。

若桜(わかさ)駅まで送って行くよ」

 レイジは気まずそうにそう言ったが、テナは首を横に振る。

「知ってる人に見られたら嫌だから、徳丸(とくまる)駅にして」

 テナはそう言ってから、チラリと腕時計を見た。

「ちょうど、列車乗れそうだし」

「ああ。わかった」

 果樹園を貫く道。すっかり日が暮れ、暗闇の中にところどころ民家の灯りが見える。

 レイジは軽自動車を駅前に停めた。

 徳丸(とくまる)駅はこぢんまりとした駅だ。

 改札はなく、長い朝礼台のような簡素なプラットホームを、わずかな蛍光灯が照らしていた。

 薄暗いその場所に、テナとレイジの二人。

 近くの踏切が鳴りはじめる。

「今日はありがと、先生。楽しかった」

 テナはわざとらしい笑顔を浮かべながら言った。

「……わかった。なんかさ、悩んでることあるなら、なんでも言ってくれ」

 列車のヘッドライトにテナとレイジの姿が明るく照らされた。

「じゃあ、明日学校で」

 列車が停まり扉が開くと、テナは振り返ることなく乗り込んだ。


 テナは家に帰ってきた。

「ただいまー」

 リビングでは、叔母であるサクがアイロンがシャツにアイロンをあてていた。

「お帰り。お友達の家で勉強会、楽しかった?」

「うん」

 テナは小さくうなずいてから、尋ねる。

「お母さんは?」

「買い物」

「お父さんは家に居る?」

 叔母は不思議そうな表情で首を傾げる。

「お兄ちゃん? 昼ぐらいに急な仕事って言って出ていって、まだ帰ってないよ。どうかしたの?」

「ううん。なんでもない」

 テナは早口で言って、そのまま自室へ入った。

 そしてそのまま、ベットに倒れ込む。

「……どうしよ」

 そのとき、ドアをノックする音が開いた。

 テナが返事をする前に、サクが入ってくる。

「テナちゃん、なにかあった?」

 叔母は優しく問いかける。

「……なんにもないよ」

 テナはベットに顔をうずめたままこたた。


「えー。そんなふうには見えないよ。お友達となにかあった?」

  叔母はテナの後頭部に顔を近付け、髪の匂いを嗅ぐ。

「匂い嗅がないでよ」

「えー。いいじゃん。テナちゃんのシャンプーいい匂い」

 テナは諦めたように、ゆっくりと口を開いた。

「ねえ、叔母さん。変なこと訊いていい? もしかしたら訊かれたくないこと」

「うん。いいよ」

「叔母さんって、叔父さんのこと、好きだった?」

 叔母は小さくうなずく。

「もちろん。旦那さんのことは、今でも大好きだよ」

 テナはゆっくりと顔を上げる。

「じゃあ、もし、もしもの話しだよ。そのヒトが不倫してたら、やっぱショック……だよね」

「う~ん。想像できないなぁ」

 叔母は少し考えて言った。

「あのヒト、ちょっと引くレベルで私LOVEだったから。えへへ」

 サクの顔が一瞬にやけて、すぐに真剣な表情に戻った。

 テナは立ち上がる。

「……変なこと訊いてごめん。今のこと忘れて。ちょっとシャワー浴びてくる」

 テナは部屋を出た。


 シャワーを浴びながら、テナは目をつむる。

 ラブホテルの前ですれ違ったミニバン。

 あれは、家の車と同じ車種、同じ色だった。

 さらに運転席にいたのは父だった。

 そして、助手席にいたのはテナの知らない女性。

 女性は泣いていた。

 勘違いだと、見間違いだと思いたかった。

 だけど、脳裏に焼き付いた一瞬の光景が見間違いの可能性を否定する。

「お父さん……仕事じゃないじゃん」

 テナはつぶやいた。

作中歌

「若桜小唄」

作詞:野口 雨情

作曲:藤井 清水

※ジャスラックデータベースにより歌詞の著作権が消滅していることを確認のうえ使用しています。

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