ぶすの話
お稲荷さんの神といえばウカノミタマが有名だが、稲荷大社にはウカ以外にも四柱の神が祀られている。
大社の奥。結界で隔離された空間。
十六畳の和室に、二柱の神がいた。
片方はギャル系ファッションの女子高生にしか見えないが、彼女こそ前述のウカノミタマノカミ――ウカなのである。
そして、もう一柱はまるで天狗のような外見をしている。こちらはサルタヒコ。道の神や導きの神と呼ばれている。
二柱の神は畳の上で思い思いにくつろいでいた。
そこにもう一柱、神がやってくる。
それは、若い巫女のような出で立ちだった。
オオミヤノメノオオカミ。美しい言葉で人々の間を取り持つといわれる神である。
彼女は両手で抱えるように、紐で蓋が止められた桐箱を持っていた。
「あ、オオミヤちゃん。どうしたの?」
ウカが尋ねる。
「はい。実はですね」
オオミヤノメは丁寧に桐箱をちゃぶ台に置く。
そのときだ。
縁側から足音がして、一人の化けギツネがやって来た。
「あの、神様どなたかお手伝いいただけないでしょうか?」
キツネは部屋にいた三柱の神を順に見ると、
「オオミヤノメノオオカミ様、少しお手伝いいただけないでしょうか?」
「はい、いいですよ。すぐに行きますので先に戻っていてください」
キツネは速足で部屋を出ていった。
「ちょっと行ってきます」
オオミヤノメは部屋を出ようとして、足を止めた。
「その箱、決して開けないでくださいね」
すると、ウカは首を傾げた。
「なにが入ってるの?」
オオミヤノメは目を泳がせる。
「え、えっと、そう。附子、附子です。臭いを嗅ぐだけで死んでしまうほどの猛毒で、処分を頼まれてしまって」
すると、今度はサルタヒコが口を開く。
「そんなものを平然と持ってきて、オオミヤノメよ、お主は平気なのか?」
「え、あ、はい。呪文があって、それを唱えておくと平気なんです。あ、でも、とっても難しい呪文なので、言霊の扱いに秀でた私でないと、使えない呪文なので」
「ほー。そういうものなのか」
「そ、そういうものなんです。と、とにかく、危ないですから絶対に近付かないでくださいな。臭いを嗅ぐだけで死んじゃいますからね」
オオミヤノメはそう言いうと、足早に部屋を出ていった。
残されたのは、二柱の神、そして附子が入ってるらしい桐箱。
縁側からそよ風が入ってくる。
ウカは座る位置を変えた。
「ウカ殿よ。どうしたのだ?」
それを見たサルタヒコが尋ねる。
「私、風下だった」
ウカがこたえると、サルタヒコはうなずいた。
「確かに。臭いを嗅ぐだけで死に至るというからな。気をつけねば」
「まったく。オオミヤちゃんったら、面倒なものを持ち込んで」
部屋の隅っこ。
ウカとサルタヒコは出来るだけ桐箱から距離をとり座る。
広い部屋なのに狭い。
「ときにウカ殿よ。お主は附子というものを見たことがあるか?」
サルタヒコが尋ねる。
「ううん。今日はじめて知った」
「ワシもだ」
お互いに顔を見合わせる。
「本当に毒なのかな?」
ウカが言った。
「オオミヤノメが、嘘をついていると?」
「うん。だってここ、なんだかんだいってただの神社よ。臭うだけで死んじゃう猛毒が持ち込まれるなんておかしいし、仮に持ち込まれたとしても、オオミヤちゃんの対応がおかしい。彼女なら真っ先に参拝者を避難させるはずよ」
「うむ。言われてみれば確かに」
サルタヒコは不思議そうな表情を浮かべる。それを見て、ウカは提案した。
「ねえ。臭いを嗅ぐだけで死ぬ猛毒、見てみない?」
「いやいやいや。なにを言っているのだ、ウカ殿。もし、オオミヤノメが真を申しておれば、我ら二柱、死んでしまうぞ。なにやら事情があるだけかもしれぬではないか」
ウカは少し考えて、
「私にいい考えがある。サルタヒコさん。団扇持ってる」
と言った。
「あるにはあるが何をするのだ」
サルタヒコは懐から羽団扇を取り出す。ウカもポケットから扇子を取り出し、広げる。
「扇で風をおこしながらなら近付き、中を見てみよう」
「そうは言っても、やはり賛成できぬぞ」
「大丈夫、大丈夫」
「しかし……」
「さあさあ。頑張って扇いで、扇いで」
「仕方ない。では、扇ぐぞ」
二柱はそれぞれ扇子と団扇で桐箱を扇ぎながら、近付いていく。
「扇いで、扇いで」
「扇ぐぞ、扇ぐぞ」
「扇いで、扇いで」
「扇ぐぞ、扇ぐぞ」
「扇いで、扇いで」
「扇ぐぞ、扇ぐぞ」
「そりゃっ」
ウカは桐箱の蓋を止める紐をほどく。
そして、すぐさま二柱とも桐箱から離れる。
「紐をほどいた」
ウカが言う。
「我ら、死んでいないな」
サルタヒコが安心したように言った。
「まだ、紐をほどいただけだからね。サルタヒコさん、また扇いで」
「心得た」
ウカとサルタヒコは再び風をおこし、桐箱に近付く。
「扇いで、扇いで」
「扇ぐぞ、扇ぐぞ」
「扇いで、扇いで」
「扇ぐぞ、扇ぐぞ」
「扇いで、扇いで」
「扇ぐぞ、扇ぐぞ」
「そりゃっ!」
ウカは蓋を開けた。
そして、すぐさま二柱とも桐箱から離れる。
「蓋を開けた」
ウカが言う。
「我ら、死んでいないな」
サルタヒコが安心したように言った。
二柱は背伸びをして桐箱の中を見ようとするが、上手く見えない。
「見えないね」
「見えないな」
二柱は顔を見合わせると、桐箱を扇ぎながら、三度近付いていく。
「扇いで、扇いで」
「扇ぐぞ、扇ぐぞ」
桐箱をのぞくと、そこには茶色く丸いものがいくつもズラリと並んでいた。
その見た目は、和菓子のみかさである。
「これが、附子」
「いや、どう見てもみかさでしょ。一個だけ食べちゃお」
ウカはみかさに手を伸ばす。
「待て、ウカ殿」
その手を、サルタヒコが掴んで制止した。
「見た目が菓子に似ているだけかもしれん。毒であれば死んでしまうぞ」
「沢山あるんだから、一個ぐらい食べちゃってもバレないって」
ウカはサルタヒコの手を振りほどくと、みかさを一個手に取り、かじりつく。
「んー!」
そして、声を上げる。
「やはり毒であったか! ウカ殿、死ぬでない!」
慌てるサルタヒコ。
しかし、ウカは口の中のきかさを飲み込み、満天の笑みを浮かべた。
「やっぱりみかさだ。みかさだけど、美味しい。すっごい美味しいよ」
ウカはあっと言う間に一個のきかさを食べきった。
「サルタヒコさんも食べてみなよ。マジでヤバい」
「そ、そうなのか? ウカ殿がそこまで言うのなら……」
サルタヒコも、恐る恐る一個手に取り、食べる。
「な、なんと。これほどのみかさが世にあったとは」
その素晴らしい味に、目を丸くした。
「も、もう一個だけ」
ウカがみかさに手を伸ばす。
「ワシも、もう一個だけ」
サルタヒコもみかさに手を伸ばす。
二柱はバクバクと食べていき、そして……。
「どうしよ……やばたにえん……とか言ってる場合じゃないくらいヤバい」
ウカはつぶやく。
二柱の神の前に置かれた桐箱。その中身は空になっていた。あんこの一欠片すら残っていない。
「オオミヤノメは甘いものが大好きだからな、このみかさを楽しみにしておるはず。附子だのと嘘をいったのも、我らに食べられぬようにする為だったのだな」
サルタヒコも、赤い顔を青くしている。
「でも、つい全部たべちゃった。怒る。絶対怒る」
ウカの言葉に、サルタヒコもうなずく。
「ああ。間違いなく激怒する」
「なんとか、誤魔化さないと」
ウカは彼女にしては珍しく、真剣に深く考え込む。
「そうだ! サルタヒコさん。ちょっと待ってて。必ず戻るから」
ウカは部屋を飛び出していく。
「おお、ウカ殿。なにか思いついたのか。頼む」
ウカはすぐに戻ってきた。
その手には、二つのプリンの容器が握られていた。未開封で、中身が入っている。
「冷蔵庫からとってきた。サルタヒコさん、これ食べて」
ウカはプリンの一つをサルタヒコに渡す。
「こ、これはオオミヤノメのプリンではないか」
プリンの容器には大きく『大宮能売』と書かれている。達筆である。
「これをも食べてしまったら、火に油を注ぐことになるぞ」
「大丈夫、私を信じて」
「……わかった」
ウカとサルタヒコは、オオミヤノメのプリンを一つずつ食べた。
「後は、オオミヤちゃんが戻ってきたら泣くフリをして、私に話しを合わせて」
「心得た」
オオミヤノメが戻ってくると、ウカとサルタヒコは部屋の真ん中でうずくまり、おいおい泣いていた。
「戻りましたー、って、お二方ともどうしたんですか?」
するとウカが頭を伏せたまま言う。
「ごめんなさい。冷蔵庫にあったオオミヤちゃんのプリン、名前書いてあるって気が付かなくて、食べちゃったの」
サルタヒコも続く。
「本当に申し訳ない」
オオミヤノメは、空になったプリンの容器に気付いた。
「まったく、それだけ大きく名前を書いてあったのに、何回目ですか」
徐々にオオミヤノメの表情が険しくなる。
「それね、今回は本当に申し訳ないと思って、もうこれは死んで詫びるしかないと思ったわけ。ねっ」
ウカはチラリとサルタヒコを見た。
「あ、ああ。そうだ。プリンを食べてしまった我らの過ち、命でもって償うほかない」
ウカは話を続ける。
「それで、附子を食べたんだけど、一口食べても、二口食べても、死ねず、とうとう全部食べたのだけど、私たち二柱、尋常ではないくらい体が丈夫なようで」
オオミヤノメは桐箱に目をむける。中身は空。丁寧に中を洗ったかのように、綺麗に空っぽだ。
「あなた方、あれまで……」
オオミヤノメはウカの前にしゃがみ、笑みを浮かべた。
「あれは附子などという毒ではなく、お供え物で頂いた、とても上等なみかさなんです。皆で分け合っていただこうと思ったのですが、その辺りにポンと置いておくと、あなた方に食べつくされてしまうと思って、思わず嘘をついてしまいました」
「オオミヤちゃん……」
「だから、大丈夫。ウカ様も、サルタヒコ様も、死にはしませんよ。死して償うなどとおっしゃらず、どうか、生きて償ってください」
「オオミヤちゃん?」
オオミヤノメの表情から、笑顔が消えた。
「附子ではなくみかさだとわかって、全部食べてしまったでしょう。自害しようとしたなどと嘘を言ってごまかそうとしたって、全部お見通しですからね。今日という今日は許しませんよ!」
ウカは「ヤベっ!」と言って、素早く立ち上がると部屋を飛び出した。サルタヒコもそれに続く。
「お待ちなさーい」
オオミヤノメはすかさず追いかける。
「許して」
「許しません」
「許してくれ」
「許しません」
大社の奥。
結界で隔離された空間は、今日も賑やかだった。
二時間後。
大社の大鳥居の根元。
ある一人の巫女が箒で落ち葉を集めていた。
ふと顔を上げると、ウカと、人間に化けたサルタヒコがトボトボと歩いてくるのが見えた。どこかに出かけるようである。
「あ、ウカノミタマノカミ様、サルタヒコノミコトノカミ様、お出かけですか?」
巫女は声をかける。
「あ、うん。ちょっとお詫びのお菓子を買いに」
ウカが気まずそうにこたえた。
「菓子折りですか? それでしたら、私が買いに行ってまいりますよ」
巫女はそう言うが、ウカはヒラヒラと手を横に振った。
「いいの、いいの。お使いに行ってもらったのバレたら、また怒られちゃうから」
「はぁ」
怪訝そうな表情を浮かべる巫女を横目に、ウカとサルタヒコは背中を丸めて歩いていった。