『スーパーはくと』の話
JRの因美線を走ってきた特急『スーパーはくと号』は智頭駅を発車すると、第三セクターである智頭急行の線路に入る。
山陰地域と山陽地域の間には、往来を阻む壁の如く中国山地が横たわっているが、列車はそんなものはまるで関係ないとばかりに俊足ぶりを見せつける。その姿はまさしく野山を駆る白兎だ。
その高速で流れる車窓を、サナはぼんやりと眺めていた。
はじめてこの列車に乗ったのは、一年生と二年生の間の春休みだった。
ある日、家に稲荷伸であるウカがやってきた。
ウカは時間をかけて、サナの両親となにやら難しい話をした後、サナは呼ばれた。
サナは年のわりに強い力を持ったキツネである。
だから京都に下宿して、力の使い方を学んでほしいと。
最終的にはサナの意志を尊重するということになった。
サナは悩んだ末、京都に行くことを決めた。
ワクワクする気持ちと、親元を離れる不安や寂しさ。いろいろな気持ちが入り混じっていた。
あの頃、座席に座ったときの目線はギリギリ窓枠を超える高さだった。今は、広い車窓を見ることが出来るようになった。
「ねえ、ねえ、サナちゃん」
声をかけてきたのは、クラスメイトのリンコだった。
現在、修学旅行。
サナとリンコ、それからアカリの三人で一つの班。
座席を向かい合わせにして座っている。
「なに?」
「サナちゃんさ、昨日テレビでやってた映画見た? ウサギの警察官がキツネの詐欺師と一緒に事件を解決するやつ」
「うん。見たぞ。あのキツネ、カッコよかったな」
ぼんやりテレビで流れていただけだったのに、いつの間にか真剣に見ていた。これだからD社の映画は業が深い。
「そうだよね。あのキツネさん、とってもカッコいいし、耳とか尻尾がフワフワでちょっと可愛いのが余計にいいよね。あー、モフモフしてみたいなー」
リンコは身を乗り出し、熱く語る。
「キツネの耳なんて、犬のとそんなに変わらんぞ。たぶんな。アカリのとこの気取ったいけ好かない犬、触らせてもらえよ」
サナはちょっと呆れたように言いながら、アカリを見る。
そこで気付いた。
いつも元気なアカリが、今日に限って口数が少ない。
「アカリ、大丈夫か?」
サナが尋ねる。
「へ? 何が」
「なんか、元気ないみたいだけど」
「え、えーっと、ちょっと、恥ずかしいんだけどさ、私、出かけるって行ってもせいぜい市内まで行くだけだし、家族旅行とか行くこともないし、県外に出るの、はじめてなんだよね。それで、昨日の夜はほとんど眠れなくて」
サナとリンコは顔を見合わせる。
それからサナはうつむくアカリの顎を、指でクイっと持ち上げる。
「はじめてだなんて、アカリも可愛いとこあるじゃぁねえか。でも、まだまだ寝かさないぜ」
サナは普段出さないような低い声で言った。
「いやいやいや。そこは『今は寝ていいぞ』じゃないの」
リンコがつっこむ。
そんなこんなで、サナがはじめて京都に行ったときとはまるで違う、ハイテンションな子供たちを乗せて、特急『スーパーはくと号』は駆け抜けていった。
上郡駅から、列車は再びJRの線路に戻る。山陽線だ。
これまでの山岳地帯とはうってかわって、田園地帯風景が広がる平地を特急列車は駆ける。
その車内。
さっきまでワイワイと騒いでいたが、ひと段落つき、静かになった。
「酔った」
おもむろにアカリが青い顔をして言った。
「へ?」「へ?」
ポカンとした表情のサナとリンコ。
一瞬の間。エンジンの音と、レールのつなぎ目を車輪が超えるときのカタンコトンという音が響く。
「サナちゃん」
「うん。わかった」
リンコは優しく声をかけならアカリをトイレに連れていく。
その間にサナは先生に報告に行った。
スーパーはくと号の扉が閉まり、発車していく。
ここは兵庫県、姫路駅。
サナ、アカリ、リンコ。それから副担任の若い女性の先生。
四人並んで座る、ホームのベンチ。
「……ごめん」
アカリが小さな声で言った。
「気にすんな。私は気にしてない」
サナは軽い調子で言った。
「でも、せっかくの修学旅行なのに……」
「せっかくの修学旅行だからだよ。大事なのは、どこに行くかじゃなくて、誰と行くかだよ」
すかさず、リンコが言い返した。
「ほら、見てみろよ。姫路城が見えるぞ」
サナは正面を指差す。
駅前には大きな道路がまっすぐに伸びていて、その突き当りが姫路城だ。
アカリは顔を上げた。
「サナ、詳しいね」
「前に一度、来たことがあるから」
サナは思い出す。
確か、三年生になってすぐの頃だ。
下宿先の家には同い年の化けキツネの女の子がいた。名前はラクといった。
ラクは細かい作業が好きなようで、プラモデルをよく作っている。
あるとき、誕生日にもらった姫路城のプラモデルを作り上げたラク。
あまりの出来栄えにリビングに飾っていたのだが、みんなでそれを見ているうちに、本物の城を見に行こうということになり、みんなでやって来たのだ。
姫路駅で降りて、一時間ほど。
「もう、大丈夫そう」
アカリの顔色は随分よくなった。
「確か予定通りだと、この後、大阪で昼ごはんですよね」
リンコが先生に尋ねる。
「そうね。もうそろそろ大阪に着いている頃ね」
先生は腕時計と予定表を見比べる。予定では、大阪で昼食の後、京都で観光ということになっている。
「あの、先生。ちょっと提案なんですけど」
リンコはスマートフォンで何かを調べながら言った。
「大阪飛ばして、普通で京都に直接行きませんか? そしたら、丁度合流できるんじゃないですか?」
「それで大丈夫そう? 高森さん」
先生が尋ねると、アカリはうなずく。
「はい。直接京都行きましょう」
その途端、アカリのお腹がグーと音をたてました。
アカリは恥ずかしそうにお腹をおさえる。
「とりあえず、ご飯食べないか?」
サナとリンコ、それから先生のお腹も、大きな音をたてた、
姫路駅の立ち食い蕎麦。
出てきたのは、ネギとエビの天ぷらがのっかっている蕎麦。
ありふれた天ぷら蕎麦、と言いたいが一点、とても特徴的な部分があった。
「これ、蕎麦……だよな」
サナが箸で摘まみ上げた麺。それは黄色かった。
すると、店員のおばちゃんが笑う。
「うちね、中華麺使ってるの」
サナはその中華麺をすする。
それは、一般的な蕎麦とも、ラーメンとも違う食べ物。
だけど、とっても美味しかった。
やがて、快速電車が駅に滑り込む。
お腹いっぱいになったサナ、リンコ、アカリは電車に乗り込んだ。
「アカリ、大丈夫か?」
サナが尋ねると、すっかり顔色がよくなったアカリがうなずく。
スマートフォンで現状を他の先生に報告し終えた先生も、少し遅れて乗り込む。
扉が閉まり、電車は動き出した
サナ達は四人掛けのボックスシートに座る。
「ねえ、しりとりしない?」
リンコが提案し、みんなうなずく。
しばらくの間、田園風景を走り抜けた電車は朝霧駅を高速で通過し、緩いカーブを曲がりながら海辺に踊り出る。
穏やかで、数多くの船が絶え間なく行き交う瀬戸内海。
むこうに見える島は瀬戸内最大の島、淡路島。
そして、その淡路島へと渡るための世界最長の吊り橋、明石海峡大橋がグングン近付いてくる。
サナ達四人は、窓を見ながら歓声を上げた。
電車はサナ達のような旅行者も、毎日の通勤・通学で乗っているヒト達も、全部一まとめに乗せて、一路、東へむかう。
その先にあるのは、大阪。そして京都の街だ。