第95話、おまえが(私の)パパになるんだよ⁉(その21)
気がついたら僕は、病院のベッドの上に横たわっていた。
付き添っていた母親が、涙ながらに語ってくれたところによると、あれからすでに三日もたっており、意識不明の重体だった僕はずっと、生死の境をさまよっていたらしい。
一応、泉水先生やアズサたちのほうも、この病院で治療を受けたそうだが、入院するまでもなく、簡単な処置だけで事無きを得たという。
ただし、いまだに事件当日の記憶はあいまいのままらしく、あの日何が起こったのかはもちろん、なぜ自分たちがその場にいたのかさえも、まったく覚えていないとのことであった。
そう。あたかも自らを未来人と名乗っていた時の記憶を、すべて失ったかのように。
結局肝心かなめの被害者である僕自身も、あえて支離滅裂な証言に徹したことや、先生の実家が強硬に圧力をかけてきたこともあり、事件自体があやふやなままで棚上げされてしまい、先生やアズサたちが特に罪に問われるようなことは無かった。
僕の入院中にも彼女たちは代わる代わる見舞いに来てくれたのだが、全員例外なく絆創膏や包帯だらけの痛々しい姿のままであり、僕に対して何となく申し訳なさそうにはしていたものの、『未来の娘』などと自称していたことが嘘であったかのように、親しい中にもそれぞれの立場に応じて一定の距離を保った、極ありきたりの人間関係へと戻ってしまっていた。
ちなみに我が敬愛する『異世界転生SF的考証クラブ』の部長の、辰巳エリカ嬢も、一度だけお目見えなされたのであるが、「いやあ、さすがはリアルギャルゲ王だね、まさか本当に女性同士の修羅場で、刃傷沙汰を起こすとは」と、感心されるわ呆れられるわで、身の置き所がなかったのは苦い思い出であった。
そして、ある意味すべての元凶とも言える、山王生徒会長だけは、退院するまで一度たりとて、姿を現さなかったのである。
「……結局すべては、彼女たちの中二病妄想に過ぎなかったのかも知れないな」
事件当日から十日ほどたち、ようやく退院を許され家へと戻った、夏休み最終日の深夜。僕は自室のベッドの上に横たわりながら、ため息まじりにつぶやいた。
何せ、未来人とか、時間跳躍とか、精神体型タイムマシンとか、いかにももっともらしいことを言ったところで、あくまでもそれは彼女たちの自己申告のみの、『精神体の憑依』に過ぎないのであり、実際には未来人である物的証拠を、何一つ見せられたことは無かったのだ。
まあいいや、前世とか来世などといった中二病妄想に夢中になるのも、思春期の女の子ならではの流行り病みたいなものだからな、悪い夢でも見ていたと思って、さっさと忘れてしまうことにするか。
「……しかし、こうして自分のことをあんなに熱烈に求めていた『娘』たちが、いっぺんに消えてしまったりしたら、それはそれで一抹の寂しささえも感じてしまうものだよなあ」
そんな益体もないことを言いながら、布団を頭からかぶろうとした、その刹那であった。
「──大丈夫よ、お父さん、来年の夏にこの世に生まれてからはずっと、私たちはお父さんと一緒に暮らていくんだから♡」
唐突に目と鼻の先から聞こえてきた少女の声に思わず身を起こせば、いつの間にかベッドの上には、包帯だらけながらも端整な顔に妖艶な笑みを浮かべている、同級生の幼なじみと委員長の姿があった。
「……おまえら、何でこんな時間に。しかもよりによって、二人一緒だなんて。つうか、そもそもどうやって、家の中に入ってきたんだよ⁉」
「もちろん、家が隣同士のお馴染みならではの、『ベランダ伝い』よ」
「右に同じ」
いかにも当たり前のように言っているけど、それはたとえ親しい仲であろうと、日中に互いの了承のもとに行われる場合のみに許されるのであって、こんな夜更けに家族のほとんどが寝静まっている時に行えば、立派な不法侵入だろうが⁉
「ていうか、結局のところ、中二病だったのか本物だったのかは知らないけれど、もう未来人の精神体のほうは、消滅したんじゃなかったのかよ⁉」
思わぬ事態に面食らいながらも、まくし立てれば、満面に笑みをたたえる少女たち。
「私たち気がついたの、争い合って生き残る確率を何分の一かにするよりも、『娘』たちの誰もが未来において、100%存在できる方法があることを」
……それって、まさか⁉
「「そう。お父さんが、私たちのお母さん全員と、結ばれればいいことを!」」
「──なっ。馬鹿なことを言うんじゃないよ、ただでさえ高校生が妊娠騒ぎなんかを起こしたりしたら、大事になるというのに、その上更に二股なんてできるかよ⁉」
「そんなの知ったことじゃないわ、何せあなたとお母さんが結ばれないことには、私たちは存在し得ないのですからね。まあその後の御苦労のほうは、よろしくお願いするわ」
「さあ、いつまでも往生際の悪いことなんて言ってないで、後がつかえていることだし、さっさと始めましょう」
「後がつかえているって…………なっ⁉」
アズサたちの視線を追って振り向けば、何と部屋の入口にはサユリや泉水先生までもが、まるで人気アーティストのコンサート会場前で開演待ちでもしているかのように、文庫本やスマホを片手にたたずんでいた。
「あいつらまで、来ていたのかよ⁉」
「当然でしょ、これはあなたの『娘』の精神体を宿している者、全員の問題ですもの」
「何せ肝心のお父さんが、『分岐点』よりも以前に生命の危機に瀕したりしたら、必然的にすべての分岐世界は消滅してしまうわけなんだから、誰が選択されるかどうかで争っている場合じゃないことに、気がついたわけなのよ」
「そこで『娘』たち全員で話し合って、何よりも自分たちの存在の確実性と、お父さんの身の安全とを両立させるために、あなたのことをみんなで共有することに決定したって次第なの」
みんなで共有するって、おいおい、僕は種馬でも愛玩動物でもないんだぞ⁉
「……しかしそれにしても、文字通り殺し合いをしてしまうほどに、あれほどガチでいがみ合っていたおまえたちが、よくもまあ、話し合いの席に着けたものだな? そもそもこんな馬鹿げたことを考えついた、『言い出しっぺ』は一体誰なんだよ?」
そうなのである。
彼女たちの言い分もある程度理解できるし、何よりも『争い』をやめて、『協調路線』の道を選んだ点に関しては、とてもヤンデレ妄想癖とは思えないほど、理性的かつ平和主義的で、これが他人事であれば無条件で感心したであろう。
だが、あの事件の日以来、当然彼女たちはお互いに、極度の疑心暗鬼の状態にあっただろうし、どう考えても『話し合い』を行えるような状況ではなく、むしろとてつもなくリーダーシップを有する外部の人間が音頭でもとらなければ、まず同じテーブルに着くことすら不可能かと思うんだけどなあ……。
そのように僕が、どうにも納得できず、首をひねっていた、まさにその時。
「──それはもちろん、この私が一肌脱いだからなのよ、お父さん♡」
唐突に鳴り響く、もはや聞き覚えのあり過ぎる、涼やかなる声。
思わず振り向けばそこにいたのは、涼しげな純白のワンピースに華奢な肢体を包み込み、艶めく黒髪と日本人形そのままの端整なる小顔も麗しい、お馴染みの上級生の少女であった。
これまでになく不敵な笑みに煌めいている、黒曜石の瞳。
「──か、会長⁉ 何でおまえまで、こんな真夜中に僕の家にいるんだ?」
そうそれは、ある意味諸悪の根源とも言える、『元祖僕の未来の娘』の、満を持してのご登場であった。




