第94話、おまえが(私の)パパになるんだよ⁉(その20)
──目が覚めたら、なぜか僕は、学園の保健室のベッドの上に横たわっていた。
……何で僕は、こんなところで寝ているんだ?
確か、失意のあまり学園内をあてどもなくさまよい歩き続けていたところ、グランドに差しかかった時に誰かの叫び声が聞こえて、そして何かが飛んできて。
──ッ。
……いてててて。
な、何だこの頭痛は?
わからない、それから後の記憶が、すっかり消えている。
「──あら、気がついたの? 赤坂君」
その時、ベッドの周囲を取り囲むカーテンをめくって現れたのは、白衣姿の保健医さん………ではなくて、
「せ、泉水先生? 何であなたが白衣を着て、保健室なんかにいるんですか⁉」
そう。僕の目の前に突然現れた、メリハリのきいた肢体を孔雀色のタイトミニのスーツに包み込み、ゆるやかなウエーブがかかった淡い色合いの髪の毛に縁取られた、彫りの深く端整な小顔をした二十代前半の女性は、間違いなく最近その暴走っぷりに拍車がかかったことで要注意な、新任教師の泉水サトミ女史(白衣ヴァージョン)であった。
大人びた雰囲気の中で、どこか妖艶さをも感じさせる、薄茶色の瞳。
「そりゃあもちろん、赤坂君を看病するために決まっているでしょ♡」
そう言うやしなだれかかってきて、僕の胸元に指先をはわせる、コスプレセクハラ女教師殿。
「──いやいや、その前に、そもそもどうして僕は、こんなところで寝ているわけですか⁉」
「覚えていないの? 聞いたところによると、あなたってばグランドの近くを歩いていた時に、練習中のサッカー部の蹴り損ないのボールが、運悪く頭部に命中して、昏倒したそうよ。結構大騒ぎになって、大変だったんだから」
……そ、そういえば。
確かにあの時誰かが、『──危ない!』とか何とか叫んだので、咄嗟に振り向いたら、いきなり何かがおでこの辺りに当たってきて、その後の記憶が途切れてしまったんだっけ。
つまりあれって、サッカーボールだったわけなのか……。
至極つじつまの合っている説明を受けて、思わず納得しかけた、その刹那。
『──いいか、赤坂くん、SF小説みたいなことはあくまでも、SF小説の中でしか起こらないのだ。いくら現在ギャルゲそのものの状況になっているからって、けして彼女たちのような、「虚構」そのままの存在に取り込まれてしまうんじゃないぞ。今こそ「主人公」としての君にとっての、踏ん張りどころなんだからな』
脳裏に蘇る、耳馴染みの上級生の少女の声音。
──そうだ、こんなことが、現実に起こるわけがあるものか。
学園のグランドのそばをただ歩いていただけなのに、たまたま飛んできたサッカーボールが顔面にヒットして気を失って、目覚めれば昼下がりの二人っきりの保健室の中で、保健医でも何でもない新任の美人女教師と、ベッドの上で寄り添うことになるだなんて。
それこそ、ギャルゲやラノベやWeb小説でもあるまいし。
「……んぐ、むぐぐぐぐ」
その時突然、同じくカーテンに仕切られている隣のベッドから聞こえてきたのは、やけにくぐもった女性のうめき声であった。
な、何だ⁉
思わずカーテンを開け放てば、ロープで上半身をがんじがらめに縛りつけられ、口元には猿ぐつわをかまされた無惨な姿で、ベッドの上に転がされていた、二十代後半の女性は、何と紛う方なく、この部屋の本来の主であった。
「なっ、保健医さん⁉ ちょっと、泉水先生、これっていったい?」
「うふふふふ、決まっているじゃない、私のこれからのシナリオ進行の邪魔にならないように、そこで大人しくしてもらっているわけよ」
振り返れば、すでに人のよさそうな仮面をはぎ取り、邪悪にほくそ笑んでいる、『女』の顔が見つめていた。
「シナリオって、それじゃまさか、この状況は……」
「そうよ、すべてはこの私が、お膳立てしたことだったの。サッカー部の童貞ぼうやを、ちょっとした色仕掛けを使って言うことをきかせて、あなたにわざとボールを当てて、保健室に運ばせて、そしてそこには、あらかじめ保健医さんの不意をつき縛り上げて、彼女の代わりに白衣を着込んだ私が、待ち構えていたってわけなのよ」
まるで小説の一節でも読み上げるかのように、少しも悪びれもせず告白していく女教師の姿に、今や頭痛のせいだけでなく、いろいろな意味でめまいすら感じ始めた。
「……どうして、そんなことを」
「もちろんそれは、『告白同盟』の誰よりも早く、あなたのことを自分のものにするためよ」
そう言って更に豊満なる肉体を押しつけてきて、僕をベッドへと押し倒す、何ちゃって女医。
「うわっ、ちょ、ちょっと、先生⁉」
「いくら選択権があなたにあるからといって、コンピュータでプログラミングされたギャルゲのヒロインでもあるまいし、選ばれるのを黙って待っている必要なんか無いでしょ? 何せあなたをゲットした時点でゲームクリアなんだから、要は早い者勝ちってことじゃない。──ふん、何が告白同盟よ、そんなぬるい盟約でお互いを縛りつけようとするなんて、むしろ滑稽の極みだわ!」
そして今度は四つん這いになって、薄い毛布越しに僕へと覆いかぶさってくる、新任教師。
「ぼ、僕をゲットするって⁉」
「うふふふふ、言葉通りの意味よ。ごめんね、シナリオのためとはいえ、痛い目に遭わせたりして。でも大丈夫、今からすぐにこの上もなく気持ちのいい思いをさせて、頭痛なんか忘れさせてあげるから♡」
そう言って白衣とスーツの上着を同時に脱ぎ去って、薄手のブラウスに包み込まれたボリューミーな肢体を僕の目の前にさらす、暴漢女教師。
「心配しないで、鍵をかけているから誰にも邪魔されないから。──ああ、そうそう、もしも抵抗なんかしようものなら、遠慮なく大声をあげて、あなたに襲われたって訴えるつもりですので」
ちょっ、何だよその、物理的にも精神的にも、八方塞がりの状況は⁉
もはや為す術も無く横たわり続ける僕へと、みるみる迫り来る桃花の唇に、万事休すかと思われた、まさにその時。
「「「──ちょっと、待ったあ!」」」
鍵のかかった扉を文字通り蹴破って突入してきたのは、僕の幼なじみとクラス委員に従妹の中等部生という、御存じ暴走三人娘の皆様であった。
……って、またこのパターンかよ。
「な、何であなたたちが、ここに⁉」
用意周到に準備したはずの、『保健室ステージシナリオ』があっけなく看破されたことに、さすがに驚きを隠せない、『ギャルゲヒロイン先生』であった。
「あなたのことは要注意人物として、告白同盟の他のメンバー全員の総意のもと、常に監視させていただいたのです」
「何ですってえ⁉ ひどいわ、私一人をハブるようなまねをするなんて!」
「現にこのような抜け駆け行為を行っていながら、どの口が言いますか」
「そうでなくても元々あなたは、最優先排除対象だったというのに」
「……どういう意味よ、それって」
唐突に飛び出した不穏な言葉に、とたんに表情を消し去る新任教師。
「いくらお父さんに選ばれようと、私たちのような高校生や中学生の未成熟な身体では、健康な子供を授かって無事に出産できるとは限らず、一回のステージだけではクリア条件を満たせない可能性がありますが、成熟した肉体を有するあなたに限っては、その心配はほとんどありません」
「つまり我々の中で唯一あなただけが、たった一度のチャンスのみでゲームクリアすることのできる、ヒロインキャラとも言えるのです」
「よって我々は、もしもあなたが一度でも何らかの抜け駆け行為をした場合は、同盟への裏切りと見なして、物理的に排除することを決定したのです」
「はあ⁉ どうして私だけが、そんな目に遭わなければならないのよ⁉ 高校生だろうが中学生だろうが、妊娠する時は妊娠するじゃない! あなたたちのやっていることは、単なる言いがかりよ!」
「だからといって、一番クリア条件が甘いはずのあなたが、何度も抜け駆け行為をしようとするのを、黙って見ているわけにはいかないのですよ」
「抜け駆けの何が悪いというの? 結局は早い者勝ちなんじゃない! 自分たちが一回の選択肢イベントでは妊娠する可能性が低いからといって、私だけ排除しようとするなんて、やり口が汚過ぎるわ!」
「泣き言はどうぞ、来世でおっしゃってください、我々だって自分の世界の命運を背負っているのです、異端者に対して手加減するわけには参らないのですよ」
そう吐き捨てるように言い終えると同時に何と、ポケットや手持ちのポーチからそれぞれ、大振りのナイフを取り出していく三人娘。
「……ふん、しょせんは分岐世界の不完全体か、予想通りの短絡的な行動ね」
そう言うや、こちらもタイトミニのスカートのポケットから、折り畳み式のナイフを取り出す新任教師。
おいおい、まさか未来の女性同士の恋のバトルでは、ナイフ常備がお約束なのかよ⁉
「ちょ、ちょっと待ってくれ、おまえらまずは落ち着いて、話し合いでも──」
「お父さんは黙っていて! これは私たち『娘』の生死を賭けた勝負なんだから!」
「「「そうよ、勝ち残るのが一人だけのサバイバルゲームに、話し合いなんて無用よ!」」」
そんな漢らしいことを叫びながら、激しく斬り結んでいく、可憐なる乙女たち。
もはや為す術も無く呆然と見守り続けるばかりの僕を尻目に、たちまちのうちに全身傷だらけとなり、薄手の夏服や制服も無惨に切り裂かれ鮮血に染め上げられていく。
それでも両陣営とも攻撃の手をゆるめることなく、ほとんど一進一退の激闘が続いていたのだが、結局は多勢に無勢というところか、不意に足を滑らせた女教師が踏ん張りきれずに、空いていたベッドへと倒れ込んでしまった。
「「「もらった!」」」
「……くっ!」
「──やめろおおおおおっ!」
まさにその瞬間、好機とみた少女たちが一斉にナイフを振り降ろすのと、必死に反撃を試みようと教師がやみくもにナイフを突き出すのと、何とかして止めようと僕が双方の間に割って入るのが、ほぼ同時に行われたのであった。
「「「「きゃあああああああっ! お父さん⁉」」」」
激痛とともに意識を失っていく中で、最後に耳に届いたのは、『娘』たちの悲鳴であった。




