第85話、おまえが(私の)パパになるんだよ⁉(その11)
「──赤坂君。実は私、あなたの未来の『娘』なの」
その女教師は、夏休みの二人っきりの生徒指導室で、ためらいがちにそう言った。
………………………………………………………………………………………はあ?
レモンイエローのタイトミニのスーツに包み込まれた、二十代前半の女性らしいメリハリのきいた肢体に、ゆるやかなウエーブを描きながら背中の中ほどに流し落とされている、淡い色合いの髪の毛に縁取られた、彫りの深く端整な小顔。
そして、大人びた雰囲気の中でどこか親しみやすさをも感じさせる、薄茶色の瞳。
──泉水サトミ。
この地方都市において栄えある伝統と最上の格式を誇る、名門学園高等部の新任教師にして、教育界に絶大なる権力を誇る某一族の申し子という、まさしく生粋のお姫様。
高等部一年生にして弱小文化系クラブの平部員である僕、赤坂ヒロキにとっては本来なら言葉を交わすことすらできないはずの、文字通りの高嶺の花の存在なのであった。
…………………って。ちょ、ちょっと待ってよ、何この、どこかで見たような展開は?
ということは、まさか先生、あなたまでもが会長に引き続いて、何かおかしな妄想に取り憑かれてしまったんじゃないでしょうね⁉
突然の思わぬ事態に内心慌てふためき続ける少年を尻目に、女教師はその時、大輪の花のような艶やかな微笑みを浮かべたのであった。
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──それは、最初のうちはいかにもたわいのない出来事を積み重ねながら、次第に大きなうねりへと変わっていったのである。
先日の夜這い騒動の折のあまりにも後味の悪い幕切れのせいか、あれ以来山王会長が僕の家に来ることは無くなり、ちょうど学園祭に向けての準備作業も本格化したこともあって、二人ともそれぞれ生徒会活動と部活動とに専念していき、お互いに私的な接触をはかることもすっかりなくなっていた、今日この頃。
あの暴走妄想娘の思わぬ豹変に大いに拍子抜けするとともに、正直言って少々寂しくも感じたのだが、夏休みも後半に突入したとはいえ、とにもかくにもやっと取り戻すことができた自由な日々を、改めて満喫せんと決意を新たにしていたところ、やはり世の中そんなに甘くはなかったのだ。
そう。あたかも会長の後を引き継ぐかのようにして、何と今度はアズサや委員長や従妹や泉水先生たちが、挙動不審になっていったのである。
まず最初におかしな行動をとり始めたのは、さすがはデフォルトですでに『ヤンデレ』そのままなダウナーなキャラであった、今出川学園中等部所属の十三歳、ツインテールの黒髪と色白で小柄な肢体に、あたかもビスクドールそのままの秀麗な小顔に黒水晶の瞳がご自慢の少女、従妹の青山サユリであった。
まるでずっと機会を窺っていたかのように、会長と入れ替わるみたいにして、僕の家に泊まり込んできたのであるが、そのこと自体は従妹でもあるので何の問題もなく、母さんたちも諸手を挙げて歓迎するばかりであり、僕自身もあえて異を唱えることはしなかったものの、むしろ問題は山積みであったのだ。
確かについ先日まで会長も僕の部屋に入り浸っていたとはいえ、それはあくまでも日中に限ってであり、名家のお嬢様ならではの厳しい門限ゆえに、時には少々遅くなることはあっても、必ずその日のうちに御帰宅あそばれていたのだ。
しかしそれがサユリのように長期間にわたって泊まり込み続けるともなれば、話はまったく違ってきた。
そうなると当然一つ屋根の下で寝食を共にしていくわけで、いわゆるお定まりのラブコメ的イベントに事欠かない状況ともなり、もちろんあのヤンデレ従妹様がそんなチャンスを見逃すはずがなく、日中は僕の部屋に入り浸り、いつの間にか部屋中に張り巡らされていた会長特製のポスターを自分のものに張り替え、しかもこれまた先達御同様に隙あらば僕に過激なスキンシップすら迫ってきて、外出の際は学園でもどこでもぴったりとストーキングしてくる始末であった。
更には何と僕がお風呂に入っているとすかさず混浴してきたり、夜も人の寝床に勝手に潜り込んできたりして、もはやそれはこれまでのちょっぴりおませな従妹からの恋のアタックなどというレベルではなく、まさしく『女』そのものの本気の求愛行動とでも言うべきものであった。
もちろんそうなると黙っておられないのが御隣人であり、自称僕の生粋の幼なじみであるアズサであって、これまた会長のとき同様にサユリが暴走し始めて僕がピンチに陥るや、すかさず駆けつけて妨害してくれたのだ。
だが今や事はそれだけでは済まず、むしろバトルの本番はそれからなのであって、サユリとの間で文字通りにオスを巡るメス猫同士みたいに、本気のつかみ合いやひっかき合いを交えた、苛烈なキャットファイトを始めていき、毎回僕が間に割って入って捨て身の仲裁をすることによって、どうにか事無きを得ているという有り様なのであった。
しかもアズサ自身の振る舞いも以前とは大きく様変わりしてしまい、サユリが席を外したときや学園で僕が一人でいるときなどに、いくら幼なじみ同士とはいえこれまでではあり得ないほどに、過剰なスキンシップを行ってくるようになってしまったのだ。
更には僕の部屋に来る理由も、サユリを牽制するためというよりはむしろ、アズサ自身の欲望ゆえへと変わり果てていき、ついには互いに夜這い目的で僕の部屋に忍び込んできたところかち合ってしまったために、派手なバトルを展開するという、文字通りミイラ取りがミイラになってしまうという体たらくなのであった。
そしてそれは何と、まさしく優等生の鑑であったクラス委員の七瀬メグミ嬢や、れっきとした教師である泉水サトミ女史も、御同様なのであって、特に委員長に至ってはすでにお伝えしたように、これまで頑なに守り続けていた『アズサの親友』という、あくまでも少し距離を置いた客観的立場を捨て去り、単独で積極的に僕に接触してくるようになったのだ。
彼女は主に学園内──それも、図書館とか自習室といったいかにも優等生らしい場所で、あたかも待ち構えていたかのようにして、たまたま一人でやって来た僕に何かとアプローチを仕掛けてくるのであるが、最初のうちは真面目に夏休みの研究課題等を協力してこなしていたものの、そのうちにだんだんと休暇中とはいえけして人気がないわけでもないのに、周囲を気にすることもなく、あからさまなスキンシップを行い始める有り様であった。
まあ彼女については、例の府立図書館での遭遇以降、たとえ勉学関係であろうとけしてお誘いに乗らないようにしているので、問題はないのだが、とにもかくにも始末に負えないのが、一応は教職にあられる泉水サトミ女史なのであった。
人が生徒会における『助っ人』活動や『異世界転生SF的考証クラブ』において部活動をやっている時に、突然校内放送で呼び出しをかけてくるものだから、すわ何事かと駆けつけてみれば、鍵をかけた密室状態の生徒指導室で二人っきりにさせられて、一応最初のうちは進路相談等のいかにももっともらしいことをやりながらも、次第にこれまでの御先達同様にスキンシップ主体の秘密の個人授業へと移行していったのである。
しかもいくらその場から逃げ出してみたところで、相手は腐っても教師であるので呼び出しを受ければ出頭しないわけにはいかず、たとえ学園当局に訴えてみても、その絶大なる権力によってもみ消されるばかりであった。
──しかし、これまでの時点ですでに他の女性陣からの猛アタックに辟易していた僕は、とうとう本日に至って性懲りもなく呼び出しを受けた生徒指導室でキレてしまい、彼女の個人的越権行為に対して面と向かって厳重に抗議したところ、生徒から正論で追いつめられ逆ギレしてしまった彼女は、よりによってどこかの妄想少女そのままに、このように自分が何かとアプローチを仕掛けているのは、実は僕の『未来の娘の魂』がこの身に宿っているからなどと言い出したのであった。




