第84話、おまえが(私の)パパになるんだよ⁉(その10)
「──あら、赤坂君じゃないの?」
クーラーの効いた京都府立図書館で、納涼を兼ねて読書に没頭していたら、ふいにかけられた耳馴染みの声。
「……委員長?」
普段は真面目一本槍の彼女には珍しく、短めのキャミソールと七分丈のスリムなジーンズという、夏らしく少々露出気味の衣服をまとった、ほっそりとした色白の体躯に、烏の濡れ羽色の三つ編みに縁取られた、端整で怜悧な小顔の縁無し眼鏡の奥でにんまりと微笑んでいる、茶褐色の瞳。
彼女こそ僕の同い年の幼なじみの姫岡アズサの親友にして、二年生女子随一の才媛、クラス委員の七瀬メグミ嬢であった。
「隣に座っても、構わないかしら?」
「えっ………あ、ああ、どうぞ」
僕の承諾の言葉を聞くや、何ら躊躇無く椅子を引き隣に腰掛けて、ごく自然にこちらへと身を寄せてくる。
……何かちょっと、近すぎるんじゃないでしょうか?
冷房が少々効きすぎているせいなのか、やけに彼女の体温が身近に感じられて、そのうち何だかいい匂いもしてきて、思春期ど真ん中の青少年としては、どうにもいたたまれなくなってしまい、堪らずついどうでもいいことを口走る。
「……あーと、その、委員長は、学園の図書館だけでなく、こっちを利用することも多いのか?」
「う〜ん、普段は学園付属の図書館だけで十分なんだけどね、あそこも蔵書は充実しているし。ただし今回に限っては、この夏休み中にどうしても完成させなければならない『研究課題』があって、それに関する専門的な資料を探しに来たわけ」
あーなるほど、確かにそれくらいの理由が無いと、わざわざうちの学園の生徒が、京都市内の中心にある今出川学園から結構な距離がある、この府立図書館までわざわざ来ることはないか。
……何せ僕自身、現在二大ストーカーと化しておられる会長殿とアズサの、ストーカーならではの野生の動物並みの『捜索範囲』から逃れるために、あえてこの遠方の図書館を選んでいるくらいだからな。
「ということで、これも何かの縁だし、今日は一日、行動を共にさせてもらってもいいかしら?」
「今日一日って、図書館以外でもか?」
「やっぱり駄目? 他に誰かと、会う約束でもしているの?」
「いや、別にそんなことないけど…………あっ、まさかそっちこそ、これから後に、アズサと合流する予定とかあるんじゃないだろうな⁉」
そんなことになったら、『やぶ蛇』もいいところだぞ?
「え? 今日は、そんな予定は無いけど…………もしかして、アズサも呼んだほうがいい?」
「──とんでもない! それだけは、どうかやめてください!」
「ちょっ、赤坂君、そんな何だかやけに切実そうな大声をいきなり出したりして! ここって、図書館なのよ⁉」
あ、いけね。
気がつけば、周囲の人たちが、こちらを無言で睨みつけていた。
「す、すみません、以後気をつけます」
すかさず立ち上がり、周囲に向かってペコペコと頭を下げる。
「やれやれ、もしかしてアズサとケンカでもしたわけ?」
「……そんなんじゃ、無えよ」
「──そう、あれは今から十年前、俺は一人で売り出そうと躍起になっていた」
「はあ?」
「ごめんごめん、有名な台詞だから、つい口走ってしまったの」
──ったく。この人、一見真面目そうでいて、時たまこのように突然おちゃらけることがあるから、油断ならないと同時に、どうにも憎めないんだよねえ。
「はいはい、わかりましたよ、今日はどうぞこの私めとご一緒してください、委員長殿」
「えっ、いいの? アズサに見つかっても知らないよ?」
「僕は別に、アズサとつき合っているわけじゃないよ」
「そういえば最近、何か会長さんにつきまとわれているようだけど、あれってどういった成り行きなの?」
「──ぶっ」
いきなりの核心を突く台詞に、思わず吹き出してしまった。
……こいつ、僕がアズサや会長から身を隠すために、こんなところに逃げ込んでいることを、最初から知っていて、からかっていやがったな?
「それこそ、僕の知ったことじゃないよ⁉ どうせお嬢様の一時的な気の迷いだろう? こっちも別に本気で相手にする気は無しな!」
「おやおや、あんな美人上級生に言い寄られていながら、何てもったいないことを」
「……その話を続けるつもりなら、僕はこれで失礼させてもらうけど」
そう言って、鞄を手に席を立とうとしたら、ようやくこちらの本気度を認めるようにして、慌てて取りなしてくる眼鏡美少女。
「ごめんって、どうやら悪ふざけが過ぎたようね。お詫びにお昼ご飯を奢るから、機嫌を直してちょうだいな」
そしてたった今座ったばかりだというのに、あっさりと席を立ち、僕のほうへと歩み寄ってくる、何だか今日はやけに馴れ馴れしいクラスメイト殿。
確かにそろそろ『お昼時』なので、渡りに船だが、このまま女の子に奢ってもらってもいいのだろうか?
「──さあさあ、善は急げだよ。適当にホットドックでも買って、どこかの公園のベンチで、小粋なランチタイムとしゃれ込もうじゃないの」
そのように僕の背中を後ろから強引に押しながらまくし立てる、一応は『気の置けない』ほどの親しさを有する『女友達』に対して、これ以上拒む理由が見つからず、そのまま言いなりとなってしまう、相変わらず女性に対して優柔不断な、他称『リアルギャルゲ王』の僕であった。
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「──それで二人仲良く、円山公園の大きな池に面した、十分に涼風の吹き付けている野外のベンチで、楽しいランチタイムに興じていたってわけね?」
地面の上に直に正座させられている僕と委員長の真ん前で仁王立ちしながら、その少女は、あたかも般若のごとき表情をしながら、そう言った。
原宿ビームスのフレンチボーダーのTシャツに包み込まれた、健康的な小麦色のスレンダーな肢体に、ショートカットの茶髪の髪の毛に縁取られた端麗な小顔の中で、いかにも勝ち気に煌めいている、黒目がちの瞳。
──姫岡アズサ。
言わずと知れた、僕の隣家の一人娘であり、本人の言うところ『昵懇の幼なじみ』のクラスメイトであった。
「あ、あの、アサヒ──あ、いえ、アズサさん、私と赤坂君がこうして一緒にいるのは、あくまでも偶然の為せる業なのであって、そんなにご立腹しないでいただきたいのですが?」
一応事実と思しき状況説明を、しどろもどろに行う委員長殿。
……それにしても、親友を前にして、あまりにも挙動不審に見えるんだけど、どうしたんだろうか?
いつもの委員長なら、このくらいのことで動じたりせずに、むしろアズサのことをからかうことすらあり得るのに。
──しかし、そのように『普段とはあまりにも様子が異なる』のは、どうやらアズサのほうも御同様らしかった。
「……あくまでも、偶然、ですって?」
「は、はい、そうでございます!」
「──ふざけるんじゃねえ! てめえが今日一日ずっと、『お父さん』をストーキングしていたのは、同じくストーキングをしていた私が、しっかり見ていたんだよ!」
「ぐぼっ⁉」
ある意味『犯行のカミングアウト』みたいなことを口走るとともに、幼なじみの少女のガチのキックが、委員長の土手っ腹に決まった。
「ちょっ、アズサ⁉」
「おらっ、おらっ、こっちの現在の立場が、『常敗の幼なじみキャラ』だからって、舐めやがって! これは重大なる『協定違反』だぞ⁉ てめえ、殺されたって、文句は言えないからな!」
「ひぐっ! がはっ! ──や、やめて、ほんとに、死んじゃうわ!」
「だから、『死ね』って、言ってるんだよ!」
そして再び、どう見ても本気のキックが、頭を抱えてうずくまっていた委員長をすくい上げるようにして、その顔面に決まった。
「──ひぐあっ!」
「やめないか、アズサ! 本当に、殺す気か⁉」
ようやく我に返った僕は、慌てて幼なじみを後ろから羽交い締めにする。
「止めないで、『お父さん』! こいつ、私たち『あなたの娘』の間で取り決めていた、あなたに対する『不可侵協定』を破ったんだから、万死に値するの!」
………………………………は、「お父さん」、って。
「お、おい、何でおまえまで、会長みたいなことを言っているんだよ⁉」
思わず肩を引き寄せて、こちらへと振り向かせると、
──これまで見たことないような、冷淡なる瞳が、睨みつけてきた。
「そりゃあ、当然でしょう? 私やそこの泥棒猫の中には、会長の──いえ、会長とあなたの娘である『赤坂ヒカリ』同様に、あなたの『未来の娘』の精神体が、憑依しているのですもの」
──なっ⁉




