第49話、あの日、貴女と……。
──幼い頃の、オードリー=ケイスキー公爵令嬢は、年下の従妹の私から見ても、鈍くさくて自尊心に欠けた、取るに足らないただの内向的な女の子に過ぎなかった。
「……ほんと、オードリーお姉様って、見ているとイライラしますわ。貴女本当に、我がヨシュモンド王国の誇る、筆頭公爵御本家の跡取り娘であり、将来の『悪役令嬢』候補ですの?」
「クルーデちゃん……」
「だから何で、年下の私に向かってまで、媚びへつらうようなお顔をお見せになるのです? 貴女は、この王国の──いえ、この大陸そのものの守護神たる、『悪役令嬢』になるということが、どういうことなのか、ご理解なさっているのですか?」
「……むしろ、この世界の創造主を始めとして、みんな『悪役令嬢』というものを、何か誤解しているのはわかるよ?」
「何が、誤解ですか! 『悪役令嬢』こそ、力の象徴であり、我ら人類の希望の星なのであって、たとえ候補とはいえ、その筆頭に選ばれること自体が、光栄なのですよ⁉」
「──一体我々人類は、何と闘っているの、クールデちゃん⁉」
「それなのに何ですか? その覇気の無いことといったら! そのお歳で『アレ』が来ないのは、まあ、個人差があるそうなので仕方ないとしても、貴女には是非にも『悪役令嬢』になってやろうという、気概が感じられませんわ!」
「……あ、アレって、クールデちゃんったら、自分もまだのくせに」
「私はまだ、9歳だからいいんですよ! それよりご存じなのですか⁉」
「え、な、何を?」
「この御本家を除く、我がケイスキー一族分家一同は、お姉様を『悪役令嬢筆頭候補』の資格無しという見解で一致して、分家の中から新たに候補を擁立し、本家当主であられるお姉様のお父上に承認を迫る予定ですの」
「──‼」
さすがにこれは寝耳に水だったのか、目の前の従姉の表情が、驚愕一色に染め上げられる。
「……もしかして、クルーデちゃんも」
「ええ、この私こそが、お姉様の対抗馬の筆頭として、推挙されておりますの」
「え」
「うふふ、どうやらお姉様は、ヒットシー王子にご執心であられるようですけど、『悪役令嬢』の候補から外されれば、当然王子との婚約も解消されることでしょう。──まあ、そもそも御年いまだ5歳の王子のお相手としては、この私のほうがふさわしいと言えなくもなく、むしろ自然な形ではありませんこと?」
そのように挑発的な台詞を突き付けてみても、目の前の少女は怒ったり悔しがったりすることなく、ただ寂しげにうっすらと笑みを浮かべるだけであった。
……ああ、イライラする。
どうして、この従姉は、私の感情を逆なでするような、振る舞いばかりをするのだろうか?
私はもはやライバルにもなり得ない、ふ抜けた公爵令嬢など見限って、足早にその場を後にした。
しかしその時、私を最も苛立たせていたのは、なぜ自分がオードリーのことを想うたびに、苛つきが募るのか、原因がまったくわからなかったことだったのである。
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次に私が御本家に訪れた時に、久方ぶりに会った彼女は、これまでになく憔悴しきっていた。
「……オードリーお姉様、一体どうなさったのです? 顔色が真っ青ですよ」
「あ、ああ、クルーデちゃん? 来ていたんだ」
お屋敷の長大な廊下を、いかにも心あらずといった体で歩いていたお姉様を呼び止めてみたところ、焦点が合ってない瞳で答えを返してくる………何か、怖っ。
「私、伯父様にご挨拶に伺ったんですけど……」
「ああ、お父様なら、この先のリビングにいますよ。…………少々、『お取り込み中』みたいですけど」
そう言って、自分の来た方角を振り返るお姉様。
ということは、伯父様と何かあったわけ?
……もしかして、この前の我が一族の重鎮連中勢揃いの寄り合いにおいて、お姉様の『悪役令嬢筆頭候補』としての監督不行き届きを、しこたま非難された伯父様が、お姉様に八つ当たりしたってところかしら。
「それじゃ、私はこれで」
「──あ、お姉様?」
私の呼びかけを背中で受けつつ、振り返ることなく、『鏡の間』と呼ばれる部屋の中へと、ふらふらと入っていくお姉様。
思わずついて行こうとしたのだが、その鼻先で重厚な扉を閉められてしまう。
「…………お姉様?」
そのまま何となくたたずんでいれば、なぜか彼女一人で入ったはずの部屋の中から、かすかに『誰か』との話し声が聞こえてくる。
少々はしたなくも思ったが、つい好奇心に負けてしまい、扉を少しだけ開いて中の様子を見ようと、ドアノブをひねった、
──まさに、その刹那。
部屋の最奥の一際大きな鏡──いえ、量子魔導インターネット視聴用の巨大モニターの前で、ドサリと倒れ込む、清楚な若草色をしたワンピースドレスに包み込まれた、華奢なる肢体。
「オードリーお姉様⁉」
慌てて駆け寄れば、彼女の両足には、少々の『流血』が見て取れた。
怪我?…………………………いや、違う、これって、まさか⁉
思わず抱き起こそうと、手を差し伸べれば、
「……我に、触れるな、小娘」
これまで聞いたことのない、重くしゃがれた声音。
そしてゆらりと立ち上がる、亡者のごとき頼りない、小柄な体躯。
──己の下半身を、更に鮮血に濡らしながら。
「きゃああああああああああああっ⁉」
突然の悲鳴に振り返れば、部屋の入り口の手前に、一人のメイドさんが、驚愕に目を見開いてたたずんでいた。
「──どうした、何事だ⁉」
そして続け様に騒ぎを聞きつけ駆けつけてきたのは、この屋敷の主であられる、筆頭公爵家御当主様であった。
「お、オードリー? そ、その足元の血は、まさか⁉」
目ざとく娘の異状に気づく、お父上。
しかしそこには、いまだ幼き子供いたわる父親なぞ存在せず、ただただ己の栄達ばかりを希う、権力志向の大貴族しかいなかった。
「やった、やったぞ! オードリーがついに、『女』となったか⁉ これで後は、『悪役令嬢』にさえ覚醒すれば、我が公爵家は安泰だ!」
そう言って、気安く娘の両肩に、手を置こうとしたところ、
「──頭が高いぞ、下郎」
「ぐはっ⁉」
あたかも床に引き寄せられるようにして、その場に膝をつきうずくまる、御当主様。
そして、何らためらうことなく、その頭部へと、己の血に穢れた右足を乗せる、公爵令嬢。
「お、おまえ! 父親に対して、何という無礼を⁉」
「──黙れ、何が父親だ? ケイスキー公爵、貴様は我とヒットシー王子の橋渡しだけをすれば、それでいいのだ。──何せそれこそが、貴様らケイスキー公爵家とヨシュモンド王家との、千年来の約定なのだからな」
「──っ。お、おまえ──いえ、あなた様は、もしかして⁉」
「ああ、随分と待たせたな、およそ七十年ぶりか? こうして久々に我が目覚めたからには、公爵家の──そしてこの王国そのものの安泰は、約束してやろうぞ」
「ははー、『悪役令嬢』様、どうぞよしなに!」
なっ、『悪役令嬢』、ですってえ⁉
思わず、まじまじとお姉様のお顔を見つめ直してみれば、そこにはこれまでになく自信に満ちあふれた、『王者』の微笑みが煌めいていた。
………………………あれ、何なのでしょう? この胸の『トキメキ♡』は?
「そこの娘」
「は、はひっ⁉」
私が自分のえも言われぬ感情を持て余していたら、ふいに当のお姉様から声をかけられる。
「随分と可愛らしいお嬢ちゃんだな、この娘──オードリーの妹分か、何かか?」
「か、可愛らしい⁉ ──ええ、そうです、そうでございます! 私はお姉様とは、魂で結ばれた、『運命の妹』でございます!」
「お、おう、そうか? うん、そんなに身を乗り出して、目と鼻の先でまくし立てなくても、十分に聞こえておるぞ? それはともかくとして、オードリーのこと、これからもよろしく頼む。どうもこの娘、内向的で自虐的すぎる嫌いがあるからな」
「お任せを! この私がついている限り、お姉様を誰にも負けない、『オレサマお嬢様』に仕立て上げて見せますので!」
「…………うん、『オレサマお嬢様』はともかく、その気概だけは買おう、では早速頼むぞ?」
その台詞を最後に、まさしく魂が抜けたかのようにして、いきなり意識を失い、その場に崩れ落ちんとする、華奢なる肢体。
「ちょっ、お姉様⁉」
それを咄嗟のところで抱きとめれば、間近に見えるその顔は、血の気がほとんど失われていた。
「大変! ほらっ、そこのメイドさんたち! ぼやぼやしていないで、お姉様を公爵家付きのお医者様のところにお運びなさい!」
「「「あ、はい、ただ今!」」」
私の鬼気迫る怒鳴り声に即座に応じて、速攻でお姉様を搬送していくメイドさんたち。
……これで私自身が『悪役令嬢』になる可能性は、まったく無くなってしまった。
しかしなぜだか、その時の私の心は、これまでになく晴れ晴れとしていたのだ。
とはいえ、むしろお姉様の前途には、これまで以上の苦難が待ち受けているものと、容易く予想することができた。
──それでも、もしも私が側にいることで、お姉様のこれからの『覇道』に、少しでもお役にたてられるのなら、本望だと、心から思えたのである。
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「……いやだから、私は別に、『覇道』なんて歩くつもりはないと、何度も言っているでしょう?」
「何をおっしゃるのです! お姉様の『悪役令嬢』としての、『大陸統一物語』は、これから始まるのですよ⁉」
「だからあなたは、『悪役令嬢』というものを誤解していると、何年も前から言っているでしょうが⁉」
オードリーの『記憶喪失騒動』が無事終了してから、早数週間、すでに彼女も復学を果たしており、今日は久し振りに公爵殿にご挨拶に伺ったついでに、僕ことこの国の第一王子である、ヒットシー=マツモンド=ヨシュモンドの婚約者でもある、彼女の私室にも立ち寄ったところ、公爵家筆頭分家のクルーデ=ケイスキー嬢も一緒にいて、いつものながらの、『あつあつ』というか『ゆりゆり』というかの、怪しい雰囲気をかもし出していたのであった。
「あはは、二人は相変わらず、仲良しだねえ」
「──黙れ、クソ王子、婚約者だからって余裕をかまして、上から目線でものを言うんじゃねえ! お姉様のことは、いつか必ず、奪い取ってみせるからな⁉」
──『ゆりゆり』どころか、『ガチレズ』かよ⁉
しかも何でケイスキー家のお嬢様方って、王子を王子とも思わない、言動ばかりをなされるのでしょうか⁉
「こら、クルーデ、王子にそんな口の利き方をしては、駄目でしょう?」
「だってあのクソガキ、いつまでたっても、お嬢様の魅力がわからないものだから、私、悔しくって」
「ふふふ、ヒットシー様も、そのうち気がつきますわよ。──私の『大人の女』としての魅力を♡」
「……ぐぬぬ、それはそれで、悔しいのですが。──いっそ今のうちに、もいでおくか?」
いやいや、僕永久に、オードリーの魅力なんかわからなくていいから、もがないで! 王家の血筋が断絶しちゃう!
……でも、安心したな。
──何せ、オードリーに、こんなにも彼女のことを考えてくれる、『妹分』がいれば、たとえ『悪役令嬢』に完全に覚醒しようが、けして人の道を踏み外したりしないだろうしね。
「だからお姉様は、まだまだ甘いんですよ! 髪や爪や体液? 甘い甘い! もっとこう、けしてお姉様に逆らえなくなるような、『呪い』をかけたりすべきですよ!」
「……でも私、そんな呪術や魔薬に頼ることなく、実力でヒットシー様をなびかせたいと思っているのですが?」
「使えるものは、何でも使うべきなのです! とにかく服従させてしまえば、こっちのものなのですから!」
「……そうで……しょうか?」
「──お願い、やめてー! オードリーを『悪役令嬢』に覚醒する前に、『公爵令嬢』としてすでに、人の道を踏み外させるのは、おやめになってえー!!!」




