第46話、これぞ『いつかは消える定めの記憶喪失中の仮人格憐憫物語』だ⁉(その6)
「──ということは、これまでの『悪役令嬢』であった数年間の記憶をすべて失うことで、まるで生まれたばかりの純真無垢な状態となってしまっている、『現在のオードリー』こそが、むしろ『元々の彼女』だったというわけなのか⁉」
たった今長々と聞かされた、大陸一の経済大国ブロードキャッスル王国の、フージン=3K=ブロードキャッスル王子による、僕ことヨシュモンド王国第一王子である、ヒットシー=マツモンド=ヨシュモンドの婚約者にして、筆頭公爵家令嬢オードリー=ケースキーが、いかにして『悪役令嬢』となったかについての顛末を聞き終えるや、心からの驚嘆の念とともにそう言った。
──もちろん、それがわかったところで、謎がすべて解けたわけではなく、むしろ更に新たなる疑問が生じるばかりであったのだが。
その筆頭となるのは、当然のごとく、何ゆえに自らの希望通りに『悪役令嬢である自分』となり、僕の婚約者としての地位を盤石のものとして、己の望むがままに好き放題やっていたオードリーが、突然記憶を失うという形で『悪役令嬢』ではなくなり、下手すると僕との婚約を解消されかねない状況に追い込まれたかについてである。
僕がそんなことを胸中で巡らせているのをよそに、当のご本人のオードリーが、自分の秘められた過去を大々的に暴露してしまった、フージン王子に対して、至極当然なる疑問を呈する。
「……なぜに赤の他人であり、我が公爵家に何の関わり合いもない、他国の王族に過ぎないあなた様が、本来記憶を失う前の私しか知り得ないことを、そのように詳しくご存じなのでしょうか?」
あたかも地獄の底でうごめく、亡者たちのうめき声そのままの、重く低く昏き声。
……そりゃあ、そうだよな。こうして自ら記憶喪失になってまで、封印したはずの『過去の秘め事』を、他人の口からあからさまに暴露されたんじゃ、堪ったものじゃないだろう。
しかし当の『糾弾』を受けた王子様ご自身は、まるで意に介することなく、むしろ苦笑すら浮かべながら、あっさりと、
──驚天動地の、衝撃の事実を、つまびらかにした。
「そりゃあ、僕も『なろうの女神』から、現代日本のユング心理学の言うところの、ありとあらゆる世界のありとあらゆる時代のありとあらゆる存在の『記憶と知識』が集まってきているとされる、いわゆる『集合的無意識』に、人を強制的にアクセスさせて、別の特定の人物の『記憶と知識』を脳みそに刷り込んで、現実世界において事実上の『異世界転生』を実現できる力を与えられているからですよ。つまりこうして他人を集合的無意識にアクセスさせることができるのなら、当然のごとく自分自身をアクセスさせることだってできるのですからね。そこで過去のあなたの『記憶と知識』とアクセスすることで、あなたが『悪役令嬢』となった顛末を知ることとなったのです。──そう、まさにあなたご自身が、『なろうの女神』からいただいたこの力を、今回の騒動の焦点である、いわゆる『別人格化』の実現のために使うことによって、まさに今、かつての純真無垢なる『元々のあなた』を甦らせて、『悪役令嬢としての自分の記憶と知識』を封印したり、そもそもすべての発端として、自分自身を『悪役令嬢』に仕立て上げたりしたようにね」
──っ。
……な、何だってえ?
今回記憶喪失になったのも、そもそも『悪役令嬢』になれたこと自体も、オードリー自身が『なろうの女神』からもらった、自分や他人を強制的に集合的無意識にアクセスさせる力を、利用したものだったってえ⁉
「なぜだ、なぜなんだ、オードリー! せっかく反則技的超常の力を使ってなることのできた、『悪役令嬢である自分』を封印してまで、下手すると僕との婚約を解消されかねない、『元々の自分』に戻ったりしたんだよ⁉」
そんな僕のもはや詰問とも言い得る問いかけに対し、苦痛の表情で答えを絞り出す、目の前の少女。
「……現在記憶喪失中なので、推測に過ぎませんが、あくまでも同じ『私』の行ったこと、大体のところは察することができます。──おそらく、『私』は堪えられなくなったのでしょう、あなたを愛することを全面的に許された、『婚約者』の地位に留まり続けることが」
………………………………は?
「あのオードリーが、僕の婚約者でいることに堪えられなくなったなんて、そんな馬鹿な⁉」
傍若無人極まりなく、いつでもどこでも僕と一緒にいようとして、日常茶飯事的にストーカーや盗撮や無限メール行為に勤しんだり、吹雪の山荘だろうが殺人事件の現場だろうが連れ回したり、混入物まみれの食べ物を無理やり食べさせようとしたり、僕に近づく他の女性たちを物理的に排除したりと、すでに完全に僕のことを自分のものだと決めつけていた、『あのオードリー』が、自分で自分の記憶を封印してまで、僕の婚約者であることをやめようとしただと⁉
「……王子の御疑念はごもっともですが、『私』としては心底、虚しくなったのでしょう。確かに『私』は、『なろうの女神』様からいただいた、人を強制的に集合的無意識にアクセスさせる力を、自分自身自身に行使することで、待望の『悪役令嬢』として目覚めることによって、両親はおろか王家からさえも、この国の『守り神』──有り体に申せば、大陸最強かつ最凶の『人間戦略兵器』として認められて、あなたの婚約者としての地位を盤石のものとしました。よってもはや遠慮なぞ一切することなく、ただ欲望のままに、あなたのことを愛することができるようになりました。何せ、この国の未来を背負うべき次期国王であるあなたには、『悪役令嬢』である『私』の要求を拒む術はありませんからね。だから『私』は存分に、あなたのことを愛しました。──ある意味、狂気そのもののやり方によって。もちろんあなたにはけして、いやと言わせることは無かったし、他の女に脇目を振ることすらも許さず、『二人だけの世界』を構築しようとしました。
──しかし、しかし、非常に残念であることにも、
それは、愛するあなたにとっては、望むところではなかったのです」
──‼
「何と言うことでしょう、そのことに気づかぬままに、『私』があなたを愛するほどに、あなたの心は離れていきました。『私』がようやく気づいた時には、時すでに遅く、あなたの心は完全に、『私』から離れていたのです。──だからこそ私は、すべてをやり直すことに決めたのです。たとえ『悪役令嬢としての自分自身』を殺すことになろうとも、最初に出会った頃の、あなたから愛される資格を十分に持っている、本来の『純真無垢なる自分自身』に戻ろうと!」
「で、でも、『悪役令嬢』でなくなったら、君は……」
「ええ、下手したら、あなたの婚約者ではなくなってしまうかも知れません」
「そ、それなのに、どうして⁉」
「……以前の自分が、つまり、これまでの『悪役令嬢としての自分』が、間違っていたことに気がついたからです。たとえ婚約者として、公然とあなたを愛せる立場にいようが、肝心のあなたから真に愛されていないのなら、何の意味も無いことに。──そうよ! やはり『私』いえ、私は、あなたに心から愛されたいの! たとえその結果、あなたの婚約者としての地位を剥奪されようとも!」
なっ⁉
「……ねえ、王子様だって、あの傲岸不遜で重度のヤンデレストーカーの『私』なんかよりも、今のこの純粋にあなたをお慕い申し上げている、私のほうがよろしいでしょう? ──うふふ、知っているのですよ? あなたが私の一挙手一投足を常に目で追われていて、密かにときめいておられたことを♡ 気がついてないとでも思われました? 女の子って殿方が思われているよりはるかに、そういったことに敏感なんですよ?」
「──うっ」
き、気がつかれていたのかよう、恥ずかしすぎるう〜っ。
と、そのように僕が、今更ながらの羞恥心に、悶えているのをよそに、
──決定的な、『最終的選択肢』を突き付けてくる、自称『純真無垢なる乙女』。
「──それでは、王子、お選びください。『この私』か、それとも、『悪役令嬢である私』かを」
………………………………は?
──それってつまり、これから彼女に内包された二つの人格──現実的に言えば、『性格』のうち、どちらをこれからの人格(=性格)として固定化するかを、僕に選ばせるってわけ?
「な、何で僕が、そんな重大なことを、決めなければならないんだよ⁉ それに、選んだほうの人格を、これから先の唯一の人格として固定したり、場合によっては現在の人格を撤廃したりといった、それこそ『女神様から授けられた力』でもなければ成し得ないことを、どうやって実現すればいいんだよ⁉」
当然のごとく猛抗議したところ、むしろ現在この場にいる『彼女以外の人物』から、毎度お馴染みのどこか偉そうな口調にて、これまた予想だにしなかった回答が返ってきた。
「……何を言っているんだい、そもそも『かつての彼女』は、君との関係性を壊したくないからこそ、『悪役令嬢』となる道を選んだんではないか? そうなると、自ずと思いつくんじゃないのかい? 彼女が『悪役令嬢』と化すことを促すトリガーともなり得る、『決め台詞』を」
──!
そ、そうか、
「婚約破棄」、か!
てっきりギャグ的シチュエーションにおける、『お約束的呪文』の類いとばかり思っていたんだけど、それほどまでに『乙女のアイデンティティすら賭けた恋心』的な、重大な意味が隠されていたとは⁉
「どうやらわかったようだね? さあ、『どちらの彼女』にするのか、今すぐここで選びたまえ! ──ただし、心して決めるんだよ? 君が現在の『この彼女』を選べば、『悪役令嬢である彼女』が消滅し、逆に『悪役令嬢』を選べば、今目の前のいる『本来の純真無垢なる彼女』を、永遠に失ってしまうことになるんだからね」




