第45話、これぞ『いつかは消える定めの記憶喪失中の仮人格憐憫物語』だ⁉(その5)
「──オードリーには、失望したよ」
「……ええ、まさか11歳にもなるというのに、『女の××』がまだ来ないなんて」
「我が一族におけるそれは、単なる成長の証しではない。それこそ一族郎党の運命がかかっているのだ」
「せっかく数十年ぶりに、『悪役令嬢』の素質を持った娘が、生まれたと思ったのに……」
「まったく、何かにつけ、礼儀正しく品行方正で、純真無垢極まりない、素直でいい子に育ちおって」
「『公爵令嬢』としては、非常に正しいでしょうが、『悪役令嬢』としては、失格ですね。むしろ御年いまだ5歳であられる、ヒットシー様に『むしゃぶりつく』くらいの勢いがないと」
「……場合によっては、王家と相談して、ヒットシー王太子殿下との、婚約を破棄していただくか」
「でもあなた、それだと、我が公爵家と王家との、千年来の『約定』を破ってしまうことになるのでは?」
「ふふ、問題は無い。私たちはまだ十分に若いのだ、新しい娘をつくればいいではないか?」
「……まあ、あなたったら♡」
「くくくくく」
「うふふふふ──────あんっ、あなたってば、こんなところで♡」
「大丈夫、『いい子のオードリー』は、とっくに夢の中さ」
「もうっ、いけない人♡」
そして、ヨシュモンド王国筆頭公爵家の王都御用邸の豪奢なリビングにて、鳴り響き始める、男と女のあえぎ声。
聞くに堪えられなくなった私こと、当の二人──ケイスキー公爵夫妻の一人娘である、オードリー=ケイスキーは、こっそりと隠れていた物陰から出て、脱兎のごとく駆け出した。
──お父様とお母様が、あんなことを思っていたなんて!
──どうして、どうしてなの?
──どうして私は、いい子にしては駄目なの?
──『悪役令嬢』って、何?
──私に『女の××』がいつまでたっても来ないのは、『悪役令嬢』の資格がないから?
──このままだと私、ヒットシー王子の、婚約者ではなくなるの?
そんなの、イヤ!
──まさに今日、婚約して初めてお目通りが叶った、世継ぎの王子様。
──いまだ御年5歳であられるのに、大人過去負けに聡明で、威厳もたっぷりあって。
──それに何より、人を人とも思わぬまでに、高飛車で。
──年上の筆頭公爵家令嬢である私すらも、召使い扱いで。
──でもだからこそ、年齢以上に男らしくて、大人びていて。
──風に飛ばされて、王宮の中庭の大木の枝に引っかかってしまった、私のお気に入りの帽子を、やんごとなき王子様御自ら木に登り、取ってきてくれて。
──泣きじゃくる私を、ぎこちなくも慰めてくれて。
──その時私は理解したのである、ああ私は、この方の妻になるために、生まれてきたのだ──と。
──それと同時に、神様に対して感謝したのである、ああ私を、この方と巡り合わせてくれて、ありがとう──と。
それなのに今更になって、私と王子様との、婚約を破棄するなんて!
だったら私、『いい子』をやめる、『悪役令嬢』になってやる!
──もうお行儀良くしたりしない、欲望のままに行動してやる!
──引っ込み思案なんて真っ平、ずけずけと言いたいことを言ってやる!
──周りのみんなのことを思いやったりしない、傍若無人に振る舞ってやる!
──王子を好きである気持ちを隠したりしない、どんなに迷惑がられようが、四六時中つきまとってやる!
──いつでも王子といられるように、写真をいっぱい盗み撮りしてやる!
──私のことを忘れないように、一晩中メールしてやる!
──私の色に染め上げるために、差し入れのお菓子に爪や髪や体液を混ぜ込んでやる!
──王子に色目を使う他のメス豚どもは、みんな排除してやる!
──王子が他の女に脇目を振ったら、二度とそんな気が起こらないように、お仕置きをしてやる!
……え? そんなことばかりして、王子様に嫌われたら、どうするかですって?
何言っているのよ⁉
たとえ王子から嫌われたって、王子から引き離されるよりはましよ!
私は絶対に、王子のことを、あきらめたりはしない!
もしも、世界のすべてを、敵に回そうとも。
むしろそのすべてを、私の意志と力で──王子様への愛で、屈服させてみせる!
「……そのためにも、何としても、『悪役令嬢』にならなければ」
──だから、何なのよ、『悪役令嬢』って?
──どうやったら、『悪役令嬢』になれるわけ?
──神様に願えばいいの?
──それとも、『悪役』って言うくらいだから、悪魔とでも取引をすればいいわけ?
──その場合、何を生け贄にすればいいの?
──何でもいいわよ?
──私を『悪役令嬢』にしてくれるのなら、望むがままに、何でもくれてやるわ。
──たとえ、この身でも、命でも!
『その言葉、二言はないわね?』
その時唐突に、私の内心の声に応えるかのように響き渡る、幼くも妖艶なる声音。
気がつけば私は、部屋中が『多世界への窓』と呼ばれる、様々な世界の様子を映し出した、魔法の鏡だらけの部屋──人呼んで『鏡の間』の中にいた。
先ほどの声が聞こえてきたのは、『失楽園』や『人類の原罪』を意味する、『端をかじられた林檎』のマークのついた、一際大きな最新型の『8K鏡』のようであった。
明かり一つついてない広大な部屋の中で、自身が淡く輝きながら、一人の少女の姿を映し出している、『多世界への窓』。
現代日本においてはゴスロリとも呼ばれている、レースやフリルに彩られた禍々しくも可憐なる、漆黒のワンピースドレスに包み込まれている、いまだ十二、三歳ほどの華奢な肢体に、烏の濡れ羽色の長い髪の毛に縁取られている、艶麗なる小顔の中で蠱惑に煌めいている、黒水晶の瞳。
それはまさしく、悪魔が仮初めに少女の形をとって、人間を誑かしに現れたと言っても、思わず納得しそうな有り様であった。
「……あなたは、一体」
『あら、あなたが私のことを、呼んだんじゃなかったの?」
「──っ。ということは、まさか、本当に悪魔なの⁉」
『……失礼な子ねえ、そっちじゃなく、もう一つのほうよ』
「も、もう一つって、ええっ、あなたもしかして、『神様』なの?」
とても信じられない気持ちで問い返したものの、あに図らんや、鏡の中にて、まっ平らな胸をこれ見よがしに張る、黒衣の(自称)神様少女。
『──ええ、何を隠そうこの私こそ、ありとあらゆる世界のありとあらゆる異世界転生を司っている、人呼んで「なろうの女神」であり、あなたの「悪役令嬢」になりたいという、願いを叶えに来てあげたの』




