第44話、これぞ『いつかは消える定めの記憶喪失中の仮人格憐憫物語』だ⁉(その4)
「……え、僕がオードリーに──それも、『元々の彼女』に、騙されているって?」
何だ? フージン王子ったら、やはりオードリーが、記憶喪失のフリをして、僕らを欺いていると思っているのかなあ?
僕がそんな疑問を覚えている間にも、すかさず猛抗議していく、自称『現在絶賛記憶喪失中』の公爵令嬢。
「失礼な! どなたかは存じませんが、私は嘘偽り無く記憶喪失なのであり、ヒットシー殿下を始め、周りの方たちを、欺いたりはしておりません!」
彼女の憤慨も、納得だ。確かに我が王国指折りの名医たちの見立てでも、そう言っていた。
……それともフージン王子は、何か新たなる『証拠』や『根拠』でも、見つけたのであろうか?
だが、そんな僕の予想は、あっけなく裏切られてしまう。
「いえいえ、そんな、言っただろ? 僕は、『現在のあなた』のことは信頼していると。何せ、あなた同様に、『肉体こそが人間の本質』という理論を、信奉しているんだしね。──そしてだからこそ、現時点では存在し得ない、『元々のあなた』こそが、『すべての仕掛け人』になることができるのだよ」」
──なっ⁉
「『元々のオードリー』が、すべての仕掛け人だって⁉」
あまりに不可解なことを言われて驚愕しきりとなる僕を尻目に、更にとどめの言葉を突き付けてくる、突然の闖入者。
「何せ、『肉体こそが人間の本質』の理論に則ってこそ、『記憶喪失中の別人格の創出』や『二重人格化』や『人格の入れ替わり』等の、いわゆる『別人格化』の超常現象全般を、真に現実的に実現することができるんだからね」
「──‼」
『肉体こそが人間の本質』の理論に基づけば、『記憶喪失中の別人格』──つまり、『元々のオードリー』とはまったく別人である『現在の彼女』を、意図的に創り出すことができるだと⁉
「ヒットシー王子、君が驚くのも無理はないと思うよ。『記憶喪失』って、れっきとした疾病なのに、まるでそれを人為的に仕組んでいるみたいなものだからね。ただしこれはあくまでも『特殊な例』なのであって、厳密に言うと『記憶や知識』を奪っているのではなく、元々の本人のものではないまさしく『別の人物の記憶と知識』を、新たに書き込んでいるという、いわゆる『二重人格化』や『人格の入れ替わり』等の、『別人格化』と言われる超常現象を実現させるための手法が使われているのさ。──だって、『別人の記憶』を上書きすることだって、事実上『元の記憶』を奪うも同然なのであり、『記憶喪失』状態を仕立て上げることができるんだしね」
そ、そうか、この場合、『記憶喪失になったから別の人格が顔を出した』んじゃなく、『元々別の人格にすることを目的にしていて、その結果記憶喪失みたいな状態になった』わけなのか⁉
「──いやでも、人に『別の人物の記憶や知識』を与えて、『本来の記憶や知識』に上書きすることなんて、どうやってやるのです?」
「別にそんなに、ご大層なことでもないんだけど? ──だってこれって、『異世界転生』の実現方法を、そのまま利用すればいいんだしね」
………………………へ?
「──ええっ、『別人格化による記憶喪失状態』が、『異世界転生』と同じやり方で実現できるですってえ⁉」
「ちなみに君は、『異世界転生』の実現方法はご存じだよね?」
「……ええ、一応は」
すでにお気づきの方も多いと思いますが、この世界には『ヴァレンタインデー』が当然のように存在しており、その他にも(『未来』ならぬ)『現代日本の便利道具』等が、ちょいちょい顔を出していることからわかるように、実は現代日本からの『異世界転生』が、すでに『当然のこと』として受け容れられるまでに、頻繁に行われており、それらの転生者たちからもたらされた現代日本の最新の『科学技術』と、このファンタジーワールド古来の『魔法技術』とが融合した、人呼んで『量子魔導文化』が花開いているといった状況にあったのだ。
よって『異世界転生』の現実的実現方法なぞ、とっくに解明ずみなのである。
「……ええと、かいつまんで言うと、実は現代日本からの異世界転生と言っても、実際に現代日本から、人間の肉体そのものはもちろん、死亡後に魂だけになって異世界にやって来る──なんていう、それこそ現代日本の物理法則に照らしても、完全に非現実的なことはまったく起こらなくて、あくまでも生粋の異世界人において、現代日本人になる夢を見たり、下手すると極度の妄想癖だったりするだけなのに、その夢や妄想を本物の『自分の生前の日本人としての記憶』──いわゆる『前世の記憶』だと思い込むことによって、事実上の異世界転生を実現してしまうってわけですよね?」
何せ現代物理学──特に『質量保存の法則』に基づけば、現代日本において突如転生者の肉体が、物理的に消え去るなんてことがあり得るわけがなく、しかも多世界解釈量子論に則れば、世界というものは今現在目の前にある現実世界ただ一つだけなのであって、たとえ物理的な『現代日本人の肉体丸ごとでの異世界への転移』ではなく、あくまでも精神的な『死者の魂の異世界への転生』であったとしても、何らかの形で二つの世界の間を行き来することなんて、やはり量子論という物理法則に則れば、絶対に実現不可能であるのだ。
「おお、まったくその通りだ、感心感心、さすがは幼くもその博識ぶりで名を馳せている、ヒットシー王子! ──それでは僭越ながら、私のほうからは、その補足説明として、『理論的裏付け』だけ述べておくことにしょう」
「え? ある意味、異世界人にとっての妄想的現象に過ぎない異世界転生に、理論的裏付けなんかあるんですか?」
「そうだ、現代日本あたりでは、『ユング心理学』と呼ばれているやつだよ」
何と、これまで散々、量子論とか質量保存の法則とか、物理学に基づいて話を進めてきたのに、ここでいきなり心理学のご登場かよ⁉
「ユング心理学においては、ありとあらゆる世界のありとあらゆる時代のありとあらゆる存在の『記憶と知識』が集まってきているとされる、いわゆる『集合的無意識』という超自我的領域が存在していることになっていて、何と現代物理学の中核を為す量子論によって、その実在性をしっかりと保障されているんだけど、あらゆる『記憶と知識』が存在しているのなら、当然ある特定の『現代日本人の記憶と知識』も存在しているわけで、それを何らかの形で──例えば、実は集合的無意識とは『夢の世界』そのものであると言う説もあるくらいだから、さっき君が言ったように、現代日本の夢を見せるとかいった形で、生粋の異世界人の脳みそに、まさにその『特定の現代日本人の記憶と知識』を刷り込むことによって、それこそを『現代日本人としての前世の記憶』ということにして、事実上の『異世界転生』を仕立て上げることができるって寸法なんだよ」
おお、確かにこれだったら、実際に現代日本から肉体はもちろん精神すらも転移させることなく、しかもあくまでも『夢を見る』という非常に現実的な手法によって、異世界人の脳みそに『現代日本人の記憶と知識』を刷り込むことで、本当に『異世界転生』が起こったようにできているじゃないか⁉」
「しかも何とこれは、『二重人格化』や『人格の入れ替わり』等の、『別人格化』の実現にも応用できるのであって、以下順繰りに簡単に述べていくと、例えば『意中のクラスメイト等の知り合いの記憶や知識』を脳みそに刷り込めば、『人格の入れ替わり』を、『戦国武将や異世界の勇者等の記憶や知識』を脳みそに刷り込めば、『前世返り』を、──そして何よりも、いわゆる『パラレルワールドの自分の記憶と知識』を脳みそに刷り込めば、『多重人格化』や『記憶喪失時の別人格化』を、実現できるってわけなんだよ。ちなみに『パラレルワールド』とは、説明を簡単かつわかりやすくするための仮の名称に過ぎず、多世界解釈量子論に則れば、世界というものは原則的に現在の現実世界ただ一つしか存在しないのだから、いわゆる現実世界と並行して存在している、文字通りの『並行世界』のことではなく、多世界解釈量子論において『多世界』と呼ばれている、あくまでも可能性としてのみ無数に存在し得る、この現実世界にとっての『別ヴァージョンの世界』のことであり、そこに存在する『パラレルワールドの自分』とは、あくまでも可能性としてのみ無数に存在し得る、『別ヴァージョンの自分』──まあ、現実的に言い直せば、さっき君たちも言っていたように、普段は身の内に秘められている、『別の性格の自分』のようなものなんだよ」
「──っ」
記憶喪失になり、その結果別人みたいになることも、異世界転生の実現の仕組み同様に、集合的無意識を介して、当人に『別ヴァージョンの自分の記憶や知識』を刷り込むことだけで成立して、しかもこれって量子論に則れば、さっきオードリー自身が言っていたように、元々秘められていた『別の性格』が顔を出しただけだという、非常に現実的なことに過ぎないだってえ⁉
「どうだい? 『別人格化による結果的な記憶喪失』と言ったところで、肉体的には何ら変化を伴わず、『別ヴァージョンの自分』というあくまでも『可能性の上のみ存在し得る「もう一人の自分」の記憶と知識』をインストールするだけのことに過ぎず、結局は『人間の本質とは肉体にこそあるのだ』と言うことを、如実に証明しているだけとも言えるだろうよ」
……確かに、たとえ記憶を喪失しようが、その結果二重人格的状態になろうが、あくまでも肉体を基準ににして現実的に考えれば、自分は自分でしかなく、『異世界転生』をしたと思い込んでいる人たちが、ただ単に生粋の異世界人が、自分のことを現代日本人の生まれ変わりだと思い込んでいるという、妄想状態にあるだけなのと同様に、『記憶喪失中の別人格化』についても、ただ単に以前から秘められていた『別の性格』が、顔を出したようなものに過ぎないだろう。
もちろんそれについては、納得できる。
──だが、しかし、
「……確かに、今回の記憶喪失に関わる騒動についての、ほぼすべては、フージン王子のおっしゃる通りだと思います。──しかしあなたはまだ、一番肝心な点については、まったく述べられてはいないではありませんか?」
「うん? 一番肝心な点って、何のことだい?」
「記憶喪失だろうが、多重人格化だろうが、異世界転生だろうが、それを実際に実現するに当たって、特定の人物を集合的無意識なんていう、尋常ならざる超自我的精神領域にアクセスさせて、しかもこれまた特定の人物の『記憶と知識』を脳みそに刷り込んで、まったく別人であるかのようにさせてしまうなんていう、超常的現象を、一体どこの誰が実現できると言うのです⁉」
そうなのである。
集合的無意識は夢のようなものであるとか、本人が妄想しただけとか、いかにも極普通のありふれたことのように言っているが、特定の知り合いの間での文字通りの『人格の入れ替わり』の場合や、今回のように同一人物の中で『別の人格=性格』が入れ替わる場合は、そこに何者かの『作意』が働いているはずで、当然のごとくその者こそが、特定の人物を集合的無意識にアクセスさせて、別の特定の人物の『記憶や知識』を刷り込ませることのできる力を有していることになるのだ。
そのように今や質問というよりは『詰問』そのままに、鋭く言葉を突き付けたものの、むしろ相手のほうがいかにもあきれ果てたかのように、大きくため息をついたのである。
「何言っているんだい、『彼女』の記憶を失わせ、別の性格を表に出したのが誰かについては、最初から言っているではないか?」
──っ。ま、まさか?
「そう、記憶を失う以前の『彼女』、本来のオードリー=ケースキー公爵令嬢ご本人だよ」




