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第37話、白日夢。

「──お父さーん!」


 砂浜の波打ち際のデッキチェアに寝そべって、のんびりとビールを飲みながら読書に勤しんでいたら、俺と一緒にこの夏の間だけ借りている別荘コテージに来ていた、今年高校に入ったばかりの娘が、こちらへと駆けてきた。


 すらりとした華奢な肢体を包み込んでいる純白のノースリーブのワンピースと、端整な小顔を縁取っている烏の濡れ羽色の長い髪の毛を、海からの潮風になびかせながら。




 あたかも真夏の太陽そのままに活き活きと煌めいている、黒曜石の瞳。




「……おいおい、砂地をむやみに走ると、転んで危ないぞ? 今の地面が、何度の熱さになっていると思っているんだ」

「何言っているのよ、お父さんが悪いんじゃない? とっくにお昼ご飯の用意ができているというのに、いつまでたっても浜辺でお酒なんか飲んでいるんだから、わざわざ呼びに来てあげたのよ⁉」

「──え、もうそんな時間なのか?」

 慌ててズボンのポケットから、今では時代遅れの数世代前のタイプの、量子魔導クォンタムマジックスマートフォンを引っ張り出して、現在の時刻を確かめる。

「ほんとだ、もう午後の二時を過ぎてやがる、ちょっと読書に集中しすぎたかな…………うん、サマンサ、どうした?」

 なぜだか顔を真っ青にして、俺の手元のスマホを見つめている、我が愛娘。

「……お父さん、そんなスマホ、持っていたっけ?」

「あー、それがな、この別荘に持ってきていたアタッシュケースをいろいろいじくっていたら、隠しポケットを見つけたんだけど、これだけが入っていたんだよ」

「ふーん、それを見つけてから、誰かと電話とかメールとかでやりとりをした?」

「あ、いや、俺自身記憶に無いような昔のやつだから、こいつの電話番号やアドレスを知っているやつも、もういないんじゃないかな?」

「へー、そう、だったら持っていても、意味は無いじゃない?」

「いや、プロダイバとの契約は今も生きているみたいだし、やろうと思えばネットやラインとの接続も出来そうだぞ?」

「え、そうなの?」

 なぜだか、俺の我ながら根拠不明なでまかせ半分の言葉を聞くなり、またもや何だか難しそうな表情となる娘。

 何だ、このスマホが、どうしたと言うんだ?

 さすがに疑問を覚えたので、問いかけようとしたところ、機先を制するように、さっさと話を元に戻してしまう、サマンサさん。

「ふうん、そうやって時を忘れて、お酒に逃げたりスマホにかまけているところを見ると、相変わらず小説づくりのほうは、はかどっていないんだあ?」

「──うぐっ」

 いきなりの図星に、途端に言葉に詰まってしまう、一応はプロの小説家の端くれ。

「……い、いや、いろいろとアイディアは断片的に浮かんでくるんだけど、なぜかそれを一つのストーリーにまとめることが出来なくてなあ」

「重症ねえ、調子のいい時には、黙っていても次々に、アイディアだけでなくストーリー展開のほうも、思いついていたのにねえ」

「う、うるさい、まだそれほど重症じゃねえよ、この休暇中には必ず復活してみせるからな!」

「まあ、とにかく、腹が減っては何とやらと言うことだし、お昼ご飯にしましょう? 空腹でイライラしていても、いい作品は生まれないわよ?」

「……うん、まあ、そうだな、少しは頭を冷やすことも、必要かもしれん」

「うふふ、だったら急ぎましょう、せっかくの料理が、冷めてしまうわ」

「ああ、そいつは悪かったな、すぐに行くよ」


 そう言うやあたふたと、デッキチェア周辺のゴミなどを片付け始める、『ミスタースランプ』。




 ──そんな自分のほうを、最愛の娘が、やけに冷めた視線で見ていたことに、気づきもせずに。




   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑




『──おい、ボブ、一体どうしたんだ、全然連絡を寄越さないで⁉』




 は? ボブ…………………………………って、誰だ?




 持ち主である俺自身からもすっかり忘れ去られていた、型落ちのスマホだというのに、いきなり音声通信が着信したことに驚き、ついうっかり通話に応じた途端、意味不明な言葉を突き付けられてしまったのであった。


「……あのー、すみません、たぶんかけ間違いされているようですよ? このスマホは本来、使っていないやつでして──」

『馬鹿野郎! 俺が事務所に一人しかいない、奴隷──もとい、部下の声を忘れたりするか! それにそのスマホは、おまえが駆け出しの時使っていたやつだろうが? 番号を覚えていて助かったぜ」

 何かしつこいやつだな? あれこれ難癖付ける()()をして、会話を長引かせて、こっちの個人情報を聞き出そうとしているのか?

 こりゃあ、差し障りのない情報だけ明かして、さっさと通話を切ることにするか。

「申し訳ないんですが、私事務所なんかに勤めたりしたことはないんですよ、何せ『小説家』を、生業なりわいにしておりますからねえ」

『小説家だあ? …………おまえまさか、自分のことを、小説家の「アレックス=デイドリーム」とか、言い出すつもりじゃないだろうな?』


 え。


「ど、どうしてあなたが、私の名前を知っているのですか⁉」

『どうしたは、こっちの台詞だよ! おまえ、本当に大丈夫なのか⁉ 「アレックス=デイドリーム」というのは──』


 な、何だ?

 この男、一体何を、言い出すつもりなんだ⁉




『──うちの探偵事務所に某出版社から調査を依頼された、現在絶賛行方不明中の、大人気ベストセラーSF小説家様のことじゃねえか⁉』




 ──‼




   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑




 ……どういうことなんだ、一体?


 俺が、SF作家のアレックス=デイドリーム本人ではなく、行方不明になった彼を調査していた、探偵事務所の使いっ走りのペーペーに過ぎないだと?


 はは、何を馬鹿なことを。

 何せ俺には、これまでのアレックス=デイドリームとしての人生の記憶が、ちゃんとあるしな。

 もちろん、何から何まで全部はっきりと覚えているとかいった、むしろ逆に不自然なことなんかはなく、あくまでも常識の範囲内で、人生の節目になったこととか、特に印象の深かったことなどを中心として、今も鮮明に記憶に残っていた。




 特に、元々病弱だった妻を十数年前に亡くした後で、ずっと男手一つでサマンサを育ててきた思い出は、とても忘れることなぞできないまでに、毎日が失敗と後悔の繰り返しであり、そしてそれ以上に喜びと成長の日々であった。


 この娘と二人しての、何よりも大切な思い出が、俺の勘違いかとか妄想とかで、あるはずがなかった。




 ──だがその一方で、確かに不可解なことも少なくないのも、また事実であった。




 今回この古びたスマホを発見したことで、今更ながらに気づいたのだが、何と現在俺と娘のサマンサは、このスマホを除けば、通信機器やパソコンの類いを、一切持っていなかったのだ。




 確かに本場の現代日本に比べれば、若干遅れているとはいえ、まさに当の現代日本からこの世界への異世界転生が繰り返されることによって、最新の科学技術がすっかり根付くとともに、この世界古来の魔法技術との融合を果たし、全世界的な量子魔導クォンタムマジック文化が花開き、量子魔導クォンタムマジックインターネットが津々浦々に張り巡らされ、どの家庭にも量子魔導クォンタムマジック固定電話はもちろん、量子魔導クォンタムマジックパソコンや量子魔導クォンタムマジックスマホも最低は一台はあるといった状況にあるのだ。

 そんな御時世に、俺はもちろん、まさに花の高校生のサマンサが、スマホ一つ持たないなんてことがあり得るだろうか?

 俺自身にしたって、これまで小説の作成についても、すべて紙と鉛筆を使っていたけど、たとえ初期構想段階であろうと、普通だったらそれこそスマホのメモ機能あたりを使うはずじゃないのか?




 ……いや、そんなことよりも、これも今思い出した──否、()()()()()()()()()んだが、俺とサマンサって、一体いつから、この貸しコテージで、夏休みを楽しんでいたんだっけ?




 ──わからない。


 ──わからないことが、わからない。




「──何でちゃんと、自分が間違いなく『アレックス=デイドリーム』である記憶があるのに、今現在の、こんなパソコン一つ無い不便な場所で、娘と二人っきりでいることについてだけが、なぜか前後の脈絡もなく切り離されているかのようにして、まったく記憶に無いんだ⁉」




 そのように俺がつい思い余って、最後のほうだけ実際に口に出してしまった、


 まさに、その刹那。




「──そりゃそうでしょう、何せあなたには、そのように、()()()()()()()()()()のですもの」




 唐突にコテージの二階にある俺の寝室に響き渡る、涼やかなる声。

 振り向けば部屋の入り口の手前には、涼しげなノースリーブの純白のワンピースをまとった少女がたたずんでいた。

「……サマンサ」

 可憐な小顔を彩っている、あたかも人形そのものの愛らしい微笑み。

 ──しかし、今となっては、その常に一定に保たれている無機質な表情が、不気味にも感じられ始めたのであった。

「い、今、何て言ったんだ? 俺の記憶が、与えらたものだと?」




「……ったく、そんなスマホ、見つけなければ良かったのに。そうしたら余計なことなんて思い出さずに、ただ永遠に、甘美なる『夏休みの夢』の中で、まどろみ続けることができたのにねえ」




 甘美なる夏休みの夢? しかも、永遠にまどろみ続けるって……。

「……悪い、もう俺には、おまえが何言っているのか、まったくわからないんだが?」

「あら、だったら、質問を変えましょうか? ──あるところに一人の男がおりました、彼は不治の病で最愛の妻を亡くしてしまい、生まれたばかりの娘だけが手元に残りましたが、何と残酷なことにも医師の見立てでは、彼女自身も母親と同じ病を患っており、成人するまで生きることはできないと言われてしまったのです。──さて、『彼』はどうしたでしょうか? 敬虔なる神の信徒として、黙って与えられた運命に服したでしょうか? それとも世界の摂理をねじ曲げてでも、娘を生きながらえさせようと、悪魔と取引をしようとしたでしょうか?」




 ──‼


「ま、まさか?」




「──ええ、『彼』は願いを叶えるために、悪魔に魂を売る道を選び、そして、『知ってはならぬこと』を、知ってしまったの。実はこの世界独自の『異世界転生の仕組み』を応用すれば、死者を甦らせるのみならず、その後永遠に生かせ続けることすらも可能だということを」




 ……何……だっ……てえ……。

「つまり俺──いや、()()()アレックス=デイドリームは、悪魔と取引をしたってわけか?」

「ああ、もちろん、本物の悪魔ってわけじゃないわ。ご存じかしら、当代の魔王陛下の実の妹君であられる、ヤミ=アカシア=ルナティックとおっしゃるお方を。アレックス=デイドリームは──『お父さん』は、小説家ならではの顔の広さゆえに、彼女と繋ぎをつけて、自分の肉体を代償に、『私』を永遠に生き続けることができるようにしてくれたの」

「いくら魔王の妹とはいえ、不治の病の人間を完治させるのみならず、永遠に生きながらえさせることなんてできるのか?」

「できるわよ? さっきも言ったでしょう、異世界転生の仕組みを利用すればいいのよ」

「異世界転生の仕組みを使えば、人を永遠に生かせ続けられるだと?」

「異世界転生とか転移と言っても、別に本当に現代日本からこの世界に、日本人が精神的にも肉体的にも、転生や転移をしてくるわけではなく、現代日本における『ユング心理学』の言うところの、ありとあらゆる世界のありとあらゆる時代のありとあらゆる存在の『記憶と知識』が集まってきていると言われる、いわゆる『集合的無意識』を介してもたらされる、ある特定の現代日本人の『記憶と知識』を、この世界の人間の脳に刷り込むことによって、それこそがまさしく『前世の記憶』となって、事実上の異世界転生を実現するってわけなのよ」

「ええー、そんなんでいいわけえ?」

「だって、異世界転生って結局は、この世界の人間に、『かつては現代日本の人間だったという前世の記憶』があるかどうかで、決まるわけしょう?」

「そ、そりゃあそうだけど…………だったら、異世界転移のほうはどうなんだ?」

「……阿呆らしい、質量保存の法則を始めとする物理法則に基づけば、二つの世界間を現代日本人が肉体丸ごと移動する、異世界転移なんて実現できるはずはないでしょう?」

 あれ? そっちは全否定するの?

 ……大丈夫なのか、それって、Web小説的に?

「それで、ヤミ様だったら、人を強制的に集合的無意識にアクセスさせることができるから、この世界の適当な人間を選んで、『お父さん』と『私』の『記憶と知識』を刷り込むことを繰り返せば、ずっと二人を健康体のままで生きながらえさせることができるってわけ」

「なっ、強制的におまえら父娘の『記憶と知識』を刷り込むってことは、つまり他人の身体を乗っ取るってことじゃないか? それに、『繰り返す』ってことは、もしかして……」




「ええ、ヤミ様との約定では、永遠に生きながらえさせなければならないのだから、現在私たちの『記憶と知識』をインストールしている人たちの身体が使い物にならなくなったら、また別の人に私たちの『記憶と知識』をインストールして、その身体を乗っ取る──ということを、永遠に繰り返していくわけなの」




 ……何だ、それ。

 もはや異世界転生というよりも、『エイリアンの寄生』みたいなものじゃないか⁉

「いや、そもそも、何でアレックスまでもが、他人の身体を乗っ取らなければならないんだよ? 彼は奥さんや娘さんとは違って、健康体だったんだろう?」




「さっきもチラリと言ったけど、実はそれこそが、この契約における、ヤミ様への代償だったのよ」




 何、だと?

「これまた現代日本の現代物理学の中核をなす量子論に則れば、小説内で異世界を生み出すことは、実際にも新たなる異世界を創造したり、すでに存在していた異世界を発見するも同然なので、小説家とは世界すらも創出する力を有するとも言えるから、ヤミ様としてはとても興味をそそられるところであられたようで、その身体を自分のものとして、脳みそを始めとして、徹底的に研究なされようと思し召したのでございます」

「……つまり、魔王の妹に、自分の身体を、売ったわけか?」

「それだけ娘さんのことが、大切だったのでしょう。──文字通り、我が身以上にね♡」

「──待て、おまえいつの間にか、『サマンサ』のことを、第三者的に述べているけど、もしかして……」

「ああ、誤解なさらないでください、非常に微妙なところですが、私()間違いなく、『サマンサ=デイドリーム』でございますので。──とは言え、アレックスの望みが、『私』に健康な身体を与えて、永遠に生きながらえさせることでしたので、すでに病魔に冒されている『私』自身の身体を、そのまま使用し続けることは不可能ですので、そこでヤミ様としては、一計を案ずることにされたのです」

「……一計、って?」




「ヤミ様の忠実なるしもべたる、わたくし──不定形ゆえに変身能力を有する、生粋の奉仕種族『ショゴス』に、サマンサの姿に化身させた後で、集合的無意識を介して、彼女の『記憶と知識』をインストールした次第でございます」




 ………………………………は?

「ショゴスって、それこそ現代日本で言うところの、『クトゥルフ神話』における暗黒生物の代表的種族のことか⁉ そんなのにたとえ本人の『記憶と知識』をインストールしようが、もはや別物でしかないだろうが⁉」

「……『そんなの』とは失礼な? 元々我々ショゴスは『自己』というものを持ちませんので、普通の人間に『記憶と知識』をインストールするよりも、よほど『サマンサ』嬢そのものとなり切ることが可能なのですよ?」

 ──っ。 つまりショゴスって、言うなれば『白地のカンバス』みたいに、デフォルトでは何色にも染まっていないというわけか。

「それにおまえらときたら、ちょっと切り刻んだり燃やしたりしたところで、ほとんどダメージが無いし、不老不死とも言えるほど長命だしな」

「おや、よくご存じで。さすがは現在『小説家の記憶と知識』をインストール中の探偵さん」


「……それで、事実を知ってしまった俺は、今すぐにでも始末して、新たなる生け贄を探すってところか?」


 そのように内心の焦りを隠しながらも、恐る恐る探りを入れてみると、案に相違してニッコリと微笑みかけてくる、少女を擬態中の暗黒生物。


 とはいえ、むしろこれまでと一切変わらぬ、純真無垢なる笑顔であるところこそが、更なる恐怖心を募らせるばかりであった。




「──とんでもない! せっかく『お父さん』の『記憶と知識』と、バッチリ適合する肉体を見つけたというのに、無駄に廃棄したりするものですか? ──どうやら職場の上司の方に嗅ぎつけられる怖れがありますので、ねぐらだけを移動した後で、またもや記憶を上書きして、あなたの肉体と精神とが使い物にならなくなるまで、これからも『親子ごっこ』という名の、『永遠の夏休み』を続けていきたいと思っておりますわ♡」

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