第34話、『作者』という呪い。(ある愚か者の話)
「──ミリィ、しっかりしろ、気を確かに持つんだ!」
その日の夜半過ぎ、最愛の妹の病状が悪化した。
それも、いつもの『発作』なんかじゃ、なかった。
──大量の血を吐き出した彼女は間違いなく、『危篤』の状態にあった。
国王に命じて金と権力に明かせておっ建てた、見晴らしのいい丘の上の豪邸の寝室兼療養室の、天蓋付きのベッドの上に横たわっている、十五、六歳ほどのガリガリに痩せ細った肢体は、かつての可憐なる少女の面影なぞ、もはやどこにも見いだせなかった。
「ミリィ、眠っちゃ駄目だ! 返事をしろ! ミリィ! ミリィ! ミリィい────ッ!」
俺はと言うと、生と死の狭間でもうろうとしている彼女の枕元で、わめき続けていた。
この世で一番大切な者に対して、ただそれだけのことしかできなかったのだ。
──この国の王様だろうか、最強の魔物である翼竜だろうが、顎で使える、この俺がである。
何が『作者』だ、異世界最強のチートだ。
今にも果てんとしている妹のために、何もできない、役立たずの外れスキルじゃないか。
──いや、違う。
本当の役立たずは、この俺自身じゃないか!
今もただひたすら、タブレットPCタイプの魔導書の液晶画面に、文字をタップし続けるしか能のない、哀れな異世界転生者。
『死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、死なないでくれ、
────俺を独りに、しないでくれ──────!!!』
「……おにい、ちゃん」
その時かすかに聞こえてきた、最愛の少女の声に、俺は飛びつくようにして、彼女の唇へと、己の耳を寄せる。
「──ミリィ、気がついたか⁉ 待っていろ、今すぐ王様をどやしつけて、大陸一の施術師を、連れてこさせて──」
「……今まで、本当に、ありがとうね」
「──‼」
「……また、次の世界でも、兄妹に、なろうね?」
──それがこの異世界における、彼女の最後の言葉であった。
「……ミリィ?」
──返事は、無かった。
「……ミリィ、ミリィ?」
──返事は、無かった。
「……ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ?」
──返事は、無かった。
「……ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ?」
──返事は、無かった。
「……ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィ、ミリィいいいいいいいいいい─────────!!!」
返事は、無かった。
「──くそっ、こんなもの!」
結局何の役にも立たなかった、タブレットPCを、窓から外へと投げ捨てる、結局何の役にも立たなかった男。
庭の大木の根元で、バラバラに砕け散る、『作者』の力の証し。
「──来い、シュピーゲル!」
俺は簡単に旅立ちの用意をすると、忠実なる僕の名を喚んだ。
──そうだ、もはやミリィは逝ってしまったのに、こんなところにいる必要は無い。
どこかの山奥にでも引っ込んで、人知れずひっそりと暮らそう。
『──くあああッ!』
「ああ、遅かったな、シュピーゲル、悪いが、今すぐ──」
窓の外から、己の『使い魔』の鳴き声が、一声聞こえたかと思えば、
目のくらむような衝撃とともに、一瞬意識が吹っ飛んだ。
気がつけば俺は、窓とは反対側の壁に叩きつけられて、その場に倒れていた。
口から流れ出る、鮮血。
おそらくは、肋骨の二、三本は、軽くいかれていた。
「……しゅ、シュピーゲル、な、何を⁉」
こちらをさも憎々しげに睨みつけている翼竜の瞳は、間違いなく真っ赤な攻撃色に染まっていた。
ゆっくりと俺のほうへと歩み寄ってくる、鋼のごとき巨体。
それを見て、慌てて『作者』の力を発動しようとしたところで、気がついた。
──自分がすでに、タブレットPCを、無くしていたことを。
「と、いうことは、まさか……」
その時になって、ようやく俺は思い出す。
現代日本において散々読み尽くした、『陰陽師』モノのライトノベルなんかによくあった、お約束の設定を。
安倍晴明なんかに代表される陰陽師は、その絶大なる呪術の力で、鬼や竜などといった強力な魔物を、己の『式神』に堕として、意のままに操れるようになれるが、別に彼らは心の底から、陰陽師に従っているわけでは無いのだ。
すべては陰陽術による、強制的な呪縛に過ぎず、命令を下すごとに、意に添わぬことに従わされることによって、陰陽師に対する憎しみを募らせていき、もしも何かの拍子にその呪縛が解けるようなことがあれば、全力をもって復讐を果たそうとすると言う。
「……ま、待ってくれ、シュピーゲル」
何の反応も示さずに、更に近づいてくる巨体。
「は、話せば、わかる」
月明かりにギラリと煌めく、鋭い牙と爪。
「俺たちあんなに、仲良くやっていたじゃないか⁉」
──耳まで裂けた大きな口から、止めどもなく流れ落ちている、大量のよだれ。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!!」
真夜中の豪邸中に響き渡る、ある愚かなる男の絶叫。
──そして、俺のこの異世界における意識は、そこで途絶えたのであった。




