第322話、【日ソ戦終結75周年記念】ユウレイ=レッシャ=ホウ(前編)
──1945年、シベリア鉄道、極東アジア側終着駅、ウラジオストク。
現在ここでは、大勢のソビエト赤軍兵士を始め、多数のTー34戦車によって、駅舎を完全に取り囲まれているといった、物々しい状況となっていた。
とはいえ、実のところ現時点においては、もはや『戦時』では無かった。
最後まで戦い続けていた枢軸国側の大日本帝国も、8月15日にポツダム宣言を受諾し、その後ずるずると小競り合いを続けていたソビエト赤軍との戦闘も、この9月初旬にて完全に終結したのだ。
本来ならポツダム宣言の規定上、日本軍の捕虜は直ちに本国に送還しなければならなかったのだが、元々日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦し、日本が連合国に正式に降服した後も、領土拡大を狙って強引に戦闘行為を続けた、卑劣極まる共産主義軍である、正々堂々と戦った皇軍の兵士たちの人権なぞガン無視して、奴隷同然の労働力として、ここシベリアを始めソ連邦各地へと、強制的に送還してそのまま押しとどめたのである。
よって、およそ十数分後にこの駅へ到着予定の貨物列車も、すでに武装解除をなされた日本軍の捕虜たちが満載されているだけで、それ程警戒を要する対象でも無かった。
確かにようく見てみると、兵士たちには戦場の緊張感なぞ欠片もなく、非常にリラックスした様子で、中には同僚と談笑している者すらいる始末であった。
──それもそのはず、こうして大勢の兵士や戦車を集めているのも、歴戦の精鋭だった日本軍兵士に対して、最初にガツンとソ連軍の威容を見せつけて、反抗心をへし折ろうという思惑によるものなのだから。
丸腰の相手に対して、手にしている機関銃はおろか、戦車まで持ち出して威圧しようとは、さすがは騎士道精神どころか人間の情すら失った、共産主義者の軍隊と言ったところか。
このようなゲスな軍隊や国家は、保って70年と言ったところであろうが、現時点においては、どんなに卑劣な騙し討ちを行ったとはいえ、『勝者』であることは間違い無く、かくのごとき傍若無人なことさえも許されるのであった。
「──おっ、そろそろ、到着するぞ」
「列車が見えてきた!」
「ようし、全員、機関銃を構えろ!」
「機甲部隊は、戦車の砲門をすべて、プラットホームに向けておけ!」
そのようにして、準備万端整えた赤軍兵たちが、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら見守る中で、甲高い警笛を鳴らしつつ、ホームへと滑り込んでくる、巨大で長大なる貨物列車。
──耳障りな金属音を盛大に上げながら、徐々に停止していく無数の車輪。
しばらくして、車体が完全に静止したのを確認するや、わらわらと近寄っていく兵士たち。
しかし──
「……おかしいな」
「どうして誰も、降りてこないんだ?」
「それどころか、どの車両も、扉すら開かれないし」
予想外の有り様に、さすがに不審がる、兵士たち。
にわかにその場の緊張感が、高まっていく。
──それも、無理は無かった。
捕虜を満載した貨物列車といえども、列車の運転士や機関士はもちろん、護送の任務に当たるソビエト側の軍人等も、それなりの人数が同乗しているはずなのだ。
それなのに、停車してから数分経つというのに、何のアクションも見せないというのは、明らかに異常な状況だと言えよう。
「……まさか、捕虜が反乱でも起こしたのか?」
「護送兵は全員殺されて、日本兵のほうは、脱走済みとか?」
「だったら、どうして列車だけが、この駅にたどり着くことができたのだ?」
「そもそも何らかの異常事態が起こったのなら、こちらにも連絡が入っているはずだぞ?」
「──おっ、見ろ、ドアが開くぞ!」
ソ連兵たちの不安が爆発寸前までに膨らみ上がった、まさにその時、
列車の先頭の機関車や、そのすぐ後の一両と最後尾の車両の扉が開いて、彼らと同じ制服を着た軍人が、十数名ほどプラットホームへと降り立ったのであった。
「……何だ、びっくりさせるなよ」
「おい、新しい奴隷たちの様子は、どうだった?」
「反抗的なやつがいるのなら、俺たちが直に指導してやるぜ」
先程までの緊張感の反動なのか、めいめい軽口を叩き始める、守備兵たち。
──しかし、護送部隊の兵士たちのほうは、何だか様子がおかしかった。
「ど、どうした、黙りこくって?」
「足元も何だかふらふらとして、おぼつか無いし」
「怪我でもしているのか?」
「──おいっ、返事をしろよ!」
自分たちの『同志』とはいえ、あまりに尋常ならざる様子に、つい手にした機関銃の銃口を向けてしまう、守備隊の兵士たちであったが、
「「「──スターリン同士、ばんざーい!!!」」」
突然その場に立ち止まったかと思えば、右腕を高々と掲げて、広大なプラットホーム中に響き渡るような大声を、一斉に発するや、
──全員いきなり爆発四散して、辺り一面へと、血液と肉片の雨を降らしたのであった。
「なっ、何だあっ⁉」
「ひいっ!」
「うわっ、血しぶきが目に入りやがった⁉」
「き、気持ち悪い!」
「──何が、一体何が、起こったんだ⁉」
あまりにも予想外の事態に、ただわめき立てるばかりの、屈強なる兵士たち。
まさに、その刹那、
「──やあ、気に入ってくれたかな、僕からの贈り物」
唐突に響き渡る、涼やかなる声音。
咄嗟に銃を構え直しつつ一斉に振り向けば、貨物列車の最後尾の車体の屋根の上に、いつしか小柄な人影がたたずんでいた。
純白の水兵服タイプの女学生の制服に包み込まれた、十二、三歳ほどの小柄で華奢な肢体に、セミロングの漆黒の髪の毛に縁取られた、色素が薄く端整なる小顔。
──そして、あたかも鮮血のごとく煌めいている、深紅の瞳。
まさしくそれは、夜の闇が凝って生み出されたような、可憐ながらもどこか禍々しい、とてもこの場にふさわしくない、幼い少女であったのだ。
「──だ、誰だ、貴様は⁉」
「どうやって、この場に、潜り込んできたんだ⁉」
「ここは、我が軍が厳重に守備している、極東ソ連軍の要衝なんだぞ⁉」
たかが年端もいかない小娘に対して、まるで未知の怪物でも目にしたかのように、次々に怒声を発する、赤軍兵士たち。
そんな無様な男たちに対して、いかにも侮蔑の眼差しで見下ろしながら、厳かに名乗りを上げる、謎の少女。
「僕かい? そうだね、本当は違うんだけど、君たち連邦の軍人さんにもわかりやすいように、『ヴェールヌイ』とでも名乗っておこうか? ──ふふふ、そんなに警戒しないでくれたまえ、この僕自身も、大日本帝国から君たちソビエト連邦に対する、『贈り物』の一つなんだから」




