第31話、『妖女ちゃん♡戦記』ショゴたんキャラ付け完了⁉(後編)
「──待て、こんな時間に、どこへ行くつもりだ?」
その日の深夜、魔王城の最上階の王族専用のプライベートスペースの長大な回廊の、ちょうど外界に面した吹きさらしのバルコニーにさしかかったところで、僕こと、当代の魔王ユージン=アカシア=ルナティックは、明かりも持たずにこそこそと徘徊している怪しい人物に対して、唐突に背中から呼び止めた。
その『不審者』はと言うと、黒の上下に白のシャツ、もちろんベストも着装済み、サスペンダー付きならなおOK──といった感じの、皆さんよくご存じの、『執事服』そのままの装いであった。
ここは一応、『王様のお城』であるのだから、夜中とはいえ執事が歩き回っていても、さほど不思議ではないように思えるが、こいつだけは例外であった。
こんな男っぽい格好をしていながら、『御主人様』である我が妹、ヤミ=アカシア=ルナティックの趣味なのか、中身のほうは女体を象っている、いわゆる『女執事』であり、しかも何とその正体ときたら、『クトゥルフ神話』でお馴染みの、暗黒不定形生物『ショゴス』だったりするのだ。
はっきり言って、真夜中どころか、たとえ昼間であっても、存在そのものが怪しさ爆発なのであった。
「──あら、これは魔王陛下、夜回りご苦労様です。………ええと、このお城は、城主御自ら、夜回りをされているのでしょうか?」
そんなわけあるか!
「昼間における対面の折から、何だか様子がおかしかったので、こうしておまえのことを見張っていたってわけだよ。──それで、一体どこからどこへ、向かおうとしているんだ?」
「ふふふ、心配性の魔王様ですこと。──いえ、別に不審なことなぞ行っておりませんよ? ヤミお嬢様が眠りにつかれるまでお側に侍っておりまして、今し方ようやく寝付かれたようですので、お部屋を辞して、自分の部屋に戻るところでございます」
「……ええと、普通従者は、主人の部屋との『続き部屋』にて寝起きして、いつでも主の御用を承るものじゃないのか?」
「それは執事ではなく、主にメイドや小姓の役割ですねえ。──とは申してましても、私に関してはメイド時代にも、お嬢様のお部屋から離れたところに居室をあてがわれておりました。どうやらお嬢様は、常時あれこれとお世話をされるよりも、一人っきりのプライベートタイムのほうを大切になさりたいようですね」
……ああ、うん、それはわかる。何せ僕も大体、同じようなものだからね。
むしろそうじゃなかったら、こんな時間に私室を出ること自体を、まさにその『部屋付きの従者』に止められていたであろう。
──しかし、ありとあらゆる世界の、『女執事』という概念の集合体のくせに、詰めが甘かったようだな。
「ところで、そのズボンのポケットからちょっぴりはみ出ている、小さな布きれは、一体何なんだ?」
その瞬間、バルコニーから吹き込む春風以外のすべてが、まるで真冬の風雪に見舞われたかのように、凍り付いた。
「……い、いや、これは、ですねえ」
「ごまかそうとしても、無駄だ。それは間違いなく、ヤミが主に土曜日に穿くのをローテーションにしている、ミントグリーンのしましまパンツだ!」
「──何か、むちゃくちゃ詳しいな、魔王様⁉」
なぜだか、驚愕に目をむく、暗黒不定形生物。
……どうしたんだろう、これしきのこと、妹を愛する兄としては、当たり前のことに過ぎないのに。
「さあ、そのパンツを一体、どうするつもりだ? 部屋の飾るのか? 秘蔵コレクションにするのか? 『ヤミたん♡妹成長記録』の資料にするのか? それともいっそ、『ご賞味』するのか?」
「──いろいろとヤバいのが入っていたけど、あんたそれ、自分でやっているんじゃないだろうな⁉」
「は? 何を馬鹿なことを!」
「そ、そうですよね! いくら世間一般の常識に囚われない魔族の王とはいえ、そっちのほうの一般常識をぶっちぎっては、おしまいですよね⁉」
「……あ、いや、僕ならこれに、添い寝とか、頬ずりとか、頭から被るとか、いっそ『穿く』とか、スキンシップ系を加えなくては、完璧では無いと思ってね」
「あんた、たった一人で、『魔王』のイメージを大幅ダウンさせているんじゃねえよ⁉ 謝れ! Web小説界の、あんた以外のすべての『魔王』キャラに、土下座して謝るんだ!」
「……いや、下着ドロの現行犯である、おまえにだけは言われたくはないんだが? だったらおまえはどうして、それを盗み出してきたんだ?」
──その瞬間、周囲の空気が、一変した。
月明かりだけの薄闇の中で、ニンマリとほくそ笑む、本来は感情なぞ持ち合わせていないはずの、女執事に擬態した『ツクリモノ』。
「──もちろん、ヤミ様と、真に一体化するためですよ♡」
……何……だと?
あまりに予想外の言葉を突き付けられたために、完全に我を忘れて立ちつくす僕を尻目に、文字通り熱に浮かされたかのように独演会を始める、女執事(偽)。
「私たち生まれながらの『奉仕種族』は、何よりも真に理想的な『御主人様』に仕えることこそを望んでおります。このたび縁あって数千年ぶりに目覚めると同時に、私の主となられたヤミ様は、まさしく私が数千年の眠りの中で夢見続けた、この世のすべての支配者となるべきお方でございます! あの小さき身の内に秘められた、魔族どころかかつての我が主、原初の神すらも凌ぐ、莫大なる魔導力は言うに及ばず、それよりも何よりもまして素晴らしいのは、あの『愛らしさ』に尽きまする! いまだ弱冠四,五歳ほどの幼さにして、あの高貴なる美貌! 高飛車な性格! 情け容赦なき残忍なる所行! ……ああ、まさしく我々『従属生物』の、『ご主人様』となるためにお生まれになったお方♡ どうか、どうか、この身を虐げてください! 鞭打ってください! 足蹴にしてください! いっそ切り刻んでくださああああああい!!!」
「──てめえ、『奉仕』とか『従属』とか言う以前に、ただの『ドM』じゃねえか⁉」
堪らず放った僕の盛大なるツッコミに対して、果たしてその『切り刻まれるために生まれたような不定形生物』は、しれっと言ってのける。
「ええ、ドMですけど、それが何か?」
「何かじゃねえよ、そんないろいろな意味で危ないやつを、これ以上大切な妹の側に置いておけるか!」
「ほう、だったらどうなされるおつもりで? 確か魔王陛下には、ほとんど魔導力が無いとお伺いいたしましたけど?」
「──こう、するんだよ!」
そう言い様、華奢な女執事の身体を、バルコニーの石造りの手すりにぶつけるようにして、そのか細い首を両手で握りしめる。
「──ゴホッ、ふふっ、魔力が無いので、直接的な暴力行為ですか? 妹様に比べて、原始的ですこと? まさかあなた、ショゴス相手に、物理攻撃が効くとでも?」
「……その減らず口、いつまで続くかな?」
「──っ。き、貴様あ、何をした⁉」
目の前の『女』の肌の露出した部分が、みるみるうちにその形を保てなくなり、本来の不定型な姿を現していく。
「……魔王一族の直系である僕に、何ゆえ魔導力がほとんど無いかというと、実は身の内に『大きな穴』が口を開けていて、本来外に向けて発露すべき魔導力を、全部食べてしまっているからなんだ。だからこういう風に僕が触れただけで、どんな相手であろうとも、魔導力やそれに類する呪術的エネルギーを、根こそぎ奪い取ることができるのさ」
「くっ、さすがは伝説の魔王一族の後継者、単なるお飾りの王様ではなかったというわけか! ──しかし残念だったな? 忘れたのか、こっちには『切り札』があったことを!」
「……切り札って、あっ、こいつ、本当にヤミのパンツを食いやがった⁉ しかも使用済みのやつを! 僕の場合『ご賞味』すると言っても、匂いを嗅ぐか、最大でも舐めるくらいなのに⁉」
「──ええー、お兄ちゃんたら、そんなことをしていたのお⁉」
突然その場の空気を切り裂き、状況を一変させる、甲高き幼い声。
「……ヤミ?」
そうそれは間違いなく、漆黒のネオゴシックのワンピースドレスに年の頃四、五歳ほどの華奢な矮躯を包み込み、烏の濡れ羽色の長い髪の毛に縁取られた端整なる小顔の中で黒水晶の瞳を煌めかせている、あたかも夜闇を凝らせたかのような黒一色の幼女にして、僕の実の妹、ヤミ=アカシア=ルナティックその人であった。
しかし別に彼女は、僕の目の届かない、後方から突然やって来たわけではなく、むしろ目の前に、忽然と現れたのだ。
あたかも、今や正体を見せようとしていた、暗黒不定形生物と、入れ替わったかのように。
──足が床まで届かず、宙ぶらりんとなり、僕の指先をその木の枝のようにか細い首に食い込ませながらも、妖艶な笑みをたたえ続ける、ニセ幼女。
「……貴様、どこまで我ら兄妹を愚弄するつもりだ? けして赦しはしないぞ!」
「ふふふふふ、果たしてこの姿をした私を、傷つけることができるかしらねえ、『お兄ちゃん』?」
「──ふざけるな! 偽物風情が、今すぐくびり殺してやる!」
「……いや、やめて、お兄ちゃん、苦しい、苦しいようっ」
──くっ⁉
つい、反射的に、緩んでしまう、両の手。
いくら紛い物とわかっていようと、ヤミそのままに涙を流しながら、必死に訴えてくるのに、これ以上手荒なことを続けることなぞできやしなかった。
「……ふふ、いい子ね、そうやって大人しくしていれば、ちゃんとあなたにも、ご褒美をあげるわ」
「な、何、だと?」
「ヤミ様と一体化する前に、あなたとも一体化してあげる、そうしたらあなたも、ヤミ様と一体化することができるわよ?」
──‼
……ヤミと……一つに……なれる……だと?
「どう、けして悪い取引じゃ「──ショゴス様、お願いたしまーす♡♡♡」
相手の言葉が終わるのを待たずに、首から手を放すとともに、その矮躯を抱え上げ、目と鼻の先に顔を近づけて、心から言上奉った。
「──早っ! 決断、早っ! いやもうちょっと、魔王としてのプライドとか、個としての自分への執着とか、妹を巻き添えにはしたくないとかいった、ためらいの感情はまったく無いんですかねえ?」
「ヤミと一つになれるチャンスを目の前にぶら下げられて、何を躊躇する必要があるものか! さあ、今すぐ融合しよう! そうしよう!」
「ちょっ、ちょっと、そんなに迫ってこないで! あんた、別の意味で、『一つになろう』としているんじゃないでしょうね? 私は別に、本物のヤミ様というわけじゃないのよ⁉」
そのように僕らが、もはや周囲に気を配ることなぞ完全に忘れ果てて、騒ぎ続けていた、
──まさに、その刹那であった。
「……お兄ちゃん、何をしているの?」
またしてもその場に鳴り響く、甲高い幼い声。
しかし今度こそそれは、僕の視界がまったく届かない、真後ろから聞こえてきたのであった。
「……ヤミ」
月明かりの届かぬ位置で立ち止まっているがゆえに、まさしくその名の通り闇色一色に染め上げられて、表情が一切窺えなかったが、そのことがむしろ、僕とショゴスの恐怖心を、天上知らずに高めていた。
闇の化身の少女が、今度は地を這うかのような、重く昏い声音を響かせる。
「こんな真夜中に、ショゴスを私に化けさせて、一体どんなプレイをしているわけ?」
「ぷ、プレイって、誤解だよ、ヤミ!」
「そんな有り様を見せつけられて、何を誤解しろっていうの? 言い訳なら、『お仕置き』の後でゆっくり聞くから、今日一晩、じっくり考えておきなさい」
──それって、『お仕置き』とやらが、一晩中続くってことですかあ⁉
「……ああ、ヤミ様のお仕置き、ステキ♡」
くっ、こ、こいつ、むしろ『願ったり叶ったり』といった顔をしてやがる!
「……さあ、二人とも、今から私の部屋にいらっしゃい。──逃げたら、呪うわよ?」
ひいっ、歴代魔王が足元にも及ばないほどの、魔導力を誇るヤミから本気で呪われたら、一体どんな悲惨なる末路が待ち構えていることか⁉
「いやあ、予想外の展開ですねえ、こういうのを現代日本では、『瓢箪から駒』と言うんでしたっけ? それとも『棚からぼた餅』?」
僕の絶望をよそに、すでに女執事の姿へと戻って、一人浮かれ回るショゴスたん。
くそう、何でヤミのために命を賭けて戦っていたのに、こんな目に遭うんだ?
やはり最後の最後にきて、ショゴスの甘言に乗ってしまったのが悪かったのか?
ああ、これも天罰覿面ということか……。
そのように自分に無理やり言い聞かせるようにして、僕もとぼとぼと、ヤミやショゴスの後を追って行ったのであった。




