第187話、いつかすべてを滅ぼす日が来る日まで…。【前編】
……えーん、えーん。
深い深い森の中で、いかにも哀しげに鳴り響く、いたいけな泣き声。
──だから『僕』は、文字通りに『夢現』のままで、自分がこれまで見たこともない不思議な場所にいることに少しも頓着せずに、声のするほうへと進んでいった。
そしてたどり着いた、森のほぼ中央部だというのに木々の並びが唐突に途切れて、ぽっかりと広がっている背の低い草地。
その中ほどにある小さな泉のほとりでうずくまり、華奢な両手で顔を覆って嗚咽を上げている、僕よりもほんのわずか年下の三、四歳ほどの、髪の毛から身に着けている東洋風の衣裳まで、すべてが夜空の満月そのままに黄色一色の女の子。
「──どうして、こんなところで、ひとりぼっちで、泣いているの?」
そんな彼女の淋しげな姿を、とても見ていることができなくなって、思わず声をかけてしまう。
すると、顔から手を放し、ゆっくりとこちらへと振り返る、見ず知らずの幼女。
──あたかも人形そのままの端整なる小顔の中で、涙に濡れて煌めいている、黄玉の瞳。
それを一目見た途端、まるで魅入られたようにして、ふらふらと歩み寄り、彼女のすぐ側に膝を突いて覗き込めば、真珠のごとく艶めく唇が、唐突に開かれた。
「……あなたは、だあれ? どこから来たの? ここへは、誰も来れないはずなのに? だから私はずっとずっと、ひとりぼっちだったのに」
それはどうにか聞き取るのがやっとの、か細いものであったものの、あたかも鈴の音みたいに心地よい、涼やかなる声音であった。
「えっ、そ、それが、僕も良くわからないんだけど、王宮の自分の部屋で寝ていたら、どこからか女の子の泣き声が聞こえてきて、それに誘われてあてどもなく歩き回っているうちに、ここにたどり着いたんだよ」
「……私の声が聞こえて、『夢渡り』をしたですって? そんな馬鹿な、たとえ精神体のみとはいえ、ただの人間が、『四聖』の障壁を、すべて突破できるなんて!」
「へ? 『しせいのしょうへき』って、何のこと?」
「物体どころか精神体すらも、絶対に入り込むことを赦さない、完全結界のことよ! だから私は、生まれた時からここに閉じ込められて、どこにも行けないというのに!」
「え? この森に入る時に、別に邪魔になるものなんか、無かったと思うけど? 君も、こんなところに一人でいるのが嫌なら、勝手に歩いて出て行けばいいじゃないか?」
「──駄目なの! 他の人はともかく、私だけは絶対に、ここから出ることは赦されないの! そのためにこそ、この森の東西南北には、この世で最も恐ろしい四柱の怪物たちが、常に見張っているのですもの!」
「この世で最も恐ろしい怪物、って……」
「龍に猛虎に不死鳥に大亀よ! 私をここに封印するために生み出された、神にも等しき力を持つ聖獣たちだから、その囲みを突破することなんて、誰にもできやしないわ!」
──龍に虎に鳥に亀の聖獣って、もしかしてそれって、青龍に白虎に朱雀に玄武のことじゃないの⁉
「ど、どうして、そんなそうそうたるメンバーが、君みたいな小さな女の子を閉じ込めているの?」
「……実はここは、私が見ている、夢の世界なの」
………………………………は?
「ちょっと、いきなり何を言っているの? この世界が君の夢だってえ? ──いや、正直に言うと、もしかしたらこれって夢じゃないかと思わなくもないけど、その場合はもちろん、この僕自身が見ている夢であるはずだし!」
突然のとんでもない言葉に、慌てて反駁する僕。
これはいかにもお互い様的な、『独りよがり』の見解のようでいて、幼児ならではの純真さから導き出された、非常に的を射た台詞とも言えた。
もしこれが小説等の『客観的な』創作物であれば、それをお読みになっている読者の皆様からすれば、誰が見ている夢であろうが構わないであろうが、当の本人たちにとっては死活問題なのである。
なぜなら、もしもこの世界が夢であって、しかも自分以外の何者かが見ている夢だとすると、何と僕は単なる『他人の夢の中の登場人物』に過ぎなくなって、その何者かが目覚めてしまった途端に、文字通りの夢幻として消え去ってしまうのだ。
──しかし、目の前の自分よりも年下の女の子は、そんな僕の内心なぞ、先刻ご承知とばかりに、
更なる意味深な台詞を、突きつけてきた。
「……大丈夫、あなたはけして、消えたりはしないわ。──何せそのためにこそ、私はここに閉じ込められているのですもの」
はあ?
「あ、あの、君?」
「実は私が夢見ているのは、別にこのいかにも夢だとわかる、不思議な森の世界だけでは無いの」
「えっ?」
「私は、ありとあらゆる世界を夢見ながら眠り続けているのであり、つまり、私が目覚めると、すべての世界がそこに含まれている森羅万象を含めて、すべて消滅してしまうのだから、私は絶対に、目覚めることを赦されないの」
──‼




