第175話、将棋ラノベで、ロリときたら、次はおねショタかヤンデレだよね♡(その40)
──さてそれでは、さっきから何度も言及しているこの、『人間の脳みそ情報十分説』について、いい機会やから、『小説の作成』(における基本中の基本的理論)に基づいて、簡潔明瞭に実証しておこうやないけ。
小説なんてものは、突き詰めれば、日本文学やったら『ひらがな50音』だけで、英文学やったら『アルファベット26字』だけで、構成されとるんやから、ひらがなもアルファベットもすべて脳内存在しているならば、どんな小説だろうと創造することができるというわけや。
──以上、説明終了!
ああっ、石を投げんといて!
……別にこれは、いい加減なこと言うとるわけでは無いんやで?
確かに、ただ単純に、文字だけ知っていても、小説は書けん。
言うまでも無く、何よりも、『小説の書き方』ちゅうもんが、必要や。
そして、『小説の書き方』という『テンプレ』なら、『小説にとっての集合的無意識』である、『小説家になろう』の中にごまんと存在しとる。
つまりは、小説家志望の人は、とにかく『小説家になろう』を読めば、いいわけや!
そこで読んだ作品に感銘を受けて、「私も、こんな作品を書きたい!」と、やる気になったら、こっちのものや。
何せ、小説を書くための知識や情報は、元々脳みそにあったり、足りなければインターネット等で補充したりすれば、いいだけの話やし。
言うなれば、『小説家になる』ために何よりも大切な、『小説の書き方』については、『小説家になろう』にアップされている作品を読めば読むほど、『テンプレ』という形で身についていくっちゅうわけや!
そもそも『小説家になろう』に、『異世界系の小説』がむちゃくちゃ多いのは、このせいや。
何せ『小説家になろう』には、『テンプレ的な異世界系の小説』が、ぎょうさんありよるからな。
異世界系の小説を書きたいと熱望している小説家予備軍が、『テンプレ』をつかみ取るには、好都合に違いなかろう。
──そして実は、こうした『テンプレ取得』の積み重ねによってこそ、真に『やる気のある者』であれば、『真の小説家』へとたどり着くことになるのだ。
なぜなら、(異世界系に限らず)どんな分野であろうが、小説づくりとは、結局の所は『テンプレの積み重ね』なんやからな。
けして『テンプレ』やゆうて、侮ったり馬鹿にしたりしたらアカンでえ?
むしろ『テンプレ』こそが、『小説のすべて』と思うべきなんや。
──もちろん、そもそも本人に、『やる気』や『高い志』が無いと、駄目やけどな。
『小説家になろう』を閲覧して、『見習う』と言っても、人気作の『おいしいところ』だけを、つまみ食い的にパクったところで、何の意味もあらへん。
そんなことよりも、自分が真に感動できる作品を、一作でも多く読みあさりつつ、それによって得た『やる気』に駆られるようにして、自分でも小説を書いていき、そんな『読んで書き、読んで書き』を繰り返すうちに、知らぬ間に自然と『テンプレ』というものをつかみ取って、それまででは信じられないまでに、『自分の思い通りに』小説が書けるようになって、自分の理想としていた『真の小説家』への道が開かれるんや!
ええか、『テンプレ』とはけして、『馬鹿の一つ覚え』や『ステレオタイプ』なんかのことでは無いし、
たとえ『小説家になろう』で得た『テンプレ』であろうとも、別に『異世界系』の作品しか、書けないわけではない。
『テンプレ』とは言うなれば、『コツ』のことなのだ。
『小説家になろう』の『テンプレ』によって、『小説作成のコツ』を掴んだ後は、足りない情報や知識は自分で学んで身につけることによって、どんな小説でも書けるようになるんや。
これこそが、他人様の作品のうわべの『情報や知識』だけを模倣する『パクリ』との最大の違いで、いくら『パクリ』で人気やお金を稼げても、真の『小説のコツ』を手に入れることはできず、『オリジナル』というものを知らぬままに、ほんの短い作家生命のみで朽ち果てていくだけや。
──そしてこれは、小説以外の、この世のあらゆる分野についても、同様なんや。
そりゃ、そうやろう。
何も、『ひらがなやアルファベッド』で構成されているのは、小説等の文字媒体だけやあらへん。
我々人間の認識上においては、この世の森羅万象がすべて、文字によって表現することができる限りは、実は人間の脳みその中にはデフォルトで、必要な情報(の素)がすべて存在しているとも言えるんや。
後は集合的無意識とアクセスを果たし、各分野において必要な情報や知識とともに、『テンプレ=各分野におけるコツ』さえ手に入れることができたら、学問、芸術、政治、経済、軍事その他、ありとあらゆる分野において、万能そのものの『目標達成能力』を発揮できるようになれるんや。
もちろん、どのような分野においても、最も重要なのは、情報や知識よりも、『コツ』のほうや。
これは先ほども例に挙げた、将棋等の『勝負の場』を考えれば、歴然としてるやろう。
いくら情報や知識があろうとも、対局における『コツ』というものを知らなければ、勝てる勝負にも勝てはせん。結局は情報や知識よりも、それを真に有効に活用できる、『テンプレ』のほうが重要なんや。
そしてこれは何よりも、『異世界転生』や『死に戻り』等の、Web小説ならではの『超常現象』についても同様なんや。
異世界転生については、何度も本作において述べているように、あくまでも生粋の異世界人が、何らかの拍子に集合的無意識とのアクセスを果たして、現代日本の特定の人物の『記憶と知識』を、己の脳みそのインストールすることによって、事実上の『現代日本からの異世界への転生』を実現しているわけや。
こういった転生モノのWeb小説においては普通、異世界人に『一生分』の日本人の記憶が、しかも(連載がどんなに進んでも、文字通り『一文一句』覚えておられるほど)やけに鮮明に、植え付けられるといったパターンばかりやけど、そんな必要あるか!
つうか、『前世の記憶』とか言う、本物だかただの妄想だかわからないあやふやなものを、Web小説の長期連載中ずっと、覚えていることなんかできるか!
これは『人格の入れ替わり』イベントでも同じやけど、『他人なってしまう』超常現象において、最も大切なのは何やと思う?
他人の一生分の記憶か? 現代日本の最新の科学技術を御都合主義的に、(連載中に必要に応じて)何でも覚え込んでおることか?
──いやいや、違うやろ⁉
人間にとって一番大切なことは、言うまでも無く、その人物ならではの『パーソナル』や!
いわゆる、『性格』とか『話し方』とか『考え方』とか『行動規範』とか『癖』とか、言うやつや!
それがあれば、少々情報不足であろうが、途中で記憶があやふやになろうが、ちゃんと『現代日本からの転生者』として演じていくことができるやろう。
この『人格』とか『考え方』とか『癖』といったものこそ、『人間のテンプレ』と呼ぶべきものであり、集合的無意識から引用すべきは、情報や知識なんかよりも、こういった『テンプレ』であるべきなんや!
つうか、何度も言っているように、本人の努力と飽くなき野望があれば、いつでも何度でも集合的無意識とアクセスできるんやから、何か必要な情報があれば、そのつど取得すればいいだけやしな。
どうや? 真に現実的かつ理想的な『異世界転生』を実現するためには、集合的無意識とのアクセスを果たして、何よりも『転生者である人物の人間としてのテンプレ』を手に入れることこそが肝要であるのは、わかってもらえたかな?
──そしてもちろんこれは、本作における最重要テーマである、『死に戻り』についても、まったく同様であるわけなんや。




