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第167話、将棋ラノベで、ロリときたら、次はおねショタかヤンデレだよね♡(その32)

「……え、それって、どういうことですの? 本当に龍王ナーガラージャと戦って何度も殺されてそのたび生き返ったり、世界そのものがループしたりしているわけではなく、たかが『偽りの記憶』を与えられただけなのに、現在のヒットシー王子がまさに、無限に龍王ナーガラージャと戦って、無残に殺され続けているに等しい、まさしく『生き地獄』そのままの状態にあるっていうのは」




 龍王ナーガラージャである我から、『死に戻り』のスキルを与えられた途端、七転八倒の苦しみようとなってしまった少年勇者の姿を見て、的確に真相を見抜く、さすがの聖レーン転生教団の()()()()()()()()()のシスターであったが、勇者にしてマツモンド王国の王子様の(年上の)婚約者である、(ショタコンの)悪役令嬢のほうは、イマイチ理解が及ばないようであった。




 ……まあ、それも、無理は無いか。


『死に戻り』というと、現代日本において大ヒットした某Web小説の影響を受けて、後追い作品がのべつ幕なく粗製乱造されてしまったために、自他共に『オリジナル』と認められている某作品以外は、完全に非論理的な『ゲームにおけるセーブシステム』以外の何物でも無くなってしまっており、そんなものを現実世界に適用したりしたら、『(ゲーム内の)主人公』以外の()()()()()()()()、『主人公』が一切の努力も試行錯誤も無しに、どんな難敵だろうが初見で一発で打ち勝ち、どんな難問でも一度で完璧に解決するという、勇者とか魔王とかのレベルを超越した、まさに『なろう系』ならではの、『イキリ西部セーブ太郎』となってしまい、下手すると世界観そのものを崩壊させかねなかった。


 ──つまり、凡百の後追い的『セーブシステム型の死に戻り』である限り、理論上、現実には絶対に実現不可能なのだ。


 もちろん、某オリジナル作品に関しては、けしてこれには当てはまらなかった。


 何せ作者様ご自身が、「この作品の死に戻りの仕組み(メカニズム)は、ゲームのセーブシステムとまったく同じとは決まっていない」といった感じのお言葉(コメント)を、(随所で、言外に)ほのめかされているのだ。


 つまりあの作品の主人公は、『ゲームのセーブシステム』以外の、ちゃんと論理的に実現可能な、『死に戻り』をやっていることになるわけである。


 ……もしも我が勇者に与えた『死に戻り』のスキルが、某作品と同じものであるのなら、勇者があのようにもがき苦しんでいるのも、一見納得できるかも知れない。


 何せ某作品においては主人公が、彼自身の主観的には何度も世界をやり直して、何度も傷ついたり下手したら命を失ったりしながらも、けしてへこたれず、最終的には必ず、問題を解決したり難敵を下したりしているわけだからな。


 とはいえ、我と某作品とでは、同じ現実的に実現可能な『死に戻り』とはいえ、大きな差異が存在していた。


 それは先ほども言ったが、某作品のほうが、あくまでも主人公の主観とはいえ、『死に戻り』という名の『世界の繰り返し』を、()()()体験しているところだ。




 それに対して、今我の目の前にいる勇者のほうはと言えば、確かに頭を抱えてもがき苦しんでいるものの、そもそも『龍王ナーガラージャ』である我と具体的に戦ったわけでもなく、『死に戻り=世界のループ(=下手したらゲーム的セーブシステムそのもの)』が行われているはずがないのに、あたかも『死に戻り』をすでに体験したような苦しみようをしているのだ。




 これについては、現代日本のWeb小説の『死に戻り』の仕組み(メカニズム)に対する考察の一つとして、『「死に戻り」システムが発動すると、「主人公」だけが「過去の世界」あるいは「別の(並行)世界」に飛ばされて、そこで改めて「(世界の)やり直し」を行っていくことになるので、元の世界には何の影響も与えない』というのがあるのだが、それだと目の前にいる勇者自身が苦しんでいることに説明がつかなくなるので、今回の場合は当てはまらないだろう。


 ……つうか、実はこれって、なろう系Web小説どころか、超人気ライトノベルにおいても、すでに鉄板のパターンになっていたりするんだけど、主人公が難敵や難問の打破に失敗するごとに、世界を丸ごと見捨てて、自分だけ別の世界や時代へと逃げ出すのは、いかがなものか?


 例えば、まさに現在のケースで言うと、たとえ勇者が別の世界や時代に逃げ出して、そこで『つじつまを合わせて』主人公面を続行しようが、元の世界においては、まさにラスボス(w)である我が存在し続けているのは、変わらぬ事実であり、何も問題は解決していないのだ。


 ──というか、これぞ『世界の真理』というものなのだが、ある世界の内部に存在する者は、たとえ神様同然の反則技チート的スキルを有していようが、自分が存在する世界に対しては、いかなる改変を加えることができないと言う、不滅の大原則を知らないのだろうか?


 例えば、もしもこの世界が小説だとしたら、仮に『本物の神様』がいたとしても、この世界という小説を作成した小説家等の、世界の『内部』ではなく『外部』に存在している者にとっては、単なる『本物の神様という役割を与えられた小説の登場人物』に過ぎず、小説内のストーリー展開上は『神様』として振る舞うことができようとも、小説自体を最終回にしたり、打ち切りにしたりといった、ただの小説家やサラリーマン編集者だって十分可能なことすら、絶対に不可能なのだ。




 そうなのである、世界を真の意味で改変することができるのは、その世界内に存在している『全知全能の神様』なぞではなく、世界の外側に存在している、ただの小説家やサラリーマンのほうなのである。




 これについては、Web上においていろいろと物議をかもしている、某『即死チート』作品を例に挙げるとわかりやすいであろう。


 これまでのストーリーの推移から鑑みるに、あの作品内の登場人物である限りは、たとえ『神様』だろうが『作者』だろうが『主人公』だろうが、『即死チート』を破ることはできないに違いない。


 よって、作内の登場人物や、お節介な(アンチ気味な)Web上の掲示板の粘着スレ民が、いくら『対抗策』を練ったところで、完全に無駄であろう。


 では、『即死チート』に対抗できる者は、けして存在し得ないのか?


 ──そんなことは無い。


 要は、当該作品の、外側に存在していて、作品に対して、『それなりの権限』を有していればいいのだ。


 ズバリ言ってしまえば、作者様ご自身であれば、いくらでも『即死チート』を破ることも、作品自体をいきなり終わらせることもできるし、更には商業誌版の担当編集者様ともなると、売り上げ不振等の適切なる理由さえあれば、『打ち切り』にすることだって、原則的に可能なのである。


 ただし、勘違いして欲しくないのだが、これは別に『メタ』的な話をしているわけでは無い。


 どうしようもない、三流Web小説や三流ラノベのせいで、すっかり『神様という概念』が地に堕ちてしまっている現状において、『真に神様なるもの』を理解していただこうと思って、あえてこういうわかりやすい例を取り上げただけなのだ。


 つまり、ある世界(や当然その中に含まれている人間を始めとする森羅万象)に対して、無制限の干渉を可能とする、文字通り『神様』そのものの存在とは、その世界の外側に存在している、その世界にとっての『作者』(あるいは、もっと権力のある、担当編集者)みたいな者のことなのだと、ご理解いただきたいわけなのである。


 たとえ『神様少女』と呼ばれようが、『あらゆる精霊』を従えていようが、超人気作品にあやかって碌に理解していないくせに『死に戻り』を連発させようが、その世界の中に存在している、(実際上間違いなく、単なる創作物に過ぎない、Web小説やラノベの)『単なる登場人物』である限りは、世界を改変したり、ループさせたり、時間を遡行させたりなんか、絶対に不可能なのだ。




 このような至極当然の欠陥に対しては、まともな考察を一切行わないままでの、『死に戻り』や『終わらない八月』や『消失』や『時の精霊による時間遡行』などという、考え足らずの『イキリ反則技的チートスキル』なぞ、もはや「存在するだけで害悪」と言わざるを得ないだろう。




 ……それに対して、龍王ナーガラージャであるこの我が、勇者に与えた『死に戻り』のスキルについては、何ら問題が無いのは、もちろん言うまでも無いであろう。


 何せ『記憶』を与えただけだからな、物理法則等に抵触して、現実性リアリティを損ねることなぞ、あろうはずがないのだ。




 ……ただし、『記憶』と言っても、ただの『記憶』なぞではないがな。




 まあ、そこら辺のことについては、人間世界の影の支配者たる、聖レーン転生教団のシスター殿に、詳しく説明していただくことにするか。




「──あら、()()()『偽りの記憶』ですって? 忘れてもらっては困りますよ、悪役令嬢さん。私たち人間は実のところは、この世界の森羅万象を、目や耳や鼻や舌や肌で感じ取っているのではなく、それらによって取り入れた無数の情報を、脳みそにおいて計算処理して始めて、『五感』として認識しているのよ? ──つまり、たとえ『偽りの記憶』であろうとも、龍王ナーガラージャ等のいわゆる『世界の絶対者』の力で、集合的無意識を介して直接脳みそに刷り込んでしまえば、『本当に体験したこと』になってしまうわけなの」

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