第147話、将棋ラノベで、ロリときたら、次はおねショタかヤンデレだよね♡(その15)
……神様とは、集合的無意識を、具象化したようなものだって⁉
「何せ神様と言えば、『全知』の代名詞だからな、ありとあらゆる世界のありとあらゆる時代のありとあらゆる存在の『記憶と知識』が集まってくる集合的無意識こそが、真に現実的かつ理想的な『神の具現』と言っても,過言では無いだろう」
『ロリコン』や『猫耳ゴスロリ』に続いて、『おねショタ』をセールスポイントとする、ごく普通の『将棋ラノベ』だとばかり思っていたら、「神とは何か?」について、かのユング心理学に則って真に現実的に解明してしまうという、想像を絶する展開を迎えることによって、この上なき衝撃に打ち震える僕こと、奨励会三段のDS金大中小太であったが、そんな弟子の有り様を少しも勘案すること無く、更に驚愕の台詞を追撃してくる、現役竜王のお師匠様。
「もし仮に我々が現在夢の世界の中にいるとしたら、目覚めた時の『自分』こそが事実上、『全知なる神』とも呼び得る集合的無意識そのものだということになって、先に述べたようにこれとのアクセスさえ実現できれば、SF小説やラノベやWeb小説等に登場してくるような超常現象をほぼすべて実現できるようになるわけだけど、残念なことにも『普通の人間』に過ぎない我々には基本的に、いまだ夢の中にいる時点で『目覚めた後の自分』とアクセスする手段なぞ無いし、かといって目覚めてみたところで、そこにいるのはやはり単なる『普通の人間』に過ぎず、集合的無意識の具現たる神のごとき全知なる存在などでは無いのだ。なぜなら、『目覚めた後の自分』が全知なる神のごとき存在でいられたのは、実際に目覚めるまでは『目覚めた後の自分』には無限の可能性があり得るゆえに、世界や時代や人間であるかどうかすらも問わない、無限の『自分候補』の無数の『記憶や知識』の集合体として、当然のごとく現在過去未来を問わぬすべての生物の英知が結集していただけの話であり、実際に目覚めて普通の人間へと、『可能性を収束』してしまえば、もはや『集合知』としての全知なぞではあり得ないのだよ」
……あれ?
目覚めた後の自分──つまりは、『未来の自分とのアクセス』に、
目覚めた後には──つまりは、『未来というものには、無限の可能性があり得る』に、
『未来が現在として確定することによって、無限の可能性が一つへと収束する』って……。
「ちょ、ちょっと待ってください、師匠! この『夢の中の自分』と『目覚めた後の自分』との関係って、量子論における、『形なき波としての量子』と、『形ある粒子としての量子』の関係、そのものではないですか⁉」
「──おお、さすがは前世の影響か、齢十歳にして異世界転生系Web小説やSF小説に通暁している、金大中小太君、まさにその通りだよ! つまりだね、いわゆる『重ね合わせ現象』という独特の性質を有する量子であったなら、集合的無意識とアクセスできるということになるのさ」
……何……です……って……。
「本来なら、たとえたった一瞬後であろうと、『未来の自分』にアクセスすることなぞ、けしてできないだろう。しかし量子だけは違うんだ。古典物理学の時代においては、物理学が発展すればいつかは必ず可能となるとされていた、『100%正確な未来予測』であったが、残念ながらそれは現代物理学において完全に否定されてしまい、『神様はサイコロを振る必要なぞ無いんじゃあ』とかイキっていた,自他共に認める天才(w)アインシュタインの名声を地の底にたたき落としたのだ。なぜなら、我々人類を始めとするこの世の万物の物理量の最小単位──すなわち、世界そのものを構成する最小単位である量子というものの、たった一瞬後の形態や位置を予測することが不可能であるのが判明したからな。それというのも、形なき波としての量子においては、ほんの一瞬後の形ある粒子として、どんな形態や位置になるかは、常に無限の可能性が重なり合っており、到底事前に予測することなんて不可能なのさ。逆に言えば、量子は形なき波の状態にある時点では、あくまでも可能性の上とはいえ、無限の形態や位置を同時に実現しているとも言えて、これは事実上、一瞬後の自分自身とのアクセス状態──すなわち、集合的無意識とのアクセスを果たしているとも言えるのだよ」
「はあ? 無限の形態や位置が、重なり合っているですって?」
「かの高名な『シュレディンガーの猫の思考実験』や、それをモデルにした『某准尉殿』を思い浮かべてくれたまえ」
……『シュレディンガーの猫』って言うと、猫を毒ガス装置と一緒に,中身の見えない箱の中に密閉した場合、その一匹の猫には『毒ガスで死んでしまった場合』と『いまだ生き続けている場合』の二つの可能性が重複して存在していて、ある意味『死んだ猫と生きた猫が同時に存在している』ようなものだけど、箱を開けて実際の状況が誰かに観測された途端、『生と死』の二つの可能性が収束して、猫の生死が確定するってやつだが、頭の狂った自称『お利口さん』の物理学者やSF小説家の一部は、「これはただ単純に、箱の中ですでに確定していた猫の生死を、蓋を開けて改めて肉眼で確認しただけの話ではなく、誰かに観測される前には、箱の中には生きた猫と死んだ猫が重複して存在していたんだ! それが肉眼で観測された瞬間に、片一方に収束されたのだ! だからこそ、シュレ○ィンガー准尉殿は、『どこにもいるし、どこにもいない』んだあああああ!!!」などと,声高に主張しているけど、そんなわけあるか。そもそもこの実験を行った数学者のシュレディンガーさんも、「一匹の猫が、重複して存在する? そんなわけあるか! つまり、量子論で言っていることは、デタラメでーす☆」ということが言いたかったという説があるくらいだしな。
「……ええと、師匠、『重ね合わせ』現象って、ミクロレベルにおける微細な粒子に過ぎない量子だから起こり得る現象なのだからして、マクロレベル──すなわち、この現実世界に生きている、普通の猫や我々人間には該当されず、生きている猫と死んでいる猫が重なって存在したり、ただの人間が自分の意思で集合的無意識にアクセスしたりなんて、けしてできないんじゃないですか?」
「うん、まあ、そうだね、量子はあくまでも、『形なき波』と『形ある粒子』との二つの性質を同時に持つからこそ、常に複数の可能性が重なり合っているわけで、猫とか人間とか──面倒だから一緒にして、どこかの『猫耳の准尉』殿が、いくら吸血鬼だからって、『メリーさん』みたいな実体無き概念のみの『都市伝説』みたいな存在でもない限り、『どこにもいながら、どこにもいない』なんてことはあり得ないよな」
……あれ、師匠ったら、ここに来てご自分の意見を、全否定なされたぞ?
やれやれ、どうにか常識というものに、目覚められたか。
──などと、僕がついうっかり、油断してしまった、まさにその刹那。
「だったら、もしも我々普通の人間においても、『形ある自分』と『形なき自分』との重複状態になれたならば、集合的無意識とアクセスできるということだよな?」
………………………は?
「な、何を、おっしゃっているのですか? 『形ある自分』はともかく、『形なき自分』だなんて、人間がそんなものになれるわけが無いではありませんか⁉」
「果たして、そうかな?」
「へ?」
「これまで何度も何度も言ってきたように、我々が現時点において、『誰かが見ている夢の中の存在』である可能性は、けして否定できないのだよ。極論すれば、この世界が現実であるか夢であるかは、半々の可能性だと言っても過言では無いだろう。──つまり、我々マクロレベルの人間も、ミクロレベルの量子同様に、常に『形ある現実世界の自分』と『形なき夢の世界の自分』との、重ね合わせ状態にあるとも言えるのだよ」




