第108話、魔王と勇者のロンド(その1)
「……どうやら我も、これまでのようだ。──勇者よ、遠慮は要らん、とどめを刺すがいい」
もはや足腰も立たなくなったのか、謁見の間の最奥に設えられている魔王の玉座へと、力が抜けた身体をだらりと預けて、俺に向かって言い放つ、頭部や顔面をも含む全身甲冑姿の男。
どうやらその言葉に嘘偽りは無さそうであったが、俺は抜き身の剣を右手に携えたまま、慎重に近づいていく。
──そう、現代日本からこのファンタジー的異世界へと召喚されて優に三年、ついに『魔王討伐』という大願を果たすために。
一歩一歩、大理石づくりの床を踏みしめながら俺は、これまでの日々に対する感慨にふけっていた。
長く、辛い、三年間であった。
もちろん、この世界へと異世界転生型の召喚をされるに当たって、召喚側の人間族連合王国の召喚術士から、顔形だけは以前のままながら、この世界最高クラスの魔法スキルを秘めた、屈強な肉体を与えてもらったし、全人類の仇敵たる魔物の総元締めである魔王討伐に当たっては、勇者である自分にふさわしい、各分野でトップクラスの実力を誇るパーティメンバーをあてがってもらった。
しかしそれでも、魔王に伍するまでにレベルを上げるために、各地の名のある魔物たちを討伐しながら、魔王の本拠地である魔王城へと向かう旅路は、艱難辛苦の連続であったのだ。
いくら肉体が頑強であり、保有する魔法容量が無尽蔵で、魔法術式構築の才能があろうが、現代日本においては単なる平凡な男子高校生に過ぎなかったというのに、いきなり異世界に召喚されて、「おまえは今日から勇者であり、これより魔王を退治してこい」と言われても、途方に暮れるだけである。
だがなぜだか、連合王国の王侯貴族のお歴々を始めとして、市井に暮らしているごく平凡な庶民や、俺なんかよりも即戦力のその道のプロであるパーティメンバーまでもが、俺が魔王を倒すことを塵ほども疑っておらず、常に明らかにその時点の実力以上の敵と戦わされることによって、無理やりレベルを上げさせられていったのだ。
当然最初のうちは、「てめえら、単なる男子高校生に、何を期待していやがるんだ? 別に俺は三流Web小説の『主人公』みたいに、いきなり『秘められていた本当の力』に目覚めて、無双し始めたりするとかいった、御都合主義的な展開なんかできないからな?」と反駁していたのだが、確かに旅の始めの頃は、強敵の上級魔族との戦いは熾烈さを極めて、満身創痍になりながらも、超実力者揃いのパーティメンバーの巧みな援護によって、どうにか勝利を収めるといった繰り返しであったものの、どうやらこの『スパルタ方式』は、本当に効果があったようで、俺の勇者としてのレベルはみるみるうちに爆アゲしていき、旅の後半には『四天王』クラスの相手でも、余裕で倒せるようになったのだ。
とはいえ、さすがに最終ステージである魔王城攻略においては、これまで以上の激戦となり、超上級魔族たちが文字通り『背水の陣』とばかりに、何としても魔王を守るために必死に襲って来て、あの無敵さを極めたパーティメンバーたちが次々と倒れていき、勇者である俺一人になって奮戦し続けたものの、魔族たちの抵抗はなおも激しく、中には滂沱の涙を流しながら、「──お願いです! ここで死んでしまうほうが、あなた様のためでもあるのです! どうか魔王様に会われる前に、お死にください!」と、もはや錯乱してしまったのか、敵であるはずの俺に向かって敬語を使いながら、捨て身で飛びかかって来る年若き女魔族もいたのだが、心を鬼にして斬り捨てながら、魔王がいると思われる謁見の間へと、歩を進めていったのだ。
……さっきのイカれた(少々ヤンデレ系の?)女魔族を始めとして、魔族たちは別に強制されたりとか義務とかではなく、自ら率先して、勇者である俺に挑んできていた。
それはすなわち、魔王が独善的かつ強権的な暴君なんかではなく、心から部下たちに慕われた、名君だということ如実に証明していた。
勇者としての使命とはいえ、そのような相手を問答無用で打ち倒さなければならないなんて、非常に気が重かった。
──そしていざ実際に闘ってみれば、彼の魔王としての武術や魔術の強大さだけではなく、潔さやフェア精神を、嫌というほど見せつけられることになったのだ。
広大な総大理石づくりの謁見の間で待ち構えていた魔王は、最後の一騎打ちに当たって、すでに満身創痍となっている己よりも下等な人間である俺に対して、けして奢ったりすること無く、顔面すら覆い隠した堅固なる全身鎧の姿で現れて、こちらを嘲ったり恨んだりするような、Web小説等における魔王キャラとしての常套句を口にすることも無く、言葉少なに勝負に応じて、予想通りに勇者である俺を大いに苦しめたのであった。
ただでさえ、この世界の全生命のピラミッドの頂点に立つ魔物の王であるだけではなく、歴代魔王においても最強と目されているというのに、勇者とはいえこれまでの戦闘で少なからず疲弊している俺を前にしても、けして侮ったり油断したりはせず、最初から全力で打ち込んでくるわ、身にまとった鎧兜も防御力が尋常ではないわで、始終こちらばかりが苦戦し続けることになった。
特に予想外だったのは、こちらの自慢の聖剣といくら打ち合おうが、彼の愛剣が刃こぼれ一つせずに、まったくのノーダメージであったことだ。
あらゆる『魔に属するもの』を滅ぼす力を秘めている聖剣に、互角に渡り合える剣なてん、それこそ聖剣以外は無いというのに……。
──そこで突然俺の脳裏に、先ほどのヤンデレ(仮)な女魔族の言葉が甦った。
『ここで死んでしまうほうが、あなた様のためでもあるのです!』
……まさか……まさか。
もしかしたら、目の前の魔王は、この俺の、『未来の姿』では、ないのか?
現代日本にいた頃に嗜んでいた、三文Web小説においてありがちなパターンとして、勇者が魔王を倒した途端、異世界人たちが一斉に手のひらを返して、今度は『魔王を倒すような強大な力を有する勇者』こそを、新たなる脅威たる『世界の敵』と見なして、自分たちが勝手に召喚したくせに、勇者が凱旋してくるとともに騙し討ちしたり、良くて追放したりするってのがあったよな?
小説においてはほとんどの場合、騙し討ちを危機一髪で回避したり、追放された後で僻地や外国で地盤を構えて下克上を果たしたりして、自分を裏切った異世界人たちに『復讐』をするってのが多いけど、現実問題として、そんな小説みたいに都合良く行くわけがなく、追放されたりした後で、異世界人への復讐心のあまり『闇堕ち』をして、勇者でありながら新たなる魔王となってしまい、かつて自分の敵だった魔族たちを力で従えて、人間たちの領土に攻め入ったところ、新たなる勇者として俺が召喚されることによって、返り討ちに遭ったとかじゃないだろうな⁉
……となると、もしかして、この俺こそが、次代の『魔王』になったりするんじゃないのか?
──いや、やめよう。
この期に及んで、そんな益体もないことで悩んでも、仕方ない。
今は、目の前の勝負に、集中しなくては!
──そうなのである。
戦いも長時間にわたって続いてくると、だんだんとこちらの『勝機』──否、相手側の『劣勢』が、透けて見えるようになってきたのだ。
全身鎧のためにその容姿は確認できないものの、時たま発せられるくぐもった声音から、どうやら結構お年を召されているようであり、やはりこうも激闘が続けば、疲労の蓄積は隠せないといったところか。
それに、聖剣の類い稀なる攻撃力は、おそらく聖剣と思われる相手の剣で相殺されるものの、それ以外の鎧の部分では、それなりのダメージを通すことも可能で、塵も積もれば何とやらで、今や亀裂やほころびどころか、所々パーツそのものが破損してしまい、生身がむき出しになっている箇所もあるほどであった。
そうなると、更に有効打が直接肉体に打ち込まれることになり、ダメージどころか打撲や裂傷が増え続けて、疲労の蓄積以外にも血液を失うことによって、今や生命エネルギーそのものがスタミナ切れし始めているようだった。
満身創痍という意味では、こちらも同じようなものであるが、若い分無理が利き、怪我や痛みを無視して闘い続けることができるが、年をとっている分どうしても、持続力や耐久力や回復力が格段に劣るであろう魔王のほうは、もはやまともな剣さばきもできなくなり、攻守共にぞんざいとなって、その結果更にこちらのクリティカルヒットを浴びることになるといった、悪循環となってしまっていて、しまいにはとうとう立っていることもできなくなり、玉座へと座り込み、ついに『敗北宣言』を告げたのであった。
「……魔王、貴殿の正々堂々たる戦いぶりに、心からの敬意を述べさせてもらおう。ところで、最後に一つだけ、お願いしたいことがあるのだが?」
「何だ、遠慮なく、言ってみろ。何せ、敗者には、拒否権なぞ無いからな」
ようやく玉座へとたどり着いた俺が、胸に手を当てて最大限に礼を尽くせば、すでにすべてを諦めているのか、魔王が思いの外穏やかな声で応じてくれた。
「実は、貴殿の顔を一目拝見させていただきたいので、その面頬付きの兜を取り外させてもらっても、構わないだろうか?」
その瞬間、目の前の男の雰囲気が、一変した。
「……そうか、我が剣で、気づいたか。正直、勧めはせんが、むしろここで『真実』を知ったほうが、心構えもできるというもの。──あいわかった、勝手に外してくれ」
──っ。
やはり、そうか。
こいつもかつては、この世界に召喚された日本人で、勇者として先代の魔王を退治させられながらも、異世界人に裏切られて、今や魔王に身をやつしているというわけか。
そのように自分の考えに確信を持ちつつ、丁寧な手つきでゆっくりと兜を取り外したところ、
「──なっ、そんな、馬鹿な⁉」
あまりのことに、目を丸くして硬直する俺に対して、さも愉快そうに喉を鳴らす、目の前の年老いた────────『俺』。
「くっくっくっ、自分の顔を見て、『馬鹿な』は無いだろう? 相変わらず、失礼なやつだな。──なあ、『俺』?」
そう、そこに現れたのは、これまで何度も何度も鏡の中で見てきた、この世で一番慣れ親しんだ顔であったのだ。




