第106話、魔王様の教育係が、実は『ヤンデレな女教師』だったとしたら?(前編)
「──どうした、もう打つ手は無くなったか、勇者殿?」
余裕綽々の笑顔で、嫌みったらしく言ってくる、すぐ目の前の二十歳絡みの、黒一色の装いに見上げるような長身を包み込んだ、禍々しくも艶麗なる男。
人間界最強のパーティのメンバーである、戦士やヒーラーたちを始めとして、勇者にして召喚士である私自身が召喚した、ドラゴンやワイバーン等の、もはや物言わぬ屍体の山を踏みつけにしながら。
「ふふん、いまだ年若い女でありながら、勇者に選ばれるほどの凄腕の召喚士とは、大したものよの。──しかし、残念だったな。生憎俺は歴代最強の魔王なのであり、この世界であろうが異世界であろうが、俺に敵う者なぞ、いやしないのだよ」
「──くっ!」
……もはや言い返す言葉も、無かった。
きゃつの言う通りに、どんな世界から伝説のモンスターや尊き聖獣を召喚しようが、苦し紛れに、我々ファンタジー世界の住人にはすっかりお馴染みの現代日本の自衛隊はおろか、あちらの世界で最強とも目されているアメリカ陸軍の機械化部隊を降臨させようが、まったく歯が立たなかったのである。
「ぬうっ、こうなれば最後の手段として、第二次世界大戦中のド○ツ軍を……」
「──それだけは、やめなさい!」
なぜか、必死に止める、魔王様であった。
……ちえっ、せっかく、楽しい楽しい、『末期戦』の始まりかと、思ったのにぃ。
「おまえ、勇者のくせに、意外と戦闘狂だな⁉ ──ええい、いいから早く、降伏しろ! それとも俺に、なぶり殺しの目に遭いたいのか⁉」
「──いいえ、まだよ! まだ私の魔力は、枯渇してないわ! 後一回分だけ、召喚する力が残っているんだから!」
「残っていて、どうする? ドラゴンも魔神も、この俺様には敵わなかったのだ。今更何を呼び出したところで、無駄だろうが?」
こちらが今にも最後の力を振り絞って、魔術を発動せんとしているのに、余裕の表情で言ってのける魔物の王。
──くそっ、こうなりゃ、やけだ!
「お願い、目の前の魔王に絶対勝てる者よ! 我が召喚に応じよ!」
広大なる魔王城の謁見の間に響き渡る、勇者の渾身の叫び声。
──その後に、あたかも惑星自体が静止したかのように、絶対的な静寂が訪れた。
「……いや、おまえ、いくら何でも、それは無いだろう?」
「──駄目っ、言わないで! だって、他には何も、思いつかなかったんだもの!」
「とはいえ、これでは完全に、『ぼくのかんがえた、さいきょうのしょうかんじゅう』そのまんまでは──」
「きゃあああああっ! 聞こえない、聞こえないもん! 私、魔王が何言っているのか、全然聞わからないもんねー!」
「あ、こいつ、耳を塞いで、うずくまりやがって、ずるいぞ⁉」
そんなふうに、魔王と勇者が、馬鹿なやりとりを行っていた、
──まさに、その刹那であった。
「……おひさぶりです、アドミラルお坊ちゃま」
突然聞こえてくる、いかにも陰鬱なる声音。
二人して振り向けば、大理石の床の上に私の魔法の力で描かれた、幾何学的な文様の魔方陣の真ん中に、メイド服をまとった小柄な女性がひっそりとたたずんでいた。
──ただし、猫背気味にうつむいているために、顔全体が長い前髪に隠されているので、表情が一切窺えず、おそらくは年若い女性と思われるものの、何だかやけに不気味に感じられたのだ。
そんな彼女を目にした途端、なぜだか最強の魔王の顔が、真っ青に染め上げられた。
「……おまえ、まさか、イカズチ、か?」
「そうです、あなた様のお世話係にして教育係──すなわち、当時の次期魔王専属『女教師』の、イカズチ=ヤン=コーレです」
ここで初めて、顔を魔王のほうへと振り上げる、自称『女教師』さん。
「──うっ」
あの傲岸不遜な魔王様が、思わずうめき声を上げるのも、無理は無かった。
改めてあらわになった、ボブカットの黒髪に縁取られた小顔は、二十歳未満のいまだ幼さが残った可憐なものであったが、目の下に黒々とした隈が縁取られ、瞳孔の開ききった瞳のままでニッコリと笑みを浮かべた、柘榴のごとき深紅の唇は、見る者に隠しきれない『狂気』を感じさせた。
そしてゆっくりと、『アドミラルお坊ちゃま』のほうへと歩き始める、メイド服に包まれた矮躯。
「ば、馬鹿な! おまえは確かに、死んだはずだぞ⁉」
「……ええ、他ならぬあなた様の手で、殺されましたからね」
「ひいいっ、よ、寄るな! こっちに、来ないでくれ!」
「うひひ、そんなあ、つれないお坊ちゃまですこと。あなた様に再びお会いするために、こうして地獄から舞い戻ってきたと言うのにい♡」
「──くそっ、食らえっ!」
堪らず風魔法でカマイタチを走らせて、メイド服の胸元を切り裂く魔王……だが、
「……効きません、効きませんよう。お坊ちゃま、お忘れですかあ? 私はお坊ちゃまの護衛も兼ねていたので、先代の魔王様であられたお父上によって生み出された、元々決まった形を持たない暗黒生物の『ショゴス』でございますゆえに、物理攻撃に対しては、無敵なのでございますよ?」
そう言って、純白だったエプロンドレスを鮮血に染めながら、ゆっくりと前進し続ける、宇宙的恐怖の奉仕種族。
……え、ショゴスでメイドさんて、いろいろとヤバいんじゃないの?
「た、確かに、殺したのは俺だったけど、おまえだって悪いんだぞ⁉ 保健体育の授業とか何とか言って、幼い俺に無理やり『実技指導』なんかしやがって! そのせいで、俺の魔導力が、暴走してしまったんじゃないか⁉」
「私は教育係として、先代様から、性の手ほどきを行うことも、許可されていましたので」
「いまだ六歳の子供相手に、やり過ぎだろうが⁉ しかも父上まで、殺したくせに!」
「先代様が、私をあなた様と、引き離そうとしたからですよ。私からあなた様を奪おうとする者は、何者であろうと、死、あるのみです!」
「だからって、自分の雇い主兼創造主を、殺すなよ⁉ どんだけ無敵なんだ、ショゴスって⁉」
「そんな私を、魔導力を暴走させたからとはいえ、一発で葬り去るとは、さすがは私の見込んだお坊ちゃまです! ……ああ、こんなに立派な魔王様になられて。これぞあの時、先代様を亡き者にした甲斐があったというもの!」
「おまえにとって、父上って、そういう扱いなの⁉ そのせいで、今まで俺が、どんなに苦労したと思うんだ! ──ええい、もはや堪忍袋の緒が切れた。魔王としての最大魔力で、塵一つ残さず葬り去ってやる!」
そう言って魔王が、己の右手に膨大なる魔力を、集め始めるや、
「──ああ、そうそう、再会のしるしに、こちらをどうぞ、お収めください」
唐突に差し出される、半球状のステンレス製の器に盛られた、スープ状の食べ物。
なぜかそれを一目見て、更に顔色を無くし、もはやすっかり顔面蒼白となる、魔王様。
「ま、まさか、それって⁉」
「──ええ、私が腕によりをかけて作りました、『給食』にてございます」




