冴島を見知らぬ男から遠ざける玉城八代
今日の俺の一日、ダイジェスト。
朝九時に起床。眠い目をこすりながら一限の授業へと向かう。五十分遅刻して教室到着。一番後ろの席に座る、黒板の字が見えないが構わない。
キャンパス内でサッカーしているバカな奴らにボールを当てられる。奴らは気持ち悪いくらい明るいテンションで謝ってきた。その瞬間に俺は午後の授業をサボることを決意する。いつも昼食はサークルの部室で食べているのだが、俺は外に飯を食いに行った。牛丼屋で牛丼じゃない丼物を食べた。駅前のマンガ喫茶で三時間過ごした。
そして駅のホームに立つ。後ろに同じ大学の俺とは面識ない女子ふたり並んでいる。そいつらのつまらない会話に、なぜか俺は耳を傾ける。
「こないだ男の子とデートしてきたんだ」「うん」「違う大学の子」「え?どこで知り合ったの?」「男友達の友達。居酒屋で飲んでて、その子が途中から来たの。その時は全然会話しなかったんだけど、後から、lineで」「直接誘ってきたの?」「違う。男友達が、なんか、あいつと今度デートしてみない? って」「ほう」「すげえ良い奴だけど彼女いないんだよ。だから一度デートだけでもしてあげてくれない? って」「へえ~周りの友達から親切にされてる子なんだね」「そう。そんな感じ。凄い良い人だったんだ~」「詳しく聞かせてよ!」「いいけど、長くなるよ?」「うん全然いいよ」
よくねえよ。手短に話せ。そもそも前置きからして長いんじゃい。俺はそんな話聞いてやらないからな。
と、ようやくホームに電車が滑り込んできた。俺は逃げ込むように電車に乗り込み、奥へ奥へと進む。他人の肩にぶつからないように身を縮こませる。程よい空間を見つけ、俺はその場所にポジショニングした。
「意外と会話続いた」「いいじゃん!」「ね!ほぼ初対面みたいなもんなのにさ、気まずい雰囲気とか全然なくて」
ポジショニング失敗してた。さっきの二人組が俺の隣に陣取っている。もうちょっと向こうに行って欲しかった。俺はこれ以上お前のノロケ話を聞くつもりはないんだぞ、と横目で女達を流し見た。
「まず猫カフェに行って、カフェ寄って、そんでカラオケで、最後にステーキ食べた」「え、なんか色んな店行ったんだね」
ふむふむ……俺はそのデートコースを検討してみる。拘束時間長くないか。デートなんかで丸一日潰れてしまうなんて、耐えられないな。そんな暇があったら……もっと他に情熱を傾けるような何かをしていた方が将来の為になる。時間の浪費だ。
それからしばらくデートの話が続けられた。心底くだらなかった。早送りだ、意識を遠くへ飛ばしてこの時間を早送りしよう。ペラペラペラペラ。ペラペラペラペラ。
四つ駅が進んだ。もうそろそろ終わりかな、と検討をつけて俺は意識を元に戻す。
「工学部に通ってて女子が全然いないんだって」「浮気の心配ないじゃん、いいなー」「次もデート行くこと決まってるからさ、また報告するね」
ふう、終わったぞ。
聞き役の方の女子が電車を降りる。ノロケていた方の女子は黙ってスマホを取り出した。LINE。例の工学部の彼氏候補くんに連絡でもするのかな、と薄目で窺いながら考えてみる。
デートなんてくだらないな。俺は絶対にデートなんかしたくない。時間はもっと有意義に使わなければいけない。
俺は次のような事を大学生活の中で大切にしている。出席を取らない授業には出ない。飲み会に参加し過ぎない。バイトよりインターンに行く。惰性で深夜アニメを観ない、三話までに視聴継続かどうかの判断を下す。
☆
昼休みの部室は狭い。サークルの部員は、どうしてか皆部室で食事したがる。男どもがあっちこっちでカップラーメンを食べていて、うるさい。そう文句を言いながら、実は俺もカップラーメンをすすっている。だって好きなんだもん。
今日の昼休み、ダイジェスト。俺が授業をサボってマンガ喫茶に入るところを同期の溝口に目撃されていたらしく、しつこくイジられた。「おい玉城、お前マンガ喫茶でサボってたん?」と。「うるさいなあ。てかそれを見てたってことはお前だって授業サボってたんじゃねえの」「ばかやろう。俺は大学に向かう途中だったんだ」「午後から大学来てんじゃねえよ!」「だってその日授業午後からだったもん!」ああ言えばこう言う。子供みたいな奴め。カチンときた俺はそいつに仕返しをしてやる。「お前こないだ一人でレンタルルーム入って行ったよな。30分1000円の安いレンタルルーム」「ぐぬぬ……なぜそれを?」「もうちょっとお金の使い道考えろよな」溝口は顔を耳まで真っ赤にして部室から飛び出した。しまった。絶対に暴露されたくないであろう秘密を、俺はサークルの仲間たちの前で……。ごめん。
その後、溝口の風俗通いについての目撃談が沢山の部員から上がった。皆、言いたくても言えなくて黙っていたらしい。部室内はより一層騒がしさを増す。ラーメンをすする音も相変わらずうるさい。
「それでさ~、千牧ちゃんそいつとデートしてきてよ」
聞きたくもない溝口の噂話が飛び交う中、俺の耳はとある言葉をキャッチした。距離、三メートル。部室の隅に備えてある丸椅子に座りながら話をしている女子がふたり。一人は俺の先輩の宮代手毬。もう一人は同期の冴島千牧。
「え~……どういう人なんですか?」
と冴島が宮代さんに訊く。なんだ、何の話をしているんだ。俺の脳みそは疑問でいっぱいだ。
「あんたのこと気になるって言ってる人」
「お、女の子?」
冴島は苦笑いをしている。きっと宮代さんにまた無理なお願いでもされているのだろう。それは日常茶飯事なのだが、さっき俺はデートというふざけた単語を聞き取ったぞ。一体今度はどんな頼みごとをしているんだ、あの困った先輩は。
「女の子じゃないよ。男子に決まってるじゃん」
☆
……俺は道すがらに発見した公衆トイレから外に出た。秋の夜の空気は冷たく澄んでいる。一歩一歩、体に負担をかけないように緩やかに歩を進める。あの後俺は部員たちと共に不毛な飲み会の席へと参加したのだった。嫌なことを忘れたくて、浴びるように酒を飲んだ。酒は苦手だけど無理をして飲みまくった。普段とは違う俺の豪快な飲みっぷりに、サークルの部員たちは湧いた。そんな俺の哀れな姿を、宮代さんは遠くから眺めて憫笑していた。
「宮代さんのせいなのに。宮代さんが冴島に変なこと頼むからいけないんだ」
酒を飲むと俺は身体中の筋肉が痛くなってしまう。アルコール筋症という体質らしい。それを知っている冴島は心配そうに俺を見ていた。一年半前の新歓の帰り道、あの夜と同じ瞳をしていた。いいや、それは気のせいかもしてない。冴島は俺の知らない誰かとデートに行くんだ。
「冴島とデートするとかいうその男、マジでどうにかして呪殺できないかな」
物騒な独り言を呟きながら、俺は千鳥足で自宅に向かう。家に帰っても何もない。一人暮らしワンルームマンションには、広さはあるが、温もりは無い。薄い布団と机と椅子とパソコンだけが置かれた無機質な自室。このまま家に帰るのは寂しい気がして、俺は立ち止まった。
景色がめまぐるしく回転している。やはり飲み過ぎたようだ。
「デートか……」
電車での、あの女子たちのノロケ話を思い出した。猫カフェからのカフェからのカラオケからのステーキ。
「カフェが被ってるじゃねえか。どれだけカフェ好きなんだよ女子」
冴島もカフェが好きなのかな……。そもそも猫カフェってカフェなの? どんなところなの?
「……カラオケかあ。ステーキかあ。……良いなあ」
デート。冴島とデート。行きたい。
「冴島とデートに行きたい」
意識の最後の糸が切れた。冷たくて固い地面が頬に当たっている。俺は路上に倒れ伏していた。もうこれ以上歩ける気がしない。いいさ、このまま眠ってしまおう。永遠に。
☆
夢、夢を見ている。昼休みの部室だ。夢の中で記憶が再上映されている。冴島と宮代さんが何かを喋っている。冴島は困ったように眉を寄せている。
「明日は空いてるでしょ」
「ちょっと勝手にスケジュール帳見ないでくださいよぉ!」
「じゃあ明日の十三時に御茶ノ水の駅前ね。御茶ノ水橋口ね」
「もう先輩、私知らない男の人とデートなんて……」
「あいつには赤いダッフルコート着せて行くから。千牧ちゃんは白のダッフル着てきて」
宮代さんは強引に話を取り付けた。あの押しの強さには冴島じゃあ太刀打ちできない。冴島はおそらく、嫌がりながらも明日の十三時に御茶ノ水に行くのだろう。
救ってやりたいと思った。冴島を宮代さんの魔の手から。どこぞの馬の骨とも知れない男の毒牙から。
俺が、この手で!
目が覚めた。知らない天井だ……じゃなくて、見慣れた秋の青空が目の前に広がっていた。凍傷になりそうなくらい体が冷え冷えだ。
やることは、決まっている。俺は財布を開き、軍資金を確認。今まで節約してきてよかったと、本当に、心からそう思った。親の仕送りと自分の堅実さに感謝した。
時刻は午前十時。一番空気が美味しい時間帯だ。
さてと、まずは買いに行くか。赤のダッフルコートを!
短めで終わる予定です。
ここまで読んでくれてありがとう。(*^^)v