You Really Got Me
九月にコウの水球部の大会が終わって、初めて彼の家に遊びに行った。
コウの部屋には私の描いたライブのポスターが貼られていて、焦げ茶の木の床にモスグリーンの布張りの古い木枠の大きい肘掛け椅子と、対の緑の足乗せがあって素敵。
「爺さんが昔使ってたやつをもらった、座って」
肘掛け椅子は大きいので私は足乗せに腰掛けた。
部屋にはハードロックのCDやカセットテープや昔のロックのLPが沢山あり、エレキギターとアコースティックギター、ギターアンプなんかがあった。
コウはVan HalenのLPを掛けてくれた。
『You Really Got Me』が流れると「これ今度ライブで唄うよ。ミキに聴いてほしいから」
「嬉しいけど、照れるよ」
コウに唄われたら真っ直ぐ見つめて聴けないかも。
でもわざと「MCで聴いて、って言ってくれる」と言ったら、
「言えないよ」と少し困った顔でコウが私の髪を撫でた。
「ミキ、騎士道って知ってる」
「ううん」
コウは私の手を取って部屋の床に膝まづくと、手の甲に唇をあてた。
「どんな時も俺がミキを守る」
大好きな低い静かな声で、そう厳かに言った。
少し苦しいくらい胸の鼓動が響いて、私は無意識に右手を胸に当てていた。
Darwinの次の対バン会場は、繁華街の中心にある床がチェッカー柄のおしゃれなライブハウス。
今回も私は受け付けに入った。
今日はライブの後ここで打ち上げするので、応援してるバンドの演奏が済んでも残っている人が多いし盛り上がっていた。
「ミキ久し振り。これありがとう」
出待ちの新ちゃんが、私の差し入れたチョコレートドーナツを食べながら現れた。
「久し振り新ちゃん。食べたらちゃんと手拭かないとスティック吹っ飛ぶよ」
「いいなそれ。ガンガン飛ばすか」
新ちゃんは目を細めて飄々と笑い、そして言った。
「ミキ、コウと付き合ってんの」
「そういうことになった」
コウと新ちゃんのいきさつは胸にしまって答えた。
「そうか、あいつ今日マジ気合い入ってる。リハの時鬼だった」
そう言った新ちゃんもいつも通りだった。
話してたらまたお客さんが入って来た。
金髪ロングヘアの綺麗な女の子。
ショッキングピンクのTシャツにデニムのミニスカートを履いて、素足に赤いハイヒール。
「チケットありますか」と声を掛けると「当日で」と細い小声で言われた。
小柄で色白な子。
付けまつ毛が似合ってお人形ぽい可愛さに真紅のネイルが大人っぽい。
対バンの誰かの彼女かなと思っていたら「あ、加賀さんだー」と新ちゃんを見た彼女が急に大きな瞳を見開いて言った。
「え、アヤカ」
「久し振りでーす、アヤカだよ。加賀さん変わんないですね」
「お前金髪だから分かんなかった、ていうかケバいな」
「そうかな、まわり結構こんなだし。むしろアヤカなんて地味だよ」
「地味じゃねえよ。どこの応援、俺らの」
「そうでーす。レコード屋さんでポスター偶然見て、コウ達の名前出てたから初めて来た。Darwinてバンドかぁって」
それは最近私が描いたライブのポスターでメンバー名も入ってるやつだ。
「偶然、マジか。俺らこれからだから聴いてってよ」
新ちゃんはそう声をかけて楽屋に戻り、金髪の彼女は笑顔でうなづくと観客を縫って客席の奥に向かった。
コウは約束通り、演奏のラストで『You Really Got Me』を唄ってくれた。
緊張感のあるカズ君のギターソロからテンポのいいイントロが始まると、会場は一気に盛り上がってお客さんは前列に詰めかける。
そして凄い歓声を挙げて一緒に歌ったりヘッドバンギングした。
私もチエちゃんと一緒に受付から出て乗りながら聴いていた。
コウはステージを歩きながら唄い、誘うように手振りして下に詰めかけている子達に歌いかけ煽っていく。
そしてステージから私の姿を捉えているのが分かった。
ライトの光と熱を浴びたコウの顔から首筋を汗が伝い、綺麗ですごく惹きつけられて目が離せない。
「カズ渾身のソロからコウが凄く煽ってくるね。何か奴、セクシーじゃないの」とチエちゃんが言った。
私は一層ドキドキして「うん」というのがやっとだった。
チエちゃんは耳に口を寄せてきて「ミキはコウとさあ、もうキスとかしたの」と言った。
「え、してないよー」
手の甲にはキスされた。
でもそれはすごく大事な秘密で誰にも話していない。
「うっそ、そうなんだ」
付き合って二ヶ月くらいだけど、学校は別だしコウは水球の大会やバンドの練習があ流。
二人ではまだ数回会えただけ。
「今日は先輩に挨拶したら抜けて、一緒に飯食べよう」とコウが言ってくれてた。
そうチエちゃんに言うと「ふーん、何だかあやしいね」とニヤニヤした。
演奏が終わって、Tシャツを着替えたコウがそばに来た。
「良かったすごく、ありがとうコウ」
「俺、ミキ見えてたよ」
「うん、私もわかった」
チエちゃんが来てコウに肘打ちした。
「コウ良かったよー、今日はセクシーに感じた。思わずミキと何かあったのってきいたよ」
とコウにも追及の手が伸びたけど「あ、何もねーよ。そうか、チエありがとな」
コウは言って二人で店を出ようとした。
その時「コウ」と細い声が呼び止めた。
さっきの金髪の子アヤカさんが立ってる。
コウは一瞬誰という顔をしたけどすぐ気づいた様子で、少しの間絶句していた。
「アヤカだよ、久し振りだね」
「誰って思った。アヤカ髪すげーな」
「新ちゃんにも言われた。ユッケも一緒にバンド組んだんだね。すごくカッコよかったよー。歌良かった」
「ユッケにも会ったの」
「さっき話したよ。コウとユッケ何か鍛えたのかと思ったら、水球やってたんだって」
「うん、もう辞めたけどな」
「コウは引っ越したりしてないの」
「ああ、うん」
アヤカさんはコウと私を見比べて「コウの彼女さん」と訊いた。
「そう、ミキ」
コウが言ったけどその表情がちょっと硬い気がした。
「初めまして、ミキです」と私は自己紹介した。
アヤカさんは大きな瞳で私をちょっと見つめると「元カノのアヤカでーす、なんちゃって。また聴きに来るね」と可愛らしくニッコリして言って、ヒールを鳴らして出て行った。
「あれ、ミキにケンカ売っていったよね」とチエちゃん。
いつの間にか来たユッケがコウに目線を向けた後、私に「あいつ別に元カノじゃねえよ」と言った。
コウは黙っていたけど間もなく「行こうか」と言うと私と一緒に店を出た。
コウと私は繁華街を抜けてコウが告白してくれた大通公園に向かって歩きながら話した。
「ご飯の前にちゃんとミキに話したいんだ」
「うん」と私はうなづいた。
少し前まで二人の想いが繋がったと確信して夢みたいな感じだった。
けれど、今はちょっとモヤモヤした空気が流れている。
「ミキ、俺を信じてくれる」
「信じるよ」そう答えた。
「何であんなこと言ったのかわかんないけど、俺アヤカと付き合ってたことないから」
コウが私の気持ちを思ってくれてるって伝わる。
「私、アヤカさんと会ったのは今日が初めてだし、コウのことだってまだ知らないことばっかりだよね」
「アヤカとはユッケみたいに幼馴染みで家も近くて遊んでた。けど、中二の途中であいつん家は引っ越した。
それで今日久しぶりに会ったんだ」
「わかったよコウ、私を心配してくれてるの」
「うーん、ミキに嫌な思いさせたかなって」
「ごめん、ちょっとモヤモヤしちゃった。でもそうやって私のこと考えてくれてるのがわかったからいいの」
そう言うとコウは黙って優しい目で私を見た。
公園まで来ると噴水広場のベンチに並んで座った。
「もう一つ、アヤカ引っ越してく直前に精神的に不安定になってたことがあって、今はどうなのかなって気になってた」
「そうだったの」
「うん。学校で一度急に発作みたくギャーって暴れて、俺は隣の席だったんだけど手にシャーペンぶっ刺された」
これ、と言ってコウは左手の甲の黒い点になってる傷跡を見せた。
そんなことがあったんだ。
あの可愛いアヤカさんからは全く想像できなかった。
「痛かったよね、彼女どうしてそんなになったんだろうね」
私はその傷跡に指で触った。
「うん」コウはうなづいたけど黙っていた。
一言で言えないような何かを感じたけど、でもコウは今伝えられることを私にちゃんと伝えてくれた気がする。
だから今はいい、このままでいい。
心のモヤモヤはもう消えていた。
「大丈夫。私コウを信じてる、コウの気持ち確かに受け取ったよ」
「本当に、ミキ」
「私、コウと付き合って短いけど、今見てるコウが全てと思ってる。それと私もコウに伝えたいことがあるの」
今のコウをちゃんと見つめて伝えたい。
「聞かせて」と言うとコウは手をつないできた。
そうして彼と瞳を見合わせると頬が熱く感じる。
「コウの歌でコウの気持ちがすごく伝わった。聴いてる時、コウと気持ちが繋がってると思ったよ」
そして私は唄うコウの姿に吸い込まれそうにクラクラするくらい夢中になってた。
「俺も今日、ミキに伝わったって思えたよ」
「ねえ今も気持ちが繋がってるって思ってていい」
「いい、なんて困るよ。いつだって、俺もそう思ってるよ」
そして二人でまた笑い合えて、私たちは歩き出した。
途中、押しボタン式信号機ができて今はあまり使われてない歩道橋があって「歩道橋渡ろう」とコウが言った。
上までくると立ち止まり、コウは私と向かい合うと優しくそっと私の頬を撫でた。
「ミキ」
そして伏し目がちに少しかがむと私の顎に手をかけて唇にキスをした。
「ミキが好き、大好きだ」
薄暗がりだけどコウの瞳が街の明かりを写して私を見つめている。
私もコウを見つめた。
今日唄ってるコウを見た時から、私もきっとこうしたかったんだと思う。
触れ合ったばかりのコウの唇を意識して、その温度や感触や全てを忘れたくなくて心の中で確かめてしまう。
「私も、コウが大好き」
コウは笑顔になると私の髪を撫でてもう一度キスで応えてくれた。
二本の糸を縒りあわせるように気持ちが繋がって、今日聴いたコウの歌声が心の中で蘇る。
You Really Got Me そう、お互い胸いっぱいに。