コウ
1983年五月、アマチュアロックの対バンライブで初めてコウたちの演奏を聴いた。
Darwinというハードロックのコピーバンドでパワーがあってすごくワクワクして夢中になった。
ボーカルのコウって男の子の声が印象的だし、顔立ちが綺麗でスタイルも良くてカッコいい。
それが秋本洸との出会いだった。
ギターとボーカルのコウと幼馴染みでベースの伊東祐介、ユッケは高一。
ドラムの加賀新一、新ちゃんは私と同学年で彼らと同じ男子校の二年生。
ギターのカズ君、酒井一哉はコウ達とは違う高校の二年生。
みんなの雰囲気も良くて仲良くなり、私はDarwinのライブを手伝うようになった。
カズ君と意気投合した女子高二年生のマネージャー的なチエちゃんや、カズ君の高校の卒業生でもある社会人女子のカズネ先輩が中心になってDarwinを応援している。
7月の夏休みに対バンライブを手伝いに行くとコウが受付に来た。
今日は黒革のリストバンドの他にチェーンも着けて黒いアイラインとシャドウも入れてるのがハードで妖しい感じでとても綺麗。
「コウ、メイク似合ってるよ。今日は何演るの」
「四人でJudas Priestとか演る。これはチエに手伝ってもらって気合い入れた」とコウは妖艶な顔でいつも通り笑って私のそばに来ると急にキュッと口を結んで眉を寄せた。
「ミキ、ちょっといい」
「何」
「こっち来て」と、受付の奥に腕を取られていくとコウは耳元で小さく「ごめん、胸が見えてる」と言って目をそらせた。
私は今日のライブ用にみんなで揃えたTシャツを着ていたけど、ちょっとサイズが大きくて胸元が背の高いコウに見えちゃったんだ。急に緊張してとても恥ずかしくなった。
「あ、私こそごめん、変なもん見せて。屈まないように気をつけるよ」でも、知らせてくれる方が勇気いるよね。
「あの、ありがとう。おしえてくれて」と言ったけどなんか顔が熱い気がする。
コウはちらっと目線を合わせて微笑むと「気をつけてね、出番終わったら俺も受付手伝いに来る」と言って離れた。
今日はハードロックやメタルのコピーやオリジナル曲を演る五バンドの対バンで、昼の営業時間外のライブハウスを借りたライブだった。
メンバーや友達が力を合わせて準備して先輩格のバンドの人達も顔を出してくれたり、ゲストに入ってくれて盛り上がった。
今日のDarwinはコウと一緒にユッケも結構唄って、ツインリードでコウはカズ君と掛け合いのギターもかなりこなした。
チエちゃんが「アレンジ変えて四人でよく演るね、いつもただのコピーで終わらせないもんね」と感心していた。
チエちゃんはハードロックに詳しくてコウたちの努力がよく分かる。
私はまだまだだしもっと色々聴きたいなあといつも思う。
出番の後素顔に戻ったコウが首に白いタオルを掛けて受付に来た。
「メイク落としたの」
「ああ、姉ちゃんのメイク落とし借りてきた」
コウは四歳年上の社会人のお姉さんが居て仲が良いらしい。
「これ俺使ってないやつだから」と首に掛けてたタオルを私の首に掛けてくれた。
「ありがとう」
あれから気にしていたTシャツの胸元がうまく隠れた。
「あ、コウ君じゃん。Darwin良かったよ」
コウに気づいたお客さんが彼に話しかけてきたので彼はしばらく受付にいて先輩バンドの人に挨拶したり案内もしてくれた。
「良ければミキ打ち上げにおいでよ、俺迎えにくるから」
「いいの、そういうの初めてだけど」
「うん来てよ、じゃ後でね」とコウは笑って手を挙げると戻っていった。
コウとはたくさん話したことないから打ち上げで話せるといいな、と思いながら私はイベントのTシャツから私服の半袖のシャツに着替えた。
迎えにきたコウは小声で「着替えて安心した、行こう」と言った。
打ち上げの店には新ちゃんが先に来ていて「ミキ、ここおいでよ」と隣の座布団をトントンとたたいた。
「お邪魔します」私は新ちゃんの隣に座り、コウは私の反対隣に座って私は二人に挟まれた。
ライブ中に「新ちゃーん」とコールされると人懐っこく笑ってスティックをクルクル回してみせる新ちゃんは、初対面の時から飄々と冗談を言ってきて話しやすいし一緒にいて楽しい。
「ミキってなんかいいよなぁ。いっつもニコニコしてて、なあコウ」と新ちゃんが私越しにコウに言う。
「そうっすね」とコウ。
「ライブ楽しいしみんなの雰囲気もいいから、にやけてるんだよ」
「いや、でも笑顔が可愛いよ」と新ちゃんは言うと急に立ち上がり「俺、ションベン」と席を離れた。
「小学生か」とコウは新ちゃんの背中に叫んで、私も笑うしかなかった。
やがてライブに参加していたみんなが集合して盛り上がり、場は賑やかになってコウやユッケや他のバンドの子達とも話ができて楽しい。
高校生、大学生、社会人と年も様々だからタバコを吸ったりビールやサワーを飲んでる子もいる。
そのうち別の席で腕相撲大会が始まりコウ達も加わった。
新ちゃんがほわっとした笑顔を見せながら隣に戻って来た。
「俺いい感じに眠くなってきた」
「新ちゃん目がほっそーくなってる」
「飲まされたポーションが効いたなあ。あのミキ、もっかい新ちゃんて呼んでくれ。あ」
「なに新ちゃん」
「悪い、なんか屁出そう」
「なんで今ー、でもいいよ。どうぞ」
今日の新ちゃんは下ネタばっかりで本当にしょうがない。
「じゃ、お言葉に甘えて」
新ちゃんはちょっと体の向きを変えて離れ、また笑顔を見せた。
やや太眉で少し垂れ目で歯並びが綺麗な彼は黙っていたらお兄さんぽいけど、こうして話すと甘えん坊の子供みたい。
「ごめんね。やっぱりミキいいなぁ、何しても怒られなさそう」
「いや何しても、はないと思うよ」
「うーん、でもギャーって怒ったりとか泣いたりとかしたことないでしょ」
「うん、そういうのはないね」
「でしょ。俺、平和が好きなの。俺もうここで寝るわ、ミキの隣」
新ちゃんは空いている座布団を折って枕にした。
その時コウが戻ってきて「おい新ちゃん、ここで寝るな」と揺り起こして座布団を奪った。
でも新ちゃんはなおも猫のように板間で丸くなって寝ようとした。
「新ちゃん寝たらマジ起きないし、寝起きすっごく悪いんだ」とコウが本気で起こすので私も新ちゃんを起こしにかかった。
周りは騒がしくみんなお喋りに夢中だし、ユッケは他のバンドの子と次々腕相撲を始めて勝っては雄叫びをあげている。
「ユッケとカズは大丈夫だけど、俺新ちゃん担いで地下鉄に乗せる。ミキ悪いけど送るから出ようか」
「いいよ、手伝うね」
そして三人で打ち上げを抜けると地下鉄の駅に向かった。
コウは本当に新ちゃんを抱えるようにして歩き、なんとか起きている状態で電車に押し込んだ。
「悪い、夏休みだからみんなぶっ壊れちゃった。ミキも送るね」
「私ならこの路線で反対側だから大丈夫だよ」
「俺がそうしたいから、遅くなってごめんね」とコウは俯いて言うとやがて来た電車に二人で乗り、席に並んで腰掛けた。
「コウがよく着けてるリストバンドかっこいいね」
「着けてみる」とコウは黒いリストバンドを貸してくれた。スタッズが多いせいか結構重い。
「好きなデザインに作ってもらうこともできるよ。作ってるとこ見たことある」
「ないけど見てみたい」
「俺ベルト見たいから、今度一緒に行かない」
「行ってみたいな」
「じゃあ予定決めよう、電話するから番号教えて」とコウが言った。
「あ、書くもの持ってないよ」
「大丈夫、覚えるよ、忘れないから」とコウは褐色の瞳で私を見た。
すぐ近くで見るコウってまつ毛が長い。
走る電車の騒音の中、コウの耳のそばで番号を伝えると彼は集中した顔で聴いて
「オッケー覚えた」と私に笑顔を向けた。何だか可愛い顔で。