プロローグ
1984年六月。
今日の札幌は穏やかに晴れて、開けられた窓から近くに山の緑が見える。
夏の日差しはゆっくりと傾いて少しずつの緑の色が深くなって行く。
コウの部屋で今、私はコウと音楽を聴いてる。
お気に入りの古い大きな緑の肘掛け椅子に腰掛けたコウは私を後ろから抱いてて、スピーカーからはBlack SabbathのライブLPが流れてる。
曲の力がすごく強くて独特の世界に堕ちていくように、普段は閉じてる感覚の扉を次々に開けられていく気がする。
筋肉質の長い腕に優しく抱かれた私の肩から背中にコウの体温を感じて、項に押し当てられた柔らかい唇と吐息が一緒に耳をくすぐる。
「俺だけのものにしてたい、ミキが大事、離したくない」コウが囁く。
「離さないでコウ、好き」
私の彼、秋本洸は高二で私より一つ年下でハードロックバンドDarwinのボーカル。
けど普段は低く通る声で静かに話す。
コウの歌声も、話す時の声も私はどっちもすごく好き。
ゆるいクセ毛で少し隠れたコウの眉はすっと上がっていて褐色の切れ長の目、綺麗でダークな感じの魅力はいつか鉱石の図鑑で見たトパーズを思わせる。
彫刻のような顎から首筋の輪郭をそっと指で辿ると、くすぐったがって指先をキュッと掴まれた。
去年の八月から私たちは付き合ってるけど、外で友達といる時はベタベタしない暗黙の了解がある。
コウも私もそういうのは照れるから。
でも今は二人きりで誰にも秘密の時間が流れてる。
私をとても大切に思ってくれて決して無理なことはしないコウだけど、今はエスカレートするコウの気持ちが伝わる。
キスの途中そっと薄目を開けて、コウの睫毛と少し辛そうに寄せられた眉を垣間見ると逆らえない気持ちに気づく。私、独り占めしたい。コウの全てを。
今この時も二人で守っている危うい平衡を壊しちゃいけないと思いながら、私はこの気持ちにいつか追いつかれて捕まってしまうのが怖い。
だんだんと訪れる部屋の夕暮れの中に私の白いサマーセーターが浮き上がって見える。
「コウ、もう帰らなきゃ」そうできるだけ明るく言って、逆らえない気持ちを振りほどく。
「ん、送るね」
コウは私の項に少し顔を埋めて唇でたどり小さく息をついた。
二人の時間は飛び去って、次に会えるのはDarwinのライブの日。
この春から新メンバーに変わったDarwinのオリジナル曲でのライブが一週間後に迫っていた。