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7 まるでファンタジーみたいな

 喉の傷が、映像の逆再生のようにみるみるうちにひとりでに修復されていく。まるでファンタジーものとかの映画みたいな光景。


「いまいち記憶が曖昧だが……状況を見るに、いきなり喉をかきむしったみたいだね」

「館長妙に死にやすいんだから気を付けてください」

「不死身だから大丈夫。魔導書、血で汚れてない?」

「大丈夫のようです」

「それは重畳。私の死に方がよかったんだね」


 館長は安堵したように言った。日常会話のような軽いノリ。館長はジップさんと同じように、自分よりも魔導書のことを心配していた。


「つまりそういうことなんだ、ハイドレンジアさん」


 いきなりジップさんに言われて、


「まるで異次元に迷い込んだような錯覚を覚えますよ! なんなんですこれ?」


 私は慌てて返した。せめて説明をしてほしかった。


 館長はあはははとごまかすように笑った。


「驚かせてすまないね、クロユリさん。私は館長の杏璃あんり・ヘミティッジ。死なないのは、そういう人種だからだよ」

「そういう人種って、そんなのいるんですか!?」

「たぶん。ほら、都市伝説にある不定形種アルパだって切ったり殴ったりは効かないっていうし」


 不定形種アルパ……スライム状の自分の形を持たない人間なんてUMA特集のテレビ番組かオカルト雑誌くらいにしか出てこないんですけど。


「それとはまた違った感じに見えますが」

「まあ気にしないで」


 気になる。


「あとこのことは誰にも言わないでね。なかなか珍しい人種みたいだから」

「それは善処しますけど」

「共和国と自治州の偉い人たちは私の秘密を知っているから、もし他に漏らしたらちょっと面倒なことになるよ。もみ消しや隠蔽とかで」


 怖い怖い怖い!

 そんなことそっけなくポロっと暴露しないでほしい。


「改めて……ようこそ、ナイアガ自治州立魔導図書館へ。クロユリ・ハイドレンジアさん」


 血まみれの服と両手で、館長は恭しく挨拶をした。


「『図書館は成長する有機体である』(※)という言葉がある。きみも図書館を構成する一員として、図書館の運営を回していく一人として、図書館を成長させる細胞の一つとして、これから貢献してくれると嬉しい」


 私は、こんなところに就職してしまってよかったのだろうか。

 やっていけるのか。

 一抹の不安がよぎる。


 また・・死んでいた、と館長は言っていた。

 それはつまり、今回が最初ではなく、今までにも魔導書がらみで何度か死んだことがあることを意味している。そしてたぶんそのたびに生き返っている。


 魔導書の扱いについてはある程度覚悟はしていた。していたけれど、こんなの、殺伐としているにもほどがある。あれか、私に死ねと言ってるのか。ブラックか、この仕事。真っ黒すぎるわ。


「それで、クロユリさん」

「は、はい!」


 館長に呼ばれ、もんもんとする思考を一旦止めて、返事をする。


「きみにこれ、まかせるから」

「これ?」

「うん、魔導書庫これ

「これって……これ!?」


 この魔導書庫を任せる、と彼女は今、そう言ったのだろうか。

 図書館のことをよくわかっていそうな館長でさえよく発狂して死ぬような場所を!?


「基本は書庫内の整備・管理と、寄贈や購入とかで入ってくる新しい魔導書の受け入れね。詳しくは前任者からの引継ぎで」

「…………」


 私は気おくれして後ずさりした。

 その拍子に館長の血を踏んでしまって、


「うわあっ」


 滑り、つまずいて転びそうになるのをどうにかこらえた。


「あ、私の血で滑りやすくなってるから注意ね」


 雨で床が滑りやすくなっておりますので転ばないようにご注意ください、と書かれたような貼り紙と同じような軽い感じで、館長が忠告する。


 ――ここは、そういう場所! そういう場所なのだ。

 そう納得するしかない。

 でなければ、どうして大量の他人の血に足を取られてズッコケるなんてことになるんだ。


 ここしか司書としての就職先がなかったのだ。こんなところで、初日に心が折れるなんて情けないことには、なりたくない。

 だがしかし、これだけは言っておかねばならない!


「私は……」

「?」

「私は、不死身じゃありませんが!」

「知ってるよ。がんばってね」


 館長は笑顔でうなずいた。じつに迷いのない爽やかな笑顔だった。

 スーツの胸元に張り付くように染み込んでいる大量の血が、冗談交じりの口調に妙に重みを持たせていた。

 館長の首の傷は、すでに塞がっていた。


「…………」


 まっすぐ「がんばります」とは言えずに、私は口を閉じた。


 いや、無論それが仕事というならやりますけど、それでも無茶振りすぎやしませんかね。

 いちおう司書の資格を持っているとはいえ、働いたこともない素人なんですが。

 給料上げてください。

 頭に浮かんだ様々な文句を片っ端からのべつまくなし並べ立てようとしたが、泣きそうなので黙っていた。

 給料上げてください。


「これから辞令交付があるから事務室まで戻ろうか」

「はい……」

「任命式みたいなものだ。私がいろいろ言うから話を聞いていればいいよ。そのあとにクロユリさんにはみんなの前で挨拶してもらうから、なんか言葉考えておいてね」

「はい……」

「ああそうだ、あとで血、拭いといてね」

「は、はい……」




 辞令交付は、予定よりだいぶ遅れて始まった。館長が血の付いた服を着替えたりしていたらお昼前くらいになってしまったのだ。

 従業員一人一人に役職や給料が書かれた辞令書とかいうのを館長から手渡され、それが終わると館長が一言挨拶をし……と辞令交付は滞りなく行われた。

 私もその従業員の一人として、みなさんと同じように辞令書をもらう。

 試用期間による給料の低下はない。

 初めからほかの嘱託職員と同等に扱われているような気がして、個人的にはかなり気が引ける。

 すいません、即戦力じゃないんです、私。

 でももうちょっと給料ほしい。


「今日からこの図書館に勤務することになったクロユリ・ハイドレンジアさんだ」


 辞令交付が終わると、杏璃・ヘミティッジ館長から従業員の皆さんに私が紹介された。


 私の前には、嘱託職員の人たちやパートで働いている人たちが並んでいる。

 こうして見ると、正規職員以外はほとんど女性である。若い人から年配の人まで年齢層は様々だ。


「え、ええと、今日からお世話になります。この春短大を卒業して、仕事につくのはこれが初めてなので、さ、最初はご迷惑をおかけするかもしれませんが、がんばって覚えていくので、よ、よろしくお願いします!」


 私はすこぶる緊張に弱い。

 たどたどしくあいさつをして頭を下げると、皆さんから拍手をもらった。


「クロユリさんには魔導書の担当になってもらう。開館まで二週間を切ったけど、それまでにいろいろ教えてあげてほしい」


 館長から補足説明。


 瞬間、みなさんは顔色を悪くしてザワザワとしだした。


 魔導書の担当、と聞いた途端である。


 ジップさんも目を剥き何か言いたげに館長を見ている。さっきのは冗談じゃなかったのかって言いたげな視線だ。

 何年も務めていそうなパートのおねえさまたちが切なそうな顔をして、こちらをちらちら見ながら声を潜めて話しだした。「こんな若い子が?」「館長の人選おかしくない?」みたいな声がかろうじて耳に入ってくる。


 やがてこちらを向いて、


「……がんばってね!」

「悩みがあるなら相談してね、こんなおばさんでよければ」

「本当にダメだと思ったら、すぐ言うんだよ」

「一人で抱え込まないでね」


 口々に温かい声援をもらった。


 ……って、ちょっと待ってくださいよ。

 にわかに同情されるくらいひどい仕事なの?

 嫌われるよりはいいかもしれないけど、ものすごく心配そうな目で見られているんですが。


「これは決定事項だよ。というわけで今日も一日よろしくお願いします」


 ざわざわしだした空気を館長は無理やりの締めの言葉で切って捨てた。


「……私これからいろいろやることあるから、クロユリさん血の拭き掃除よろしく頼んだよ」

「へ、へい……」


 念を押すように館長に言われて、私は変な上ずった声でうなずいた。


 辞令交付後、書庫で館長の血を掃除していると、一日が終わった。

※“ランガナータンの五原則”より一部抜粋。


・ランガナータンの五原則

「1:本は利用するためのものである

2:本はすべての人のためにある。または、すべての人に本が提供されなくてはならない

3:すべての本をその読者に

4:読者の時間を節約せよ

5:図書館は成長する有機体である」

ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%8A%E3%82%BF%E3%83%B3)より


インド図書館学の父とも呼ばれるランガナータンが提唱した図書館学五原則。

引用したのは五原則のなかの五番目「Library is a growing organism(図書館は成長する有機体である)」から。

本編は異世界設定ですが、リスペクトとして言葉だけは存在しているということで。

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