5 魔導書庫は雰囲気からしておかしかった(※見取り図)
私は答えられない。
あなた、死ぬかもしれないよ?
職場でいきなりそんな意味の口上を切られたら、誰だって言葉を失うに決まっている。
「……えっと、死ぬって?」
「うん、そのまんまの意味なんだけど」
「…………」
死ぬの? 図書館で働いてると死ぬの?
「うちが魔導書を多数取り扱っていることは知っているだろ? 強力な魔導書が人を狂わせることは?」
「ええ、それはもう理解しております」
強力すぎる魔導書は、読み込むほど精神に何かしら異常を来すと言われている。魔導書の狂気汚染、といわれているものだ。
精神科にお世話になる程度ならまだ軽い方だ。
なげかわしいことに毎年一定数の物好きが、強力な魔導書を読んで廃人になったり狂い死んでいる。
なにはともあれ、私は答える。
「魔導書の危険性は重々承知しています」
「取り扱うからには、本人だって狂死するかもしれない。それに貴重な魔導書を狙って強盗が押し入るかもしれないし、もしかしたらそれに遭遇して口封じに殺されるかもしれない。もちろんうちはセキュリティも万全だ。警備員も常駐している。業務だって無理なことはさせない。けど万が一ってこともある」
「ああ、なるほど」
私は納得し、安堵した。
もしも。
万が一。
そういう話だ。
もともと魔導書のリスクは考えていた。考えたうえで、魔導図書館で働くことを決めたのだ。
「大丈夫です」
とんだブラックな職場に就職したと絶望しかけたけれど、それなら全然問題ない。
「いいんだな?」
「……はい」
やけに執拗に訊いてくるな。
「それはよかった。まあ辞めたかったらいつでも辞められるからな」
言われて、少しカチンと来る。そんなに根性ないように見えているのだろうか。
「大丈夫です。根気だけはあるもので」
「いや、すまない。ここだけは、念には念を入れて確認したかったんだ」
「いえ……」
「まあ、ハイドレンジアさんなら大丈夫そうだな。期待してる」
言って、ジップさんは微笑した。
「はいっ」
私は頷きながら、つられて笑顔になる。
ここならきっとやっていける。
みんな優しそうだし、新しい建物だし、雰囲気もいい。給料は安いけれど、いい職場に就職できた。
「着いたぞ」
奥まった場所を進んでたどり着いたのは、物々しい木製の扉。
「木製なんですね……」
ガラス戸でもスチール製でもない。木。
力自慢が叩けば容易に破れそうな、古い年季の入った木の扉だった。
ここだけなんだか時代が違うような気がしなくもない。
それに少し薄暗いし、空調が効いていないのか肌寒い。
一気に嫌な予感がしてくるのは気のせいか。
この身震いは、寒いからだろうか、それとも……。
「うちは改装工事と新しいシステムの導入で、少しの間閉館しているのは説明しただろ?」
「はい」
「開架はほとんど新調したわけだが、魔導書庫はそのまま手つかずで古いままだ。予算の関係でな」
「な、なるほど……」
ほとんど利用がないなら、多少は蔑ろにされるのはわからなくもない。
だが空気が違いすぎる。
扉から漂ってくるのは、退廃した工場跡のような言いようのない荒寥とした気配。
どこにでもありそうな古い扉なのに、ノブに手をかけるのをためらってしまうような、どこか排他的な迫力があった。
「開けるぞ」
鍵で開錠して扉を開けると、若干埃臭さの混じった古い紙のにおいがあふれてくる。
ジップさんが電気のスイッチを入れる。
「…………!」
誰もいないはずなのに、歓迎されていないような重苦しい空気が身を包むように感じた。
部屋の広さはそれほどない。せいぜい二十畳ほどだろうか。電灯がついても、やや薄暗く思えた。
言い知れない不気味さに、背中がざわついた。
見えない手に後ろから首を掴まれ、知らない誰かに命を握られているかのような感覚を疑う。
そんなものは気のせいだ。
だが、そう思わせるような気味の悪い雰囲気が、書庫内に漂っているかのように思えた。
変な思いを振り払って、私は魔導書庫に一歩踏み入れあたりを見回す。
窓さえ遮って所狭しと並ぶ木製の古い本棚と、そこに敷き詰められた古いハードカバーの本の数々。
古書のたぐいが目立つが、比較的新しい本も多くあった。監視カメラが入口入ってすぐ右側にあり、新調したのか周りの古い壁に比べてだいぶ新しい。
「ちなみにここは魔導書専用の閉架だ。一般図書を所蔵した閉架は別にある」
「これ全部魔導書なんですか……!?」
「ああ。閉架に入ってるのは約一万五千冊、だったかな」
「一万五千冊!」
「共和国内でも有数の所蔵量だ。数だけはある、ともいえるけどな」
いやな空気とは裏腹に、私は高揚した。
嫌いじゃない。
こういう古い本たちが醸す雰囲気は、すごく好きだ。落ち着く。
「ただ、整備があまり万全じゃない」
とジップさんは言う。
「ちょこちょこ手が入ってはいるが……管理するには不十分なまま置いていたりする」
「そうなんですか」
私にはどう不十分なのかいまいちピンと来なかった。図書館に勤めていればいずれ理解できる日がくるのだろうか。
などと思いながら本棚を見渡していると、明らかに図書っぽくないものも見つけてしまった。
私の見間違いでなければ、それはナイフ状のものや石版のようなもののように思える。
博物館でショーケースなどに入れられるようなものまで、本棚に収まっている。石版はさすがにガラスケースに入っているが、無造作に隅っこの床に置かれていた。
中身はわからないが巨大なつづらのような木箱も転がっていたりもしている。
「石版とかナイフも魔導書扱いなんですか?」
「一応な。広義では『魔導について書かれている資料』ってことになってるからな」
あまねく資料がすべて本の形態をとっているとは限らないということだろうか。それにしたってシュールすぎる。
「資料であればなんでも集めるんですか」
「まあ何でもじゃないとは思うんだがな」
ジップさんは渋い顔だ。そのへんの所蔵するしないの判断も、きっとジップさんたちが行うのだろう。
「……昔は展示資料になったりしてたらしいんだが、今は『心の健康を考慮するといろいろ不適切だ』とかで叩かれたりするんだ。だから表に出さず保管だけしている。世の中の流れだな」
「まあそうですよね」
「しかしいつ来てもここは気持ち悪いな……平気そうなハイドレンジアさんには驚いた」
「まあこれくらいならどうにか」
「館長もここにいるはずなんだが――」
ジップさんは言いながら奥まった本棚の方を見やって、言葉を切った。
「どうしたんです? ――っ!?」
ジップさんの見つめる視線の先。
そこには女性が血を流して倒れていたのだ。
スーツ姿のすらっとした長身で、頭はちいさめ、髪は長く腰ほどまで伸びている。うつ伏せだから顔まではわからない。
つやのある髪にまだ血の気のある肌。しかし板張りの床には大量の血がしみていた。
倒れて間もないのだろう。床を流れる血はまだ乾いていない。
「ひっ、ひえっ……」
近づいて間近にそれを見てしまって、足がすくんで、尻もちをついた。
息がつまる。
そこは、本の古い臭いに混じってむせかえるような血の臭いが充満していた。