3 魔導図書館にいる濃ゆい人たち(1)
館内に入って通路を歩いて事務室まで来る。
事務室もそれなりに広い。きれいな白い壁面、ダークブラウンの絨毯に事務用デスクが何台も並べられていた。デスクに座って、すでに仕事をはじめている職員もいる。
空気が変わったような気がする。
少し張り詰めていて、少し重い。何か普段とは違うようなものが時間の流れを操っているかのような感覚。
職場の空気だ、と遅ればせながら気付いた。
開架に続く窓付きのドアからは、ずらっと並んだ本棚が見える。
ブラウンを基調としたカーペットの敷かれた床も、本棚も、壁も天井もみんな新しくなっている。流れてくるのは、新築のにおい。
「館長は、いないみたいだな」
ジップさんは事務室を一通り見回して、こちらに向きなおった。
「ハイドレンジアさんには、開架フロアに関する業務か、裏方での資料に関する業務をやってもらうことになると思う。職員は普段事務室にいるから、何かわからないことがあったら聞いてくれ」
「はい」
改めて緊張してきた。
「で、あっちで電話受けてるのが同じ職員の斑鳩」
ジップさんは向かい合う机の方に視線を預けて言う。私も視線の先に顔を向けた。
「はい、ナイアガ自治州立魔導図書館、斑鳩です……」
頭の中を優しく撫でるような、低く重く艶っぽい声。
犬のような毛深い耳がピクリと反応して、灰色の髪が揺れた。どうやら獣生種系のようだ。線が整っていて、きれいとしか表現できないような男の人だった。
この国、ジェレマイア共和国には様々な人種がいる。
原生種系、獣生種系、妖生種系……大きく分ければ主にこの三つだが、その中で肌や目や髪の色が違ったり体型や耳の形や手足の長さが違ったりする。
斑鳩さんは顔から少し離すように受話器を持っている。
「見てわかると思うが、獣生種系だな。あだ名はモフモフだ」
などとジップさんは紹介する。
「も、もふもふ……?」
こんなかっこいい人にどうしてそんな可愛いあだ名が。
思っていると、斑鳩さんは電話しながらこちらをちらと見ると、軽く会釈をした。
拍子に、何か机から毛深いものが顔を出した。
「にゃー」
「!?」
当たり前のようにいるものだから二度見してしまった。
少し回り込んでみると斑鳩さんは膝の上に仔猫を乗っけていた――ってなんで膝の上に猫乗っけてるんだ!?
「にゃー」
見間違いではない。しっかりとそこにいる。
斑鳩さんの膝の上には、可愛らしい茶白の子猫が心地よさそうに座っていた。
「ジ、ジップさん、斑鳩さんの上でさっきからにゃーにゃー言ってますがあれは……!」
「あいつまた愛猫を連れて来てやがるな。あとで言っておく。とりあえず見なかったことにしてくれ」
「は、はい」
ジップさんは鬼でも乗り移ったかのように強烈に顔をしかめていた。
やっぱりだめなんだ。
モフモフってそういうことか。
あれ電話の受話器に猫の鳴き声入っちゃうのではないだろうか。後でと言わず、すぐ注意してもいいんですよ?
「で、これが四ツ谷。いちおう係長だ」
それからジップさんの視線は、斑鳩さんの横で書類とにらめっこしている男の人に移る。
「これ、って。ひどいなジップ君」
書面を見ていたおだやかそうな瞳が困ったように細まる。黒ぶちの眼鏡をかけている三十代くらいの男性だった。
「性格はクズだから気をつけろ」
「性格が悪くなるのはきみに対してだけだよ」
「ほらこれだ。一番死んでほしい」
「きみも結構ひどいこと言うよね?」
なんだか仲がよさそうだ。
「どうも、グレイス・四ツ谷です」
ひらひらとこちらに向けて振る手は、とてもきれいだった。特に指は細くて長くてムダ毛もなくて、爪もピカピカだった。ピアノでもやっていたのだろうか?
でもこの人どこかで見覚えがあったような……。
「面接のとき以来だね、ハイドレンジアさん」
「ああ、あのときはどうも!」
そういえば面接で会っていた。市役所の人事の人と、館長と、四ツ谷さんの三人が面接官をしていたのだ。
「あのときはインパクトのある答えを連発してたから、きみのことはまだ印象に残ってるよ。これからよろしくね」
「えっ、あー……」
インパクトある答えってなんだと思ったら、面接時のことを思い出してしまった。
『図書館に人が訪れるようになるのに必要な要素はなんですか?』という質問の答えに『きれいなトイレが必要不可欠だと考えます』と答えたのだ。
今思えばなぜそんな回答をしてしまったのか過去の自分を引っ叩いてやりたい。利用者のニーズ合った蔵書を揃えるとかカウンターでの対応をしっかりするとか、いくらでも言いようはあったはずなのによりによってトイレって。
思い出したら恥ずかしくなって、私は赤く染まっているであろう頬をスーツの袖で隠して目をそらした。
「……あれは、忘れてください」
「努力はしよう」
「館長は?」とジップさん。
「魔導書庫に行くって言ってたよ」
二人が話していると、小柄な女性が近づいてきた。
「おはよう」
尖った耳と、透き通るような青白い髪……とてもきれいな、若い妖生種系の女性だった。
妖生種系は長寿が多く、老いもゆっくりだというけれど……見た目は中学生か高校生かそれくらいだ。背も私よりは低いので、余計幼く見える。
でも確実に私より年上なのだ。
「ああ、おはようございます。……同じ嘱託のウェイトコットさんだ」
とジップさんは私に妖生種の女性を紹介した。
「依子・ウェイトコット。よろしく」
「クロユリ・ハイドレンジアです、よろしくお願いしますっ」
依子さんは、私のことを見上げるように見て目を輝かせた。
「若い。ぱっつん髪かわいい」
「あ、ありがとうございます……」
私は短く切りそろえた髪を両手で押さえながら、照れ隠しに苦笑した。どうも褒められるのに慣れていない。
照れていると、背後からがしゃがしゃと何か金属の擦れるような重い足音がする。
「おはようございまーす。あれ、今日から新しく入る人ですか?」
言葉の感じで、きっと同じ従業員の女性だとわかった。先輩である。
「あ、はい、クロ――!?」
ちゃんと挨拶をしようとして振り向いたが――私はそれを見上げて絶句した。
【おまけ】現実と共通している用語を解説
・開架
「架」は「書架」の架で、本棚のような意味合い。一般公開されている図書がある場所のことをいう。図書館に来て、手に取って読める本の並べられている場所が開架になる。開架には、普通の書架のほかに、雑誌架や新聞架、CDやDVDなどが置かれているAV架などいろいろある。公共図書館はほとんど開架を持っている。一般公開されていない書架は閉架と呼ばれる。