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26 見えざる隙間を暴き出せ(3)

 問題を解決できそうな魔導書を見つけてから、すでに三日も経ってしまっていた。

 仕事が遅いのは私の仕様である。これはもうしょうがないというほかない。


「……よしっ、これでだいたい準備はできたかな」


 魔導書庫で四つん這いになってある準備をしていた私は、そのまま息をついた。

 背後から誰かの気配と共に私の首筋に、鎌のような湾曲した刃物が突きつけられた。


「やめろ、これ以上は……」


 誰ともつかないおぼろげな声。


「その手は効かない。もう慣れたよ」


 と私は幻に言うようにして、切れていく自分の首を見つめた。


 もう何度も幻に殺されかけた。

 幻は、同じ手ばかりで私を追い返そうとしていた。でも、もう平気だ。見慣れたというか、飽きた。犯人のわかっているミステリーのB級映画を何度も鑑賞し続けているみたいに、感覚が鈍くなっていた。

 今更どんな死に方が来ようとも驚きはしない。全部幻なのだから。


「お前、何をやっているんだ……!?」


 背後から、今度はジップさんの声が聞こえてきた。

 彼に対して、私はかなり苦手意識を持っているのかもしれない。数日前のことを思い出して、少し身構えた。


「えっと、何をって、何のことですか?」


 私は顔だけ振り向く。

 出入り口から入ってきたらしいジップさんは、


「館長に頼まれて様子を見に行ってみれば、一体なんなんだこれは!?」


 魔導書庫内を見渡しながら声高に叫んだ。

 私は、持っていたチョークをケースにしまって立ち上がる。手には、金具と鎖を取り去ったクラスSの魔導書『グラーキの啓示』を携えている。


「ああ、これ・・のことですか。館長から聞いてなかったんです?」

「館長からは『見に行けばわかる』と言われた。したらこのありさまだ」


 ジップさんが驚くのも無理はない。薄暗い魔導書庫は、今や白いチョークで書かれた古代文字でいっぱいだったのだ。


 見る人が見れば荒廃的なアート作品のようにも思える室内は、床に、壁に、書架の側面に、果ては天井にいたるまで、おびただしい古代文字と文様で埋まっていた。

 全体的に見たら五芒星のような形になっているそれは、色素の薄いムカデが這っているかのような不気味な光景のようにも思える。

 これらの文字は私が、すべて魔導書の記述に従ってチョークを走らせたものだった。


「全部私がチョークで書きました。魔導を使うのに必要なんですよ。館長から許可はもらってます。期限も延長してもらったし」


 ……チョークで魔導陣を描き、魔導石をもってあらゆる現象を起こす。


 これは私が生まれるよりもはるか昔に行使されていた、古代魔導の発動工程。


 ほぼ全自動で魔導を発動できる現代魔導とは違う。現代魔導はアレイスタ導版のおかげで、「魔導書から魔導陣を写し描き、魔導石を用意する」という工程をすべて省略できるようになっている。


 私はその現代魔導が苦手だ。古代魔導の方が、ずっとわかりやすい。はじめから設計図が魔導書に書かれている古代魔導のほうが、しっかりと理解できる。

 理解できないことはできない。そういう性格というか、そういうタチなのだ。

 私にとっては、現代魔導より古代魔導のほうがやりやすいし、行使も簡単だ。まあそれでも理解するまでやっぱり時間はかかるんだけども。


「なんつうことをしでかしてくれたんだ」

「もう一度言っておきますけど、館長の許可は取りましたからね。魔導書を読み込んで意味を理解するのにかなり時間がかかってしまったのは、私の不手際ではありますが」

「読み込んだ……? クラスSの魔導書をか? 嘘だろう?」


 ジップさんは私が手に持つ鎖付きの魔導書を指差す。声が震えていた。


「本当ですよ」と私は答える。

「一人で平然とそれができるのなんて、世界にほとんどいないんだぞ。クラスAまでならまだしも……」

「それは、恐れ入りますが、私鈍感なので、そのせいだと思います。魔導書に強いのは」

「いや、鈍感で片づけられるわけないだろ……なんのために閲覧制限かかってると思ってるんだ」


 そうなのだろうか?

 読んだのは一部で全部ではないのだから、そうたいそうなものでもないだろう。ジップさんは驚きすぎだ。


「一人で発動までやるつもりか?」

「ええ、まあ」


 読むだけでも狂う可能性があるのだ。

 魔導を発動すれば、さらに精神に異常をきたす危険性が増す。

 だからこそ古代の魔導書は必要とされなくなっていったのだ。読むのも使うのも、危険が伴うから。

 それはそうと、彼は私を止めたいのだろうか。


「お前以外はみんなここには何もないと思っている。無駄に終わるかもしれない」

「もし私が必要ないと思ったなら、クビにしてくれても構いません」

「取り返しがつかなくなる前にやめておけ」


 もしかしたらこのジップさんも右奥の何かが見せている幻なのかもしれない。だったら、口車に乗るわけにはいかない。

 そう思うと面白くなってきたし、あまりこの人に対して尻込みしてもしょうがないと思えた。


「やりますよ。ここまでやったんだから。……それに、もしかしたら、あなたも幻かもしれませんしね」

「は?」


 いや、この発言自体、第三者からしてみれば正気の沙汰ではないか。

 滅多なことは言わないことにして、私は首を振った。


「心配には及びませんよ」

「自分がどうなるかわからないんだぞ」

「それでも、です」


 私はエプロンのポケットから巾着袋を取り出して、中身を手のひらの上にあけた。

 ざらざらと音を立てながら出たのは、黒水晶モリオンのように黒く、一つがわずか一センチ以下ほどの小さい石。

 魔導石のさざれだ。

 それをたくさん、手のひらに溢れるくらいに持って握る。


「それでも、私はやります」


 さざれは私が個人的に持ち歩いているものだった。このご時世、魔導石をそのまま持ち歩いている人間なんて珍しいだろう。安物だが、たくさん使えばクラスSの魔導でもどうにか発動できるくらいの量だ。


「ジップさん、ごめんなさい。私、やっぱりこの仕事続けたいです」

「お前……」

「私はまだ半人前で、素人に毛が生えたようなもんですが、それでも」


 図書館に勤めて、助けてもらった先輩たちの顔が思い浮かぶ。

 彼女たちに、少しでも報いたい。


 それに、こんな私にも、背中を押してくれた人がいた。

 小学校の頃、ステアノ先生は私に司書としての才能を見出してくれた。

 面接で、ほかでもない私を選んでくれたのは館長たちだ。

 その人たちの思いを無駄にしたくはない。たった数日なんかで無駄にしてはいけない、と思う。


「魔導も満足に扱えないこんな私に、がんばれって言ってくれた、任せるって言ってくれた、みんなの思いを裏切りたくないから……」

「――ならば存分にやりたまえ!」


 高らかに叫んで書庫内に入ってきたのは館長だった。


「私に、クロユリさんを選んで良かったと思わせてほしい」

「館長、あんたは……」


 ジップさんは半ば諦めたかのように渋面を作った。


「まあ見守ろうじゃないか。彼女がこれから何を成してくれるのか」

「あ、それはまずいかもしれないです」


 私はすぐに口を挟んだ。なにせクラスSの魔導書に載っていた魔導の一つを発動させるのだ。


「何が起こるかわからないので……逃げるなら今のうちにしてください」


 と私は忠告した。

 この魔導書によると、魔導を発動してからしばらくは、部屋内を暗くしていなければならないらしい。

 だが、幻を看破しなければならないのだから、明るいままにするしかない。

 記述通りの手順から外れるから、本当に、どうなるかわからない。


「平気平気」


 と館長は気楽そうに答えた。


「ジップ君もそれでいいよね」

「無論です。今年の新人は危なっかしすぎて、見てないと何をしでかすか……」


 ひどい言いようであった。


「本当にいいんですか? 発動しちゃいますよ?」


 私は握っていた魔導石のさざれを二人に掲げて見せて、最後の忠告。


「いいよー。やっちゃって。私もこの魔導書庫に何が起こっているのか、実際のところが気になるからね」


 笑顔で頷く館長と、


「……勝手にしろ」


 腕を組んで難しい顔のジップさん。


「では」


 魔導発動までの仕上げをする。

 古代魔導は、あまねく自分の願望を唱えて発動せしめる。そして健全な精神をある程度犠牲にして、現象を起こすのだ。


 アレイスタ導版が発明され普及したのは私が生まれるずっと前。

 こんな方法、ほとんどの人は日常的には行わない。導版や現代魔導などの技術開発に携わるなら別だが、技術者の道に進むのは一部の人たちだろう。中学や高校の授業で少しやるくらいで、やり方はほどんど知らないという人もいる。


 でも私には、なぜだかこの方法のほうがしっくりくる。


「『コール』」


 言葉に呼応するようにして、握っていた魔導石がほのかに光りだした。光ったそれをすべて魔導陣の中心へ落とす。


 ばらばらと床に跳ねながらばらける魔導石のさざれを見下ろしながら、私は続ける。


「『かの空間の、真実の姿を暴き出せ』――!」


 唱えた瞬間、魔導書庫は魔導書庫でなくなった。

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