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23 見えざる隙間を暴き出せ(1)

「…………」


 私は書架とその周囲を観察する。

 なんの変哲もない書架である。木製の古くくすんだ色をしている。見た感じ、何かの魔導が使われている雰囲気はない。


 床や天井に何かがあるのかもしれないが、とりあえず私は書架に触ってみた。

 古めの木の材質らしい、少しザラザラしている感触。

 書架そのものには何があるわけではなかった。

 仕掛けのようなものも見当たらない。


「…………」


 本を手に取ってみようとして、私はためらった。

 思えば、私が変な幻覚を見たのは、書架に入っていたものを触ってからだった。『おいしいパウンドケーキ』も、よく考えてみるとおかしかった。もしかしたらあの本も幻覚だったのだろうか?


 前触れなく手首が切れたとき、誰かに後頭部を掴まれた。あれはまぎれもない現実に思えた。

 でも館長は幻だと言っている。

 私が見たのは、脳に直接作用するような、感触さえ再現できる幻覚なのだろうか?

 そんなものあるのだろうか?


 考えれば考えるほど、どこまで現実と信じていいのかわからなくなる。

 まさか魔導書庫自体がもう幻覚なのだろうか。

 目の前の書架は。

 立っているこの床は。

 書庫内に入った瞬間にもう変な幻に取り憑かれている可能性はないだろうか。

 図書館は。

 幻覚ではないと言い切れるか。

 私が関わってきた図書館の人たちは。

 どこまでが現実でどこまでが幻覚なんだ。


「……いや、やめよう」


 確証がない時点で考えても、それは不毛だ。

 とにかく今は、ここ周辺の調査のほうが先。


 そして。

 異常をたしかめるには。


 ……私は奥歯を噛みしめる。


 私は、書架に所蔵されている図書を何冊かまとめて手にとって、そこから出す。


「『おいしいパウンドケーキ』、『はじめての図書館』、『嫌な上司の捌き方』、『優しくて変な先輩』……なんだこれ」


 最近の、私が体験してきた中で印象深かった場面だ。それがタイトルになって、本として所蔵されている。

 おそらく存在していない本。私の頭の中から出てきたものだと言ってもなんら不自然ではない。


「なんで、ここだけ、こんな本が……あっ」


 言っている途中で気づいた。


 もし新しく書架を追加したのなら、この書架は新品でなければならないのでは?


 目の前にある書架は、周囲の書架と同じ木製の古いもの。デザインも一緒だ。

 書架はほかと同様かなり年季が入っていて、まるでずっと前からそこにあったかのように存在している。中古をどこからか購入したか、調達したのだろうか? でもそれだと、デザインや色は多少なりとも変わるはずだ。規格が同じなんてありえるのだろうか?


「やっぱり、この書架は何か、変――」


 呟いている途中で、しゅるしゅると足にまとわりついてきた何かに引っ張られるようにして、


「――! っ!?」


 バランスを崩した。


 それは大蛇のようなものだった。のような、と表現したのは、首がなかったからだ。ぬめりけのある大蛇のような細長い触手が、うねりながら私の足をからめとっていたのだった。


「ひぃっ!?」


 尻餅をつく。

 それは私の足をらせん状に絡め取りながら、書架と書架の間へ引きずり込む。

 ずるずると、私は引っ張られていく。

 書架と書架の間は、暗い影のような部分があった。そこから、何本もの触手がうごめいていた。


「…………っ!」


 泣きそうになるのをぐっとこらえて、体を動かす。

 反転し、両手で床にしがみつくようにして、引っ張られる力に耐える。


 影からずるずるとうねりながらやってきた触手が、二本三本と足に絡まってきた。

 ぬめぬめとした細長いものが足を伝い、ふくらはぎに絡まり、締め上げながらさらに登って、下腹部にまで達してくる。

 抵抗は出来ている。けれど、逃げられない。


「くっ、う、うぅ……」


 そのまま影の中に引きずり込もうとしているのは明白だった。

 粘液の気持ち悪い感覚と締め上げてくる触手に、徐々に堪える力を失ってくる。

 それでも私は、まだ床にしがみつくようにして、手に力を入れる。

 四つん這いのようになった私の目の前の床に、ヒビが入った。


「えっ!?」


 なんの前触れもなかった。

 ヒビはみるみる広がって穴になり、そこから、親指大ほどの小さい虫が湧いてくる。


 見たこともない黒い虫だった。

 四つの赤い目玉でこちらを見据え、牙のある顎をしきりに動かし、六つの足をクモのように動かしている。

 それが穴から無数に湧き出して、床を這い回り始め、


「い、いや、まさか……!」


 私の手を這い回り、袖から服の中に入ってくる。

 一匹や二匹ではない。手を伝って何十匹と接触してきた虫が、私の体中をまさぐりながら頭の方に這い上がってくる。


「いやあああっ! やめっ、虫、虫が……っ!」


 手で引き剥がそうとするも、数が多すぎる。

 やがて喉のあたりまでやってくると、虫は牙を使って、私の肌に噛みつき始めた。


「つっ! 痛っ!」


 虫は体をうねらせながら、肌を噛み砕いて体の中に侵入してくる。

 喉に取り付いた虫は次々と、私の中に入ろうとする。

 頭の奥が熱い。何か、変な脳内物質が過剰に分泌されたみたいに、私に訴えかけてくる。


 喉を――かきむしって虫を全部外に出さないと。


 なりふり構ってはいられない。私は頭を床につけて、両手を使って喉に爪を立てる。


 痛い。

 それでも虫を出さなければ――。


 思った瞬間、館長が首をかきむしっていた映像が脳裏に蘇って、


「っつあああああ!」


 大声を上げたと同時、私はようやくそれが幻であることを認識することができた。

 触手も虫も、かき消えていた。


「あ、危なっ!」


 私は息を整えて、すぐさま右奥の書架から遠ざかった。


 喉のあたりが熱い。かなり強めに引っ掻いてしまったらしい。

 指先で触ると、腫れ上がっているのがわかって、滲んでいた血がうっすらとついた。

 もう、触手も虫も、変な影も床の穴も、どこにもいない。


 幻。

 これも幻覚だった。


「こ、こんな感じで館長は死んだのか……!」


 もし気づくのが一歩遅れていたら、館長と同じ道をたどるところだった。

 館長の死を連想していなかったら、痛みさえ忘れて喉を引っ掻いていたら、どうなっていただろう。


「…………」


 罠だ、と思った。


 これは深く探りを入れようとすると発動する、トラップみたいなもの。

 入っている本は、おそらく幻。書架自体も、たぶんそうだろう。不自然なところが多すぎる。


 普段は書架の幻を見せるだけでごまかしている。そこを気になって探ると、自分が死ぬ幻覚を見せられ、心を消耗し、最悪自分で自分を殺すことになる。


 これは、右奥にある何かを隠すために用意された、二段構えの防衛システムだ。

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