21 そして遅刻(※見取り図)
意気込んで来たものの、まだ自分では従業員用の扉は開けられなかった。
ドアをドンドン叩いて、気づいた警備員さんに開けてもらって魔導図書館の中へ入り、事務室へと急ぐ。
「すいません、遅れました!」
汗だくになりながら事務室に到着する。
急いで来たが、間に合わなかった。出勤時間より二、三分遅かったかどうかの時間。
「平気平気。あたしも今来たところだよ。まあ、あたしはギリギリ間に合ったくらいだけど」
事務室にいたエイラさんが手を振ってくれた。すかさず、私はエイラさんに頭をさげる。
「エイラさん、昨日はすいませんでした。あんな風に断ってしまって……」
「大丈夫ー。都合悪い日に誘っちゃってごめんね、クロちゃん。今度また行こう」
「はいっ」
話していると、ため息が聞こえてくる。
「二人とも、もう少し早く来てくれ。少なくとも勤務時間に間に合うようには」
ため息の主であるジップさんは、うんざりそうに言った。
う……だめだ、どうも気まずい。
ジップさんは平気そうだが、私は少し体を硬くして一歩後退した。
「ハイドレンジアさん昨日退勤のタイムカードやってなかったろ。遅刻と合わせて書く書類あるから、渡しておく」
「す、すいません……重ね重ね」
「本当にな」
目つきと冷静な口調が怖い。
ジップさんは私にその場で待つように言い、書類を取りに壁際のキャビネットを漁り始めた。
「あ、館長」
今日は館長がいた。デスクで事務仕事をこなしている。
「おはようクロユリさん。どうしたんだい?」
私が何か言いたげなのに気付いて、館長は顔を上げた。
ジップさんが書類を探している間だけなら、余計なことをしても大丈夫だろうか。
思いながら、私はにこやかにしている館長におずおずと近づいた。
「あの、館長……館長が魔導書庫で死ぬ前、なんか図面みたいなもの持ってませんでした? 私、警備室で確認したんですけども」
「ああ、あれ」
「覚えてます?」
「覚えているよ。魔導書庫の見取り図だ」
「見取り図……?」
「見ながら確認していたんだよ。本棚とか追加されていたら更新しないといけないしね。で、配架ミスの図書が見つかって、いったん図面をポケットにしまって……あとは前言った通りだよ」
「なるほど、そういうことでしたか」
私は少し考えて、続けて質問した。
「実はあそこ隠し部屋があるとかないですか?」
私が幻を見たのにも、何か仕掛けのようなものがある気がしてならない。
何もないのにあんな幻を見るはずがないのだ。
「ないよ。どうしたんだい?」
「いえ、私も殺されそうになったもので」
「生きてるよ」
「夢か幻覚だったみたいです。でも、痛みがあったのはハッキリ覚えていて」
ジップさんが書類を持ってこちらに来る。もう少し、粘れるか?
「勤め始めというのはただでさえ気疲れが多くなってくる。魔導書に触れているうちに、そういう心の隙間に狂気が入り込んで変な幻覚を見たんじゃないのかい?」
「痛みも感触も、気のせいというレベルではなかったですよ」
「寝ている途中に金縛りが起こったり、薬を使って拷問されたりしたとき、嫌な幻覚を見るときがあるだろう。ああいう感じで、幻っていうのはときに五感さえ錯覚させることがあるものだ」
「えっと、その感じはよくわかりませんが」
さりげにすごい例えが出てきた気がするけど、深く考える前に館長が続けた。
「まあでも、そんなに気になるなら、気がすむまで調べてくれて構わない」
館長は引き出しから出したクリアファイルを探って、一枚のプリント用紙を私に渡してくれた。
「あ……これが見取り図ですか?」
館内全体の見取り図だった。その中に、魔導書庫の見取り図も入っている。
「そうそう。まあ君たちの調査で間違っていることが発覚したから、作り直さないといけないんだけどね」
館長は苦笑する。
「これ……棚の数が少ない?」
気のせいだろうかと思いながら、私は呟いた。
「うん、だから、ちょっと間違っているみたいだね、これ」
見取り図は、ほんの少し違った。
現実に私が見ていた魔導書庫と。
右側、一番右奥の本棚が存在していなかった。
「この見取り図が間違っているってことですか?」
「そうなるね。そんなに気になるかい?」
館長に言われて、私は答えあぐねた。館長の言っていることは正しいように思えるし、私はまだ納得いっていないんだけれど、それは個人の感情でしかない。
無言でいると、館長は口元を綻ばせて、
「クロユリさんは、何か、我々の知らない魔導が発動している可能性があるのを懸念しているわけだ」
「え、ええ、まあ」
と私は曖昧に頷いた。
知らない魔導……魔導書庫での異常に該当するものがあるかどうかいまいち定かではないが、何かが起こっているとするなら、私が正常だとしてその身に何かを起こしたというなら、それが濃厚だろう。
クラスB以上の、危険だとされている魔導書にも、そういった捨てられてきた魔導技術がたくさんあるはずだ。
誰が、何のために魔導をかけたのかはわからないけれど。
「では私が指示を出させてもらうよ」
「指示、ですか?」
「魔導書庫で起こっているかもしれない異常を、調査してきて」
「!」
館長は、口元をほころばせた。
「何もないなら、何もないで報告よろしく。ただし期間は今日までということで」
「……新人である私の言い分を信じてくれるんですか?」
「新人かどうかは関係ないよ」
それは私のくだらない固執に対する譲歩でしかなかったはずだが、館長の声は心なしか期待に満ちたような朗らかさをはらんでいた。
好きなようにやっていいと、彼女はそう言ったのだ。
「――はいっ」
私は大きく頷いた。
そこまで言ってくれるなら、館長の期待に応えねばなるまい。
でも、図書館的には何もないほうがいいのか。
とにかくそれも、調べてみなければ判らない。
リミットは今日までだ。
早く魔導書庫に行かなければ。
私は笑いたくなる口元をギュッと絞るようにして堪えた。
高揚する気持ちは気のせいではないのだ。たぶん。
……面白い。魔導書庫に潜んでいるかもしれない得体の知れない「何か」に、私は挑もうとしている。
私は、挑んでもいいのだ。ほかでもない、新人の、まだ何も知らないこの私が。
「そろそろいいか?」
「は、はい」
書類を持ったジップさんが律儀に待ってくれていて、ハッとなった私は小さくなって頷いた。




