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20 起きたくないけど、行きたくないけど

 ……朝日が昇ってしまった。

 逃げ出してしまった次の日の朝だ。


 私は起床時間になっても、仕度をせず布団の中に潜り込んだまま丸くなっている。


 果たして私はあの職場でやっていけるのだろうか?

 ジップさんの言葉が、頭から離れない。自分が殺される幻想が、目に焼き付いている。

 考えれば考えるほど、昨日起こったいろいろな出来事がないまぜになって思い出され、体がすくむ。


「リリィ、朝ー」


 じっとしていると、無慈悲な同居人が部屋に侵入してくる。


「…………」


 無言で近づいてくる音。


「あだっ!」


 背中にデコピンを受けて私は声を上げた。布団越しでもすこぶる痛かった。

 しかし今日は布団を剥いでこない。


「リリィ、朝。またごはん食べてる暇ないよ」


 アタリァはしかし短くそっけなく、私に言う。


「もう、やだ。仕事行きたくない」


 布団の中で丸くなったまま、私は呟いた。


「…………」

「私なにもいいところない……」

「それは知ってる」


 やはりアタリァは容赦がなかった。


「行きたくないならやめたら?」

「うう、そうなんだけど、それも申し訳ないような……」


 しどろもどろになりながら答えると、音がしてベッドが揺れた。

 アタリァがベッドに寄りかかってきたらしい。


「つらかったら、べつに逃げてもいいんじゃない?」

「あーちゃん……」

「自分が無理でやめても、誰かが穴埋めしてくれる。憧れていた職業になれても、やってみると自分に合わないことだってある。理想と現実は違う。がんばった分だけ報われるわけでもない。無理して自分を壊すくらいなら、投げ出して楽な方に進んでもいいはずだよ」

「…………」

「まあ、私働いたことないから本当のところはわかんないんだけどさ」

「…………」


 そうだ。

 所詮私は、一般人。それもかなり劣っている方の。

 代わりなんていくらでもいる。

 私より優秀な人材が、私の仕事を肩代わりすればいいのだ。


 でも、私はそれでいいのだろうか?


「でもリリィの中に辞めたくない気持ちとか悔しい気持ちとかが残っているなら」


 淀みない口調で、私のことを見透かすように、アタリァは続けた。


「もう少しだけがんばってみてもいいんじゃない?」

「…………!」

「少なくとも、気がかりなことはあるんでしょ?」

「……ある」


 そうだ。

 監視カメラの映像で、館長が持っていたあの図面。映像ではよく見えなかったけれど、あれを確かめれば、何かわかるかもしれない。


 ……私の代わりに誰かがやる。

 それは誰かが、私の穴埋めとして魔導書の担当になるということだ。

 下手をしたら、あの幻覚を――いや、確実に誰かがあの幻覚を見てしまう。

 私の代わりに担当になった人が、もし私のようにすぐに逃げ出す性格でなかったのなら。無理をしたせいで何らかの損害が生じてしまったら。

 それは、だめだ。あんないい人達を私と同じかそれ以上の目には遭わせたくはない。


 やめるかどうか悩むなら――せめてこの問題が終わってからでも遅くはないはずだ。

 まだ私がやれることはあるはずだ。やれることもやらないのに力及ばないからやめたいなんて、そんな自分に都合のいい弱音で目の前の問題を投げ出すなんてしたくない。

 そういうことにしておこう。

 それを理由にして、仕事へ行こう。


 アタリァに言われて気づいた。

 私はまだ、きっと仕事を続けたいのだ。

 私の理想はまだ叶っていない。仕事を怖がって布団の中で丸くなっているのなんて、理想とは全然程遠い。こんなことじゃ、小さいころ司書になれと背中を押してくれたステアノ先生に顔向けできない。

 昨日起こった嫌なことは、いったん忘れることにしよう。


 がばっと私は身を起こした。


「あ、起きた」


 隣には、床で体育座りをして頬杖をついている同居人の姿。

 まったく彼女は容赦がない。

 幼い頃からずっとそうだ。


「小学校のころから、あーちゃんは容赦なく私の背中を押してくれるね」

「……忘れたし……そんな昔のこと」


 アタリァは口を曲げてふいと目を逸らした。その反応を見て、私はへへへと笑う。

 照れ隠しなのか、私がほめると彼女はいつもそうやってはぐらかすのだ。とくに昔話をからめながらだと照れ隠しが顕著だ。

 とにかく嫌がるので、私はたまに容赦ない扱いの復讐に使わせてもらっている。


「ていうか、荷物置いてきたならどっちにしろ一度は戻らないといけないんじゃない?」

「そ、そうだった……」


 私は頭を抱えた。先輩方と鉢合わせして、ロッカー室に鞄を置いてきたまま帰ってしまったのだ。財布もその中に入っている。


「間に合いそう? ていうか時間あるの?」

「ない。走って行かないと間に合わない」

「じゃあ、さっさと行ってきなさい!」


 ドゴォ!


「オゴッ!」


 アタリァに物理的にも背中を叩くように押されて、私はうめいた。

 身体がエビみたいに反り上がり、肺から酸素が押し出されるほどの衝撃。

 やりすぎだ。


「全力で叩かないでよ!」

「全力ではないよ」


 これが全力じゃないのか。恐ろしい子……!



 私は急いで支度をする。昨日と変わらない、スーツに着替える。また朝ごはんは抜きである。

 寝癖がついていそうな後頭部を押さえながら、家を飛び出す。

 時間は、ギリギリくらいか。


 うららかな春の朝。しかしそんな雰囲気を感じている暇なんて今はない。

 何度も躓きそうになりながら、私は図書館への道を行く。

 並木道の桜はまだ咲いていないが、蕾からはチラチラと薄桃色の花弁が覗くくらいになっていた。

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