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2 図書館勤務初日の朝、さっそく胃が痛くなる

 朝。

 私は春のうららかさをひと時も感じる余裕はなかった。


 中央地区の、まだシャッターが閉まっている商店街の中を目的地目指して急ぐ。

 ヒールの低いパンプスを履いてきてよかったが、それでも走りにくいことには変わりない。転ばないように気を付けて行く。

 人の通りはまばらで、車もそれほど多く走ってはいなかった。


 横断歩道の信号が、渡りだす前に赤になる。

 そこでようやく立ち止まり一息ついて、並木道に並ぶ桜のつぼみに目を向ける。

 開花までもう少しといったところか。

 風はまだ少し肌寒いくらいに私のことを撫でていく。息切れしたこの身体にはちょうどいい冷たさだった。


 信号を待っている間、開店準備を始めた服屋のショウウインドウに自分を映す。

 短めに切りそろえた黒髪が少し乱れていて、手櫛でそれをささっと直した。

 着ているのは紺のスーツに白いブラウス、上着と同じ色のスカート。乱れていないか、確認をする。少し厚手の黒いタイツが、汗ばんできた肌にはもどかしかった。


 曇ってきた眼鏡を吹きながら、乱れた呼吸を落ち着かせる。

 そうしているうちに信号が青になって、私は再び急ぎ足で目的地へ向かった。


 ナイアガ自治州立魔導図書館――それが、私が今日から勤務する図書館の名前である。


 昔から司書になりたくて、短大卒業間際にようやく採用された唯一の図書館がこの図書館だった。

 非正規の嘱託職員というやつだが、ついに私はやったのである。司書の仕事に就くという目標を達成することを。本好き、図書館好き冥利につきるというものだ。


「や、やっと着いた……」


 何度か転びそうになりながら、どうにかナイアガ自治州立魔導図書館へと到着する。


 息も絶え絶えで全身から汗が噴き出す。さすがに履き慣れていないパンプスで急ぐのはきつかった。

 

 腕時計の針を確かめる。

 遅れそうで急いで来たが、大丈夫だ。時刻はまだ少し余っている。


 そこは白い色の外壁にガラス張りされた二階建ての建物だった。真新しい建物である。ついこの前まで改装工事をしていて、灰色のシートに包まれていたのが記憶に残っている。

 “公共図書館”ではあるが、今は改築作業中のためずっと休館中のはずだ。


 こんないい場所で働けるなんて……期待と不安が一緒くたになって押し寄せる。

 私みたいなのがやっていけるだろうかという心配が先走る。

 着慣れないスーツが緊張に比例して重くなっていくような気がする。


 いかんいかん。

 まだ初日なのにそんなんでどうする。


 新しい魔導図書館の裏側に回り込んで、従業員用の出入り口の前まで来る。


「どうやって中に入ればいいんだ……?」


 私はそこで立ち往生した。


 こじんまりとしたスチール製のドアだった。

 鍵がかかっているらしく、普通にドアノブを押し引きしてもびくともしない。

 ドアの横にはインターホンがある。

 魔導で動くインターホンだ。取り付けられているボタンを押し魔導の機構を起動させると会話できる。


「…………」

「どちら様ですか?」

「ひえいっ!」


 立っているといきなり後ろから声がして、剣術の達人みたいな声が出た。

 男の人の声だ。


 そして自分自身の行動を今更客観視する。

 従業員用の入り口で突っ立って挙動不審……どう考えても不審人物だ。


「ん? いや、本当にどちら様だ?」


 図書館の職員の人だろうか。

 二十代後半くらいの、黒いスーツに身を包んだ男の人だ。少し赤みがかった黒髪の、すらっとした体躯だった。

 ちょっと目つきが悪く、さらに私をいぶかしむように見ている。


「あ、えっと、今日からお世話になります、クロユリ・ハイドレンジアです」


 委縮して頭を下げると、男の人は少し考えて答える。


「……ああ、たしか、嘱託で入る新人の?」

「はいっ、よろしくお願いします! ええと、実はドアが開かなくてどうしていいかと思って……」

「ああ、オートロックだからな。インターホン使えば常駐する警備が開けてくれる。このICカードも今日渡すから、そうすれば自由に出入りできるようになる」


 言いながら、男の人はカードのようなものを取り出して、インターホンの横についていたICカードリーダーにかざした。

 従業員は支給される魔導ICカードでロックを解除できるらしい。カードリーダーから音が鳴って、解除のランプが点灯した。


「すごいセキュリティですね」

「最新の設備だからな。といっても改築してから導入されたもので、俺もあまり慣れていない」


 この図書館は改築するために一年ほど閉館状態になっている。たしか、もう少しで新しく開館するはずだ。

 いろいろ設備も新しくなっているみたいだ。


「ただ、魔導書を保管する施設ならこれくらいのセキュリティは当然という声もある」

「それは確かに……」


 私は頷いた。強力な魔導書は、いろいろと危険な代物でもある。

 読めば精神の一部分――正気といえるものを著しく消耗していくのだ。読めば読むほど健全な心が奪われていく。


 一部は印刷での大量生産や一般流通も禁止されていて、厳重な管理が必要とされているくらいだ。危険なものではあるが数が少なく貴重で、盗み出したい者は一定数いる。


「俺は職員のジップだ。改めてよろしく頼む」

「よ、よろしくお願いしますっ」

「しかし、いいタイミングで入ってきたな」


 ジップさんはドアを開け、図書館の中へ入る。私もそれに続く。


「いいタイミングと言いますと?」

「開館までまだ二週間くらいある。利用者のいない状態で業務をしっかり研修してから開館に備えられる」

「それは、確かにそうですね」


 答えてから、私はジップさんの言葉の意味に気づく。

 それは開館までの二週間の間に、十全に仕事を覚えて欲しいということではないだろうか。

 ……胃が痛くなってきた。

【おまけ】現実と共通している用語を解説


・公共図書館

 不特定多数の人が利用できる公共の図書館。公開されている蔵書のあるフロアで自由に本を読んだりできる。周辺地域に住んでいる人は利用者カードを作ることができ、資料を借りられるなどのサービスが受けられる。地方の市立図書館だと利用者カードの作成は市内在住かその周辺地域在住なら可能、みたいに限定されることが多い。

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