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19 理想と現実

「魔導図書館へ行きなさい」


 と、目の前の彼女は言った。

 天日干ししたばかりの毛布で包んでくるように柔らかくたおやかな調子で、彼女は言った。


 それは幼いころの記憶だった。

 学校だった。小学校だったように思う。

 誰もいなくなった遅い時間の教室だった。私は自分の無力さに、打ちひしがれていた。


 クラスメイトたちに心無い言葉や暴力的な言葉をぶつけられた。


 ----------------------。

 -------------------。

 -----------------。


 なぜ私はここにどうしようもなく立っているのだろうか。


 ---------。


 耳鳴りがする。


 涙で視界が歪んでいた。

 ただ、窓からはまばゆい夕焼けの赤色が広い室内を射していたことだけはわかった。


「魔導図書館へ行きなさい、クロユリ」


 もう一度、彼女はゆっくりと幼い私に向かって言った。

 冷たい海から掬い上げられ、やさしく抱きとめられたかのようなあたたかみのある声。

 心の痛みが和らいでいくような気がした。


「うん」


 私は流れていた涙をぬぐって、すがるように返事をした。

 それが、ただ魔導図書館へ足を運ぶという意味ではないことは理解していた。


「大きくなったら、きっと、行く」

「いい子」


 彼女は私の頭を撫でた。


「あなたの力は、そこできっと活かすことができるわ。がんばりなさい。あなたなら、きっとできる」

「ステアノ先生は? ずっと一緒にいてくれないの?」


 私は彼女の名を呼んだ。ステアノ先生は表情を曇らせて、首を左右に振った。


「ずっとはいられないわ。先生というのは、そういうものよ。そうでしょう?」


 私は俯いて、また目に涙をためた。

 彼女とは、もうこれっきりで二度と会えないような気がした。

 それでも一緒にいてほしい、という口から出かかった言葉を飲み込んだ。

 アタリァと彼女だけが、私の心の支えだった。今思えばかなり依存していたのかもしれない。

 わがままを言ってステアノ先生に抱きつきたかったけれど、我慢する。


「でも、大丈夫」


 ステアノ先生は、私の頭を撫でながらやさしく続けた。


「そこにいれば、私はいつかきっと会いに行く。きっとまた、会いましょう」

「うん、ステアノ先生のこと、ずっと待ってる」

「成長したあなたに会えるのを私もずっと待っているわ」

「うん……っ」


 私は無理に笑顔を作って答えた。






「――はあっ!?」


 真っ暗になり、死を認識した瞬間、私の視界は元に戻った。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 走馬灯のようなものも、見ていた気がする。


 ほんの一瞬の出来事だった。

 手首を切断され、首を切られ、殺された。

 少なくとも、私はそう体感した。


 脱力して膝をつく。

 首……ある。

 手首も。

 床に落ちたはずの自分の手首と首を念入りにさすりながら、くっついているのを確認する。


 大丈夫、切れていない。切断なんてされてなどいない。

 あんなにおびただしい量が出ていた血だって、一滴も流れてはいない。


「でも、今のは……!」


 リアルな感触があった。

 切断された感触。痛み。

 まるでゼリーを包丁で切り分けるみたいに、容易に離れていった身体の一部。


 足がずっと震えている。

 まだ立つことができない。


 ――それでも私は、腕にありったけの力をこめて本棚たちに背を向ける。

 出入り口、その古臭いドアに向けて、ゆっくりと這いつくばるようにして逃げる。


 なにか、いる。

 目には見えなくても、ここには人の来訪を拒む何かが潜んでいる。


 それとも、白昼夢でも見ていたのだろうか? もしくは、ついに自分の頭がおかしくなって、変な幻覚を見てしまったのだろうか。


 わからないが、とにかくこんなところには一分一秒でもいたくはなかった。

 ここにずっといては、本当に殺されてしまう。


 よろよろと立ち上がり、ドアを開けて外に出る。


 何かに殺されそうになった瞬間、昔の記憶が断片的に蘇った。

 懐かしい記憶。私の力を活かすことができると言ってくれた先生。

 幻想だ。

 抱いていたのはただの理想。

 現実なんて、こんなものだ。

 私には何の力もない。根性だけはあると思っていたが、それも気のせいだった。あったのは自信だけだった。

 無理だ。こんな仕事。

 やっていけるはずがない。

 私なんかが、やっていけるはずがない。

 どうせ先生だって昔のことを忘れている。


 私は急ぎ足で荷物のあるロッカー室まで行く。事務室には立ち寄らなかった。


「あ、クロちゃーん!」


 途中で、帰ろうとしていた先輩方に出くわした。

 依子さんにエイラさんにメラニーさん。三人が一緒に帰ろうとしているところだった。


「クロちゃん、これからみんなでご飯行くんだけど、一緒に行かない?」


 エイラさんは期待を込めた声で私に尋ねた。


「どうしたの? 顔色が悪いようだけれど……」


 メラニーさんは心配そうに私の顔を覗き込む。


「あ、えっと、その……」


 表情を読まれたくなくて、私は俯いた。


「何かあった?」


 と鋭い目で依子さん。


「…………」


 私はなにも返せなくて、口を閉じて、黙って、それから、


「ご、ごめんなさいっ!」


 次の瞬間には、三人に背を向けて走り出していた。

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