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15 パウンドケーキを食べながら

 登録の作業を再開しようとすると、


「一旦戻って休憩しましょう。あんまりここにこもりっきりだと心が憂鬱になるから」


 メラ二―さんから提案があった。


「あ、え、いいんですか?」


 まだ一冊しか手をつけてないんですけど。


「糖分と水分の補給は大事よ」


 メラニーさんは笑顔で答える。

 何か糖分らしきものが出てくるようだと察知した私は、おとなしくメラニーさんの後をついていった。




「あ、よかった。残ってた」


 向かった先は給湯室。メラニーさんが冷蔵庫を開けて、少し大きめのラップのかかったお皿を取り出す。

 作業室にいる人たちの分のコーヒーを淹れながら、私はそれを見た。


 どこのケーキ屋で買ったのか、おいしそうなパウンドケーキが皿に乗っている。かつて従業員全員分あったのか、包丁で切り分けてあり今は数人分ほどの量が残っていた。


「おいしそう……」

「作業室に持って行ってみんなで食べましょう」


 コーヒーと残っていたパウンドケーキを持って作業室に行くと、そこで作業をしていたエイラさんと依子さんが心なしか期待を込めたように顔を向けた。


「あ、メルまたお菓子作ってきてたの!? やった!」


 エイラさんのテンションが急上昇した。子どもみたいにバンザイしている。


「って、これメラニーさんが作ったんですか!?」

「たまに作ってきてくれる」


 依子さんがコーヒーと小皿に乗った一切れのパウンドケーキを受け取って説明した。


「それもみんなが食べられる分。おいしい」


 絶賛しながら、パソコンのある席へと戻っていく。

 それから依子さんはコーヒーに砂糖とミルクをしこたま入れ始めた。


「ただの趣味をこじらせただけですから」


 メラニーさんは照れたように笑った。


「メラニーさん、まともな趣味もあったんですね」


 思わず口にすると、メラニーさんは笑顔のまま声のトーンを落として、


「それはどういう意味かしら?」

「すっ、すいません、なんでもないです!」


 慌てて私は言った。

 いや、だって地獄絵図を好んで描く人がこんなおいしそうなパウンドケーキ作るなんて。


 お皿にあるのは白い砂糖みたいなのが上にかかっているシンプルなプレーンのパウンドケーキである。どう見ても買ってきたちゃんとしたやつに見える。


 長机に座って、フォークで一口サイズにして口の中に入れる。


「お、おいしい……」


 フォークを刺した瞬間わかった重さを感じさせないふんわり感は、口の中に入れるとしっとりとした心地よさを残しながら崩れてとろけた。

 甘すぎない生地のおいしさが、舌の上で転がる。

 上に薄くかけてあったのはレモンアイシングで、しゃりしゃりした食感を残しながら本体と絡み合っている。


 パサパサするような感じはほとんどなくて、素人が思いつきで作ったような味ではない。

 一口食べた後のコーヒーも美味であった。


「これ本当に作ったんですか? すごすぎますよ。売り物みたいにおいしい。いや、もしかしたら売り物よりおいしいかもしれない」

「そっ、そこまでほめられると恥ずかしいわね……」


 メラニーさんが頬を染めて言った。その横で、エイラさんが甲冑を鳴らしながら胸を張る。


「ま、メルにかかればこんなもんだよ」

「なんでエイラが偉そうなのよ」

「エイラがえいらそうだって?」

「ぶふっ」


 しまった、不覚にもウケてしまった。それによって、ダジャレを言った張本人であるエイラさんはすごい満足してしまった。


「ていうかエイラさんはどうやって食べるんですかそれ」


 昼食も、エイラさんは休憩室で食べていなかった。人数がいっぱいになってしまうので作業室で食事を取っているという理由だった。まあこの人、軽く二三人分くらいのスペースは取りそうだし仕方がないのだろうが、そんな事情があり、いまだに私はエイラさんの素顔を見られずに至っている。


 さすがに兜は脱ぐだろうと思っていたら、


「ちゃんと脱がなくても食べられるようになってるよー」


 エイラさんはバイザーの下についているベンテールとかいう頰当て部分を上げて、顔の下半分ほどを露出させた。


「くっ、なんかモヤっとする……」


 白い肌に金髪っぽい髪が見えるけれど、やっぱり鎧が邪魔で顔全体は見えない。


 私は釈然としない気持ちでパウンドケーキを口に入れる。

 おいしい。

 幸せな気分に浸りながら、ムシャムシャとおやつをいただく。

 依子さんもパソコンのある席で、仕事をしながらちびちびとパウンドケーキを食べていた。


 あー、いいのかなー……これ、こうしている間にも給料出てるんだよなー……。


 根を詰めると仕事の効率も下がるみたいだし、まあ必要な休憩ということか。そういうことにしておこう……。


「どうしたの?」


 浮かない顔が表に出ていたのか、エイラさんが私の顔を見ている様子で訊いた。


「いや、その、魔導書の登録が全然進まなくて、ですね」

「ああ、そういうのはね、慣れだよ慣れ!」


 エイラさんはあっけらかんとして答えた。


「そういうものですか」

「ていうか、最初から仕事できてたりするとあたしたちの立場もですね、なんていうか危ういというかね」


 窓の外に顔を向けながら呟くエイラさんの声は、なんだか切迫しているような物悲しいような雰囲気があった。


「入ったばかりのエイラは仕事は早かったけどミス連発してた」


 依子さんが説明すると、エイラさんは慌てながら急いで言った。


「ちょっ、言わないでくださいよ!」

「ミスある方が手がかかる。ゆっくりでも確実に仕事をしてくれるほうが、こちらとしては助かる」

「最初からスムーズにこなせる人なんていないのよ。基本がちゃんとできれば、早さもいずれついてくるからね。クロユリちゃんはそのままがんばって」

「はい……!」


 依子さんとメラニーさんの優しさに、泣きそうになる。

 こんなに温かい言葉をかけられたのは、じつに久しぶりだった。いつもアタリァになじられてるからなー。

 でも、慣れか……早く仕事に慣れるようにしなければ。


「おや、休憩中かな?」


 まったりしていると、館長が様子を見に作業室へ入ってきた。


 私は驚いて固くなるが、ほかの三人はのほほんとしている。のんびりしすぎてて怒られると思ったらそうでもなかった。


「どうしたんです館長?」とエイラさん。

「館長もパウンドケーキどうですか?」


 メラニーさんが勧めたお皿を館長は、手を振って断った。


「ああ、私はさっきいただいたよ。おいしかった。ごちそうさま」


 食べたんだ。


「で、クロユリさんたちが棚数をもう一度確認してくれたって聞いたんだけど」


 館長は言いながら、長机の空いている席に座った。


「あ、はい、昨日、私とメラニーさんが」


 私は答えた。


 昨日は隣のアルトホート州からお役所の人が視察に来て、館長はその対応をしていてちゃんと報告できなかった。

 私とメラニーさんは改めて館長に報告した。


「じゃあ昔の情報が間違っているってことだね」


 報告を聞いた館長はそう結論づけた。


「収容数を再確認してよかった。情報を更新しておこう」

「そ、そういうもんですか?」

「二度調べて二度とも同じ数になったんだ。最近の方が信じられる情報だよ」

「でも改築とかはしていなかったんですよね?」

「だから、昔の情報が間違っていたということだろうね」


 館長はあっさりと答えた。

 普通に考えたらそうなのだろう。

 でも私は、どうにも腑に落ちなかった。


「……館長が倒れたのは、本当に魔導書を読んだからだったんですか?」

「状況からしてそうだろうね」

「状況、というと?」

「死ぬ前の状況だよ。あのとき、私も棚の数を確認していた。それで、右奥のあたりかな、そこに所蔵されるべきではない……明らかに違う分類の魔導書が本棚に入っていた。誰かの”配架はいかミス”だと思って、それを手に取って正しい場所に戻そうとした。そこで記憶が途切れている」

「……倒れていたときもそんなことを言ってましたね。記憶がないって」

「死んだとき、短期的な記憶は覚えていないことが多いんだよ」

「なるほど……」


 一度覚えた記憶は脳の海馬に一時的に保管され、取捨選択されたうえで大脳真皮質に保存され定着するといわれているが……短期記憶はその海馬にある間の記憶を指す。

 交通事故などで頭を打った際に事故前後の記憶を失うことがあるが、それは海馬がショックを受け機能に障害が生じた場合だ。保存される前に記憶が吹き飛んでしまうので、なにも覚えていないという現象が起こる。

 死亡したとき海馬の機能が維持できなくなるなら、数十分程度の定着していない短期的な記憶も失ってしまうのかもしれない。死んでからどの程度で蘇生するかにもよるんだろうけど。


「でもそれだと、魔導書を読んだわけではないんですよね?」

「記憶はないが、状況からしてそうだろう?」


 でもそれだと、魔導書を手に取る必要はあっても読み込む必要はない。中身を見ずに、背に貼ってある分類ラベルに従って元の場所に戻せばいいだけだ。

 わざわざ魔導書を読んで狂気汚染の危険を冒す必要がない。発狂するほど熟読する必要がないのだ。


「なになに? なんの話?」


 エイラさんが声を弾ませて食いついてくる。


「あ、えっと、館長が死んだときの状況が少し気になって」

「ああ、そういうことね。大丈夫だよ、館長なんて交通事故とか不運で毎週一回は死んでるから、いちいち気にしてたら負けだよクロちゃん」

「そんなに死ぬんですか!?」

「毎週は言い過ぎだよ」


 館長は苦笑して足を組み直した。「せいぜい十日に一回くらいだよ」


「けっこうな頻度ですよねそれ」

「ひ弱だからね。すぐ死ぬ」


 そういう問題ですか?


「まあ私が変死するのは珍しくないんだよ。ここじゃごく普通のことだ。だからクロユリさんもあまり気にしないで」

「は、はい……」


 それはそれで納得できないんですが。

【おまけ】現実と共通している用語を解説


配架はいか

 新しく入った図書や返却された図書などを書架(本棚)に入れること。

 理由はなんであれ、とにかく本を所定の本棚の所定の位置へ入れるときに使われる。

 図書館の本は適当に本棚に並べているわけではなくて、ちゃんと決まった並べ方がある。

 基本的に分類に従って並べていき、そこからさらに著者名かタイトル基準にしてあいうえお順で並べられる。細かい配架基準はたぶん館によって違うと思われる。

 適当に戻しても司書さんが気付いてちゃんとした位置に配架してくれるが、もし戻す場所がわからなくなったら司書さんに頼んで戻してもらう方が楽だし正確だろう。

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